インターラーケンを過ぎる頃、川の色が暗い灰色なのに驚く。
慣れないその色は非常に不気味であり、イメージは地獄。
スイス3回目のAさんが、石灰岩を削るように流れるのでその色になると教えてくれた。
むかう先の「ホテルべラリー」は、スイス好きのヘルマン.ヘッセも泊まったという老舗?
そのホテルに日本人の中島正晃なる、写真家、冒険家、随筆家、添乗員、ホテルのオーナーである男がいる。
10年前、初めてのスイスで、Aさんがお世話になったという添乗員。
その後、二度目にはAさんの友達と共に宿泊したというホテルである。
ホテルべラリーの一人娘と恋に落ち、結婚にいたる事実が若い頃の彼をモデルにした本に記されている。
医者の妻であるMさんはその本を読み、彼の冒険を読み、夢を膨らませての訪問である。
グリンデルワルト駅に着き、そうとう長い間、坂を上った。
7年前とは大分様子が変わり、現在建築中のホテルが立ち上るグリンデルワルトにAさんは困惑気味、荷物を残し、一人でホテル探しにドンドン上っていった。
しばらくすると、Aさんは中島さんの車とともに現れた。
「言ってくれれば迎えに行ったのに・・」とその男は呟いた。
4人で乗り込み5分もしないでホテルべラリーへ。
いかにも老舗風のホテルは、一目で時の移りを感じた。
中島さんが日本茶を準備してくれ、少しのあいだ談笑した。
そこで灰色の川について聞いてみた。
川の名前はルチーネ。
黒いルチーネと白いルチーネがあるという。
インターラーケンが境目らしい。
記憶できるようすぐに記録した。
中島さんは、75歳、庭を覗くと魚の形をした青と黄色でできたボートが目に入った。
そう、彼は10年前、大西洋を一人ボートでアメリカまでわたったという。
http://www.2hon5.ch/index-j.html
そのボートは、愛知万博にも披露され、スイスの交通博物館に永久展示されてるということだ。
そして、今、製作中のボートで大西洋、太平洋を横断し、日本に行く計画をしているというのだ。
友にはそのボートはお前の棺桶になるだろうと言われているというが、この中島という馬鹿なことを考えている男に今回出会ったことで、私の中の心配を増やすことになってしまった。
スイス人の奥さんと彼の息子さんもさぞ心配なことだろうと気の毒でならない。
指のあちこちに絆創膏が張られ服はペンキなのか汚れている。
ボート制作のキツサが察せられる。
この種の男とは本当に困ったものだ。
奥さんのフレーリの姿が見えない。
なんでも台所のトラブル発生で夕食の準備ができないといわれた。
それで初日は持参した乾燥食で夕飯を済ませた。
それにしてもアイガー北壁を目の前にした、3階、屋根裏部屋からの眺めは最高であった。
その日、グリンデルワルトの谷間を囲むアルプスの山並みが丁度夕焼けに染まり、夢のような景色に祝福された気分でいた。
刻々と変わる景色をたくさん写真に納めた。
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