私が生まれたとき、すでにこの世に存在しなかった祖父。
その祖父が会津出身である。
生前、父から祖父の故郷である会津で幼い頃の数年を過ごしたことを聞いていた。
なんでも子どものいない親戚に養子に出されたところ、その夫婦に子どもができ、戻されたとか。
<今思うと、なんて不憫なことだと父の生い立ちの不幸を思う>
それに父は49歳ごろに「筋萎縮性側索硬化症」という難病にかかった。
発症後2年、病気は相当悪くなり命も尽きるころだったが、父はとても会津に行きたがった。
父のお墓参りをしたいという願いは叶わなかった。
父が亡くなり、その願いは数ヶ月もしないうちに叔父、叔母、従姉妹と母で会津に出向き、叶えてあげることとなった。
そのとき、我々を歓迎してくれた会津の人たちの心使いが忘れられない。
初めて会う人ばかりだった。
亡くなった方は父とは従兄弟にあたる人。
寡黙なその方に当時、お墓を案内してもらい、昔のこと、父のことをいろいろ聞いたものだった。
家族から離れ、一人淋しい思いを抱えていただろう父が一緒に遊んだ従兄弟だったにちがいない。
生前、私はその父の従兄弟に4~5回は会っているだろうか。
毎年、秋になると「会津の身しらず柿」が届き、箱を開ける日を楽しみにしていた。
木箱からダンボールになり、その柿が届かなくなってどれぐらいになるだろう・・。
父とは何歳も違わないその人の葬儀に私が行くことにした。
父の思いがそうさせているような気がしてならない。
病院嫌い、葬式嫌いを実行している気儘な私だから、そのことだけでも決心が要る。
葬儀は木曜日、9時半ということだ。
車で2時間をみなければいけないだろう。
一緒に行くのは例の叔母と夫である。
辛口で好奇心旺盛な叔母に何を聞かれるか少し心配なこともあるのだが・・。
まあいいか、私は未熟者にすぎないのだから・・でも・・でも・とウジウジするのがいつもの癖である。
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