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a green hand

双眼鏡を持って

近くの公園といっても車で6分ほどのところに行った。
前回と同じ場所である。

今日は朝から曇りでどういうわけか野鳥の声が賑やかである。
こんな時は野鳥たちを見つけられるかもしれないと思い行動開始した。

その公園はダムのある公園で私が15歳まで過ごしたところである。
既に老木と化した惨めな桜並木、古びて無人化したダム、我々家族が住んでいた社宅の跡地は公園の駐車場になって久しい。

我が家族は、たった二棟の社宅の住人で、隣の住人さんたちのみがご近所さんであった。

我が家族といっても父と妹は既にこの世の住人ではなくなって久しい。

そんな自然の中で過ごした15年間である。
今のように小鳥がこんなに鳴いていたんだろうか。
子どもの頃の私の耳には届かなかった。

届いたのはダムを流れる水の音である。
しかし、生まれた時からの音なのでその音さえも聞こえていなかったかもしれない。

ただ、学校からの家路、公園入り口辺りになると聞こえてくるダムの音が新鮮だった。
聞こえていない時間ががあったからこその聴覚だったのだろうと今になって思う。

小鳥の囀りにしても同じだったのかもしれない。
老いて再び生まれ育った古里の自然に身を置いた時、森や林の木はこんなに伸びるものなんだろうかとひどく驚いた。
歳をとったのだ自然も私も。

小鳥の囀りはたくさん聞こえるが、前回と同じく姿が確認できない。
鳴いてばかりでなく動いてくれれば見当もつくが深く繁った木々の中では「野鳥」にたどり着くことができないのだ。
どんな立派な双眼鏡を持っていても暫くは学習しないとダメなようだ。

アッ!鴨が2羽。
相当遠くだったが双眼鏡の出番だ。
大きな鳥は本意ではないはずの私、桜の木に山鳩が2羽、水辺に鴨が2羽見つけられたのは良かった。

小さな鳥は自宅からも観察できるシジュウカラのみ。
遠くの木の梢にいるのを見つけた。
肉眼で見つけた後に双眼鏡。
逃げようとしないでいつまでも囀っている。
自宅から見える電線では、鳴いたと思うとすぐ飛んで落ち着きがないのに。

つくづく思ったこと。

シジュウカラの鳴き声の多さにさすがにわが町のシンボルバードだと。
そしてさらに思ったこと、四十雀っていうほどなのだから特別わが町にだけシジュウカラが多いわけではないのでは?

それにしてもスズメやカラスがシンボルバードでなくて良かったがそれに結構近いのでは?
と新たな不信感が芽生えた。

囀りが美しかったのはプレティプレテイと聞こえた野鳥、杉林から聞こえてるように思えた。
姿が見えない。
鳴き声が可愛いく麗しい💕

首が痛くなるほど見上げ続けた。
バードウォッチングも年齢制限ありかも。
目と首が非常に疲れてしまった。

プレテイ プレテイの野鳥の名前は何かなと気になり、囀りと姿がミスマッチしてないことだけを祈った。
いつか出会えるだろう。
麗しい囀りのプレテイプレテイに。





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