見出し画像

a green hand

フェルメールからのラブレター仙台展

京都の経験があるので、混雑を予想して前売り券を姪にお願いして買ってもらった。

案に反して、構内に長蛇の列もなく、中へと入れた。

東北初のフェルメールということだが、平日だったからなのか、予想したほどの混雑ぶりはなく
ゆっくりと見ることができた。

東北初のフェルメールという。

3月の震災、震源地に近いという理由で貸出を危ぶまれ、企画その他にあたった
館長、キュレーター、総責任者など再三にわたる話し合いの結果、プロジェクトを中止することなく実施できた
という話しが、河北新報に載っていた。

中止どころか、震災復興というコミュニケーションという本展のテーマに深い意味をもって被災地、東北の地で開催すべきという
結論に至ったという。
感謝と感動で心が満たされた。

今回の震災にあたり、被災を目の当たりにして、今、自分たちに何ができるかというところで多くの人の気持ち
は、現在進行形で動いている。
家の娘でさえ、ボランティアに参加し、瓦礫撤去をしてきたという。

中でも、音楽や芸術は最も大きな力を発揮し人々を慰め勇気を与えているようにも思う。

日本人が昔から、絵画という分野に多くの関心を示し、たくさんの展覧会に足を運んだ。
結果、一枚の絵を通してさえ、友好の絆を深めることができるということである。

震災復興を願い3美術館が寄せるメッセージには、心を打つ。


「フェルメールからのラブレター展」
東北の被災地に「世界からのラブレター」が届いたような気のするこの展覧会を忘れることはないだろう。

アムステルダム国立美術館コレクション総責任者、タコ・デビッツの「歴史的にも美術的にも一級品ばかり、
美術の世界を通じ、手を差し伸べることが出来れば幸い」というメッセージにウルウル。
43歳という若さである。
ここから、「手紙を読む青衣の女」が来ている。
修復後、初めての公開が被災地日本である。


ワシントン・ナショナル・ギャラリーから「手紙を書く女」

北方バロック絵画キュレーターアーサー・k・ウィーロックJr64歳

展覧会の準備が佳境に入った3月に震災、巡回先の宮城県と聞き、心が傷んだこと、借用先からの不安などがあったが、
宮城県でこそ開催すべきと心に誓い頑張ってくれたようすがメッセージに込められていた。


最後は、アイルランド・ナショナル・ギャラリー館長レイモンド・ギヴニー64歳。
「手紙を書く女と召使い」を送り出してくれた。

大災害に出会った人たちに何ができるかを最大のポイントにしたという。
貸出のリスクを超え、心の復興を、「希望を持ち、楽しみを持つゆとり」までをめざし、プロジェクトを中止することなく
、むしろ当初より深い意味をもって、展覧会へ協力することになったというメッセージであった。

「静かな感動に浸って」という願いが込められていた。




さて、私は京都でフェルメールの3作品を中心に見てきたが、仙台では、もう少し、その時代の背景を意識して
見方を広げ、同時代に活躍した風俗画を中心に見てみようと思い、仙台に出向いた。

対比するピーテル・デ・ホーホとヤン・ステーンの室内画、そして、フェルメール以外の手紙に関する絵を丁寧にみた。

風俗画にはその時代を代表する生活が描かれ、おもしろい。
栄えている社会の裏と表である。

ピーテル・デ・ホーホの整然とした室内の様子には、絵を通して理想の主婦が語られている。

手紙という題材が当時流行ったことは、オランダ黄金時代、識字率一番の国、手紙は今のEメール感覚であったという。

しかし、相手に届くのにどんなに時間がかかったことか、私なら返事が届く頃にはすっかり自分の気持も変わり、
何を書いたかさえ思い出せないのではないかと思う。

我々の時代は、メールなどという瞬時に届くものはなく、「手紙」を書いたものだ。

その時代でさえ、何を書いたか分からないのだから、つくづくフェルメールの時代に生まれなくて良かったと思う。

逆に、しみじみと「手紙」を読む情緒という深く美しいものさえEメール時代になり失ってしまった。

1通の恋人からの「手紙」を何度もうれしく反芻するという静かな情緒的な感情をである。
  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事