夫がつけたテレビ、何分も過ぎないうちにジワっときた言葉に、その言葉がどんな言葉だったのかも覚えていないが、私の涙腺を刺激した。
昔の伊集院静が話していた。
NHK 「あの日あの時あの番組シリーズ平成③躍動! 日本人大リーガーたち松井秀喜選手の闘い」
野球に興味のない夫が、テレビのリモコンに手を伸ばし偶然に映しだされた番組である。
私も外国で野球をしていた人ぐらいの情報量である。
伊集院静が2002年に1年間、大リーガーの松井を追いかけたドキュメント番組だった。
語られる松井秀喜の「人」そのことにクギ付けになった。
それに初めから見ていたのではない。
しかし聞こえてくる伊集院静の解説の一つ一つに涙が溢れてくる。
内容そのものより、どうして私はこんなにこの人間に心が奪われるのだろうか
「あなたはいったい何に心が奪われているの?」
と自問自答しながら、テレビと向き合い、涙の訳を探していた。
どうやら「松井秀喜の日本人としての情緒」によるようだ。
私は今年も自分の誕生日辺りからいつものように理解困難な、それでも心引かれる「岡潔」に親しんでいた。
まだ進行中である。
「人間の建設」「情緒の教育」「日本人のこころ」3冊が並行してずっと開かれている。
今までは、わかっても分からなくてもツラツラと読んでいたものが、何故か今年ばかりはツラツラとはいかないのだ。
岡潔が日本の将来を憂い心配している「日本人のこころ」の問題。
単に浅いところのこころではない。
光が射しにくい、濁っていては日が届かない心の奥深い「情緒」というところである。
数学者である岡潔は自分の研究が終了した後には、日本の教育、とくに「情緒」という日本人としての美の消失に警鐘を鳴らし続けた。
1962年以降のことである。
そしてその当時から60年後の世の中を非常に憂いていたのである。
それが、松井秀喜の精神に憂いの元の美が宿っていて、勝手に涙が溢れていたことに気づいた。
日本人の良さ、日本人固有のこころもちの美しさに感動していた。
誰もが松井秀喜のようであれば心配はいらないが。。。。
真面目さ、一生懸命さ、無私無欲、全体のために自分を律する強さ、正直さ、勇気、信頼できる人間性、
目的に向かう集中力。
岡潔がいう60年後というと、2022年だ。
世の中の水が濁ってくると情緒も濁ると岡潔は言っている。
すでに恐ろしい事や事柄が世の中には溢れてきている。
困った!
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