母が代わりの炊飯器を<無印>出してきた。
歯の弱い夫は「飯がまずい」と機嫌が悪い。
もっとも、IH炊飯器を買ったのも夫だった。
それを買ったとき、母が言った言葉「お父さんが買ったものだから大事にしないと・・」そしてまもなくその言葉は忘却のかなたへ。
IH本体が壊れたのではなくどうでもいい、ふたの部分の手入れの悪さがそれを壊してしまったのである。
母は元気で何よりなのだが、力の入れ具合が強すぎると私から見て思う。
ドアを閉める、水道を止める、物を置く、全て大きな音が出る。
優しく物を扱うことが大変苦手とみている。
私がこう感じることは即ち、私も気づかないところで母と同じように慎重さに欠けているということの証し。
その証拠にちょっとしたところでの考えの甘さが災いし、失敗する羽目になる。
一瞬落ち込むがまた同じような部類の失敗を繰り返している。
お互いの長所は問題ないが、短所となれば、相手の行動が気がかりでしかたない。
無印の炊飯器になってからも、なんだかものすごい音がしたと思うと、へらを置くプラスチック部分のかけらが落ちていた。
物は力づくでなおるものはないのだから、もっと優しく扱わないとだめなのよと言わなければならない自分が嫌になる。
IH炊飯器が壊れたのも私が台所をしていれば私のせいなのだから、母を責めることもない。
自分が請け負ったものの責任はきちんと果たすべきという仕事で身に付けてしまった厳しさが生まれる。
我慢できずに相手を攻め、その結果、そのエゴに悩まされる。
母と私はそういう宿命にあるのかもしれない。
さて、数日前、夫が今回もIH炊飯器を買ってきた。
上機嫌で、説明書を読み、母に使い方を説明している。
機嫌が悪かったもう一つの理由は、町の電気屋さんを使おうと修理をお願いしたが、その商品は取引がないと数日過ぎてこちらから問い合わせて知らされた。
その電気屋がうちでは10万円の新商品の炊飯器を使ってるとそれをすすめたというのである。
いくらなんでも10万円を炊飯器に使うのはいやだったらしく、カタログを請求して持ってきてもらったにもかかわらず、さっさと量販店から新しいのを買ってきてしまった。
遂に無印から象印になり、夫の頭から炊飯器が消え、また新しい苦労を探す旅までの小休止となった。
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