朝5時、叔母と従姉妹、私と母とで墓掃除に行く。
朝早起きしての墓掃除は初めてだ。
連日の猛暑日に朝早くの空気は気持ちよかった。
仏間を整え、副住職のご訪問を待った。
副住職は娘と変わりない年齢である。
昨年は、娘もいてお経を上げていただいたあと談笑した。
平日の昨日は母と二人だ。
先祖代々の供養、生きてる我々への健康と繁栄を祈願した内容の棚経はすぐに終わった。
8日から16日までの日程で檀家を回るのである。
お寺の機関紙「さよなら法圓3号」で日程表が渡されてあり、お茶はご遠慮しますと書いてあったのでそのつもりでいた。
ところが、副住職から「せっかくですからお茶を一杯いただきます」とおっしゃる。
急いでお茶の準備をした。
それで一月程前に目にした副住職の書かれた法圓の中にある「私の窓」の詩、我が子「拓夢」よの感想を述べた。
タイトルは「ランドセル」
それを読んだ時、私は涙が滲んでくるのを抑えられなかった。
感想を話しながらも感極まり言葉が震えた。
気づくと副住職も様子がおかしい。
いつの間にかおかしな盂蘭盆供養になってしまった。
その詩の中に、心をうち抜かれた言葉があった。
負けるな!ひるむな!そして立ちはだかる人生の試練を断るな!
負けるな!ひるむな!そして立ちはだかる人生の辛苦を断るな!
この2行は衝撃だった。
試練も辛苦もごく普通に使われる言葉だ。
しかし、「断るな」というこの言葉は誰でもが使える言葉だろうか。
我が子と離れ離れになり、今年一年生になる副住職の息子。
ランドセルという人生の重荷を背負い始めた息子への応援歌だというこの詩だが、悲しさが漂う。
滂沱の涙で書いたという我が子を愛惜しむ心に触れ、さらに私の話し言葉は震え・・恥ずかしくなる。
もう少し、話していたいけど、これからのお務めもあるし、これ以上話すと泣き出しそうだからと帰って行った。
副住職というより、袈裟を着た一人の男であり、父親の姿だった。
夜、電話をくださった。
仕事を終え、どうしても電話でお礼を言いたかった・・と。
我が家をあとにしたとき、車の中で涙が出てしまい困ったことも・・。
一日引きずったともおっしゃった。
共感してもらえたのがとても嬉しかった、そしてもう少し話したかったと・・。
必ずそういう日が来ますからと私も檀家の一人として副住職を敬う者というより、息子の哀しさを包んであげたい親の心になっていた。
私の父が亡くなった39年前の4月8日の朝、咲き始めた寺の桜の枝を折り、持参したのは現在の副住職の父である。
多分30代にもなっていなかったのではないだろうか。
子どもの頃より、現住職は父を慕ってくれていた。
何かとても因縁を感じる日だった。
私を泣かせ、副住職も泣いた。
その人がいつか私を弔ってくれる日がくるのだ。
「あんたの葬式の時のお経はきっと長くて子どもたちは大変だな」と夫が笑う。
ランドセル ~我が子「拓夢」よ!
雪の降る寒い夜 お前は産声をあげたね
いつも元気に泣き叫び 母乳を欲しがっていたね
言葉を覚え初めて「パパ」と呼んでくれた時は嬉しかった
俺の部屋に立てかけてある写真から
お前の優しい声が聞こえてくるよ
我が子 拓夢よ! 今年から
ランドセルを背負って
学校へ通ってゆくんだね
負けるな!ひるむな!そして
立ちはだかる人生の試練を断るな!
転んでも転んでも
お前は立ち上がっていたね
ひらひら舞い散る桜の葉 天高く泳ぐ鯉のぼり
1歳の記念樹に植えた ハナミズキは大きく育っているよ
大切なことは湧き上がってきた感情を
青い空を仰ぎみて叫ぶことだよ
我が子 拓夢よ!これから
少しずつ大きな人生を歩んでいくんだね
負けるな!ひるむな!そして
たちはだかる人生の辛苦を断るな!
作詞 野津哉輪
平成22年1月23日
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