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こんな記念日を作れる私は幸せだ。
そろそろ記念日も終わりにしようかと思ったが、人生も終わりに近づく今まで続いた
その気持ち、これからも大事にしようと考え直した。
今ある私は初恋のおかげと感謝している。
その時代の爽やかな風だからこそ、こんな風に思い続けることができるのか・・。
PURE 15歳という年齢とはそういう年齢だ。
私は、初恋で異文化を吸収した。
1冊のとても若い本に出会えた。
その1冊は数えられないほどの本を生み、私の人生に彩りを与えてくれた。
恋なのかどうかさえわからず、相当な時間を費やし、その時代の同じ空気を吸いながら
心を養っていた。
今、誰にでも語れる恋をしたことに感謝し喜んでいる。
決して楽しいばかりではない。
自分を見つけるために、旅した恋である。
あの頃の初恋とはそうしたものだ。
5年という心の時間から、私は人生の「これから」を形作るほどのものを受け取った。
初恋の形は、その後に出会う「異性」と呼ばれる人たちとの付き合いの基本が作られる
とさえ思う。
初恋の相手がどんな人であるかが大事であり、どんな形で終わったかはもっと大事だ。
それは運命というしかないが、その後の人生がそこで決まると私は感じている。
自分と同じく消極的な相手とは、人を介して友達になった。
お互いに自ら行動しない者同士である。
結婚もそうであったなとうなづける。(笑い)
お見合いの先には結婚というはっきりとした目標が見えているので最初から
全く恋とは異質なものである。
3行、余談である。
私の恋は、終わり、早々と相手は結婚した。
15歳同士は最後まで友達である。
終わって初めて初恋だったと気づいたとき、私は「心」というものを知った。
言うなれば、初恋の人とは「心」という、人の基本を与えてくれたのだ。
生まれたばかりの心は、自分に言い聞かせた。
「こののち、初恋の人がいつまでも恥ずかしくない自分でいよう」と。
年に1.2度見る夢は、私を一日中うれしがらせた。
そんな自分が可愛かった。
その夢もここ数年来見なくなった。
私の中で一つの心が終わりを告げた気がする。
というか完成したのかもしれない。
だとするとそれは、とても喜んでいいことなのだが、またさびしい気もする。
「初恋記念日」はこれからもずっと続くだろう。
今日から「忘れてはいけない日」となったことに、また新たに感謝して・・・。
ありがとう。
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