内科から整形外科へ院内受診2度目、母と会えるチャンス到来なのだ。
前回は入院後5日目のこと。
ストレッチャーで降りてきた母は、酸素マスクをして入院前の激しい苦しみの名残が見える印象であった。
コロナ禍で病院の対応も厳しく院内受診がなかったらまだまだ母には会えなかったはず。
妹はひと月あまり母と会っていない。
娘の「しーちゃんも会いたいよね」の呟きに反応した私は病院側と交渉し、許可を得た。
母の降りてくるのを待っていると、事務の人が、もう整形外科に来てるようですと言って我々を案内してくれた。
車椅子を探している私。
妹が目ざとく母を見つけ、まだストレッチャーなんだと心配そうに呟いた。
看護師の方がレントゲンを撮るのでストレッチャーできましたと言う。
不安が通じたのだろうか妹の声も看護師さんの耳まで届くような高さではなかったのに…。
タイミングよく我々の不安を払拭する。
プロだな〜と感心した。
母は酸素マスクはしているが、前回より断然安心できる状態であった。
最初に我々を見る目が、何かおかしいと感じ、妹は誰だかわかる?
とひと月ぶりの母に問う。
マスク姿の我々の目だけが頼りだと思うが、それでもひと月で娘たちの顔を見分けられなくなるはずはないと思っている所に看護師が誰だかわかっかいと母に追い討ちをかけた。
交互に我々を見て「娘たちだ」と答えた母。
それから診察室に案内された。
机の上には腰のレントゲン写真が準備されていた。
若い先生がやってきて、「初めて診させてもらっています」と写真に向かった。
腰ですね、1番目と3番目の骨ですね。(初めて知った)
10月ごろからですか。
11月にK先生のところに行ったのですね、その時にコルセットを作らなかったのですか?と聞かれた。
自分が責められた。
その頃の母は大変元気で大したことはないと思い、簡易のコルセットで済むだろうと勝手に判断してしまった。
2週間後に診せてくださいと言われたがその間に急性気管支炎を起こしてしまい診てもらうことが叶わなかった。
そのうちに腰の痛みと杖で庇って歩いたトイレの往復で右腕も痛みが酷くなっていたのである。
「この写真が前回でこれが今回です。
普通は骨が潰れながら治っていくのですが前回と変わりないですね。」と若い医者が説明した。
?? 治ってないと言うことか?
圧迫骨折だけならコルセット装着後歩いたりしながら治っていくのだろうが、うっ血性心不全があったので点滴で利尿剤を入れながら浮腫が治るまでの約ひと月を寝たきり状態で過ごしていたのだ。
だいたいどれぐらいで治るのですかと聞くと3ヶ月ですねの答えと、骨より心臓が大事です。
動かないと身体が弱りますから心臓の具合を見てリハビリするようにと整形外科から内科の看護師さんに申し送りがあった。
十分頷けた。
廊下で少し話して母を見送った。
帰り際、妹が母は同じ部屋の人とは話してるのですかと聞くと看護師は話せるような人がいないのですとニコッと笑って応えてくれた。
母の居る部屋の内情が少し見えた気がした。
昨日からポータブルトイレになったと言う。
母が、腰に力が入らないという。
立つための筋肉が用意されていないのだろう。
長期間のベッド生活から元に戻すのは大変そうである。
頑張れ!母