a green hand

4日目、地下鉄で中正記念堂と地下街に


台北3日目の夜、「明日はホテルでのんびりしない?」というと「え〜」という夫の返事。

夫が疲れているかなという思いと、せっかくのホテルなのだから一日中ごろごろしていても良いかという思いから提案してみた。
が、地下鉄を乗り回したい風の夫の意見に従い、地下鉄1日乗り放題パスを購入し、私の希望であった中正記念堂のある公園の台北コンサートホールを目指した。

コンサートを聴く目的でもなく、ただ台北でのアーチストや海外からのアーチストたちが演奏するその建物を観にいったわけである。

中正記念堂を降り地上に出ると目の前に大きな公園が見えた。
誰も迷わない位置にある。

あいにくの曇り空、桜だと思うが遠く公園の端に咲いていた。

中国を追われた蒋介石の中正記念堂が公園入り口から真正面の高い石段の上にそびえたっていた。


一度行ったことのある夫が行かなくていい雰囲気だが、出かけて仕舞えば疲れを予想できない私は行かない方はないと積極的になってしまう。
何より青い屋根と白い建物が美しく惹きつけられた。。

そこでは、衛兵交代式が観光の1つだと夫から聞き、何も調べていない私はロシアで見た衛兵交代式のようなものだろうと関心を示していなかったから夫もそのつもりでいたようだ。


私が事前に、衛兵の交代式や記念堂をしっかり見たいと知っていたなら、夫は時間も調べ、間違いなく見える位置を案内してくれただろう。
そういう人である。

今、中正記念堂を検索してみると、詳しいナビに出会う。
イヤイヤ大変惜しい事をしたと気づいた。

知りたかった歴史や蒋介石のことが満載ではないか。
考えてみれば記念堂と名がつく場所に、衛兵の交代式はぎっしりの人々がいてチラリとも衛兵は見えず金属の音がカチッ、カチッとなるのが聞こえるのみ。

蒋介石の席坐像ブロンズ像の高さは6.3m の姿は流石に見上げることができるがその下での交代式は、「見る」という意識なしに見られるようなものではないことを知る。
1時間ごとにあったらしい。
知っていれば、次の回には特等席ですっかり見られたかもしれないのだ。

ナビによると八角の屋根の言われや89段の階段は蒋介石の享年を表すとか、しみじみすることが載っていた。

八角の屋根は孫文の唱えた「ハ徳」

「忠、孝、仁、愛、信、義、和、平」を表すとあった。

銅像の上部には蒋介石の基本政治理念であった「理念、民主、科学」土台には蒋介石の遺言が、左右には蒋介石直筆を模ったもの、フロアの天井には国章「青天白日」の章が描かれているという。。

何ということだ、天井さえ見上げず、全て、意識して観ていない。

記念堂から眺める公園の広大さと美しさは台北ならではの景色であった。



記念堂の階段を私が登る途中のこと、2歳ぐらいの子供が一段ごとに喜びの声をあげながら降りてくるのに出会った。
みると、父親らしき人がバネのついたリード?を子供の背中のあたりにつけて持ち上げ、持ち上げ降りているのだ。
この様子がとても印象的だったので付け足し。





コンサートホール



右側が私の目指したコンサートホール


蒋介石の本名から、「中正記念堂」という事も帰ってきてからのナビで知った。
非常に私らしい「帰ってきてからが私の現実的な旅」が今も健在であった。

そこから、台北市を目指し地下鉄巡りをして、地下街で疲れ、夜の娘たちとの最後の晩餐はパス。
夫とホテルにあるレストランで夕食をとる。
  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事