a green hand

理念なき「大衆迎合」か



某地方新聞にトランプ就任演説の全文を英語で載せ、「単語は小学高学年レベル」と示されていた。

そして数人のコメンテーターがそれに迎合しているように見えた私は、何か腑に落ちないものを何処かで感じていた。

オバマ大統領と何かにつけて比較されているわけだが、就任演説を世界の誰でもがわかるレベルで話す事が悪いことなのですか?
と素直に疑問に思う未熟者である。

日本の新聞も小学校高学年になれば読めるようになると言われている。

今の時代、新聞が世の中の普通の若い人々にそんなに読まれているとは思えないが、新聞やテレビでのコメンテーターの話を見たり聞いたりしていると逆に不安や疑惑が生まれるのである。

メディアに疑問を持つきっかけは2011年の東日本大震災以降である。

「迎合」この言葉は恐ろしく、メディアというものの存在は「迎合」に一役買っているのではないだろうかという思いがする。

人々は多数派の意見に迎合していく。

少数派の意見を主張しにくくする風潮であり、多数派というものがどこで作られていくかという疑問である。

子供が欲しいものがあるとみんな持ってるから自分も欲しい といい、みんなって誰?と聞くと知った名前が2人ぐらい出てきてそれが「みんな」の中身だったりする。
こうして世の中のみんなの数を増やしていく。

例えが適切ではないかも知れない。
こういうことでは個人の意見も言いにくくなるのではないのだろうか。
これが進む事が恐ろしい気がしてならない。

どんな人間にも当たり障りのない意見でないとバッシングを受ける時代である。

主義主張の強いものや人と違う感想を持つことが多数派に排斥されていく世の中になるのは嫌だなという思いがしている。

さてトランプの就任演説であるが学歴のあるものや有識者には物足りないのだろう。

しかし世界中の小学校高学年の子供たちにもわからない単語が一つもない演説というのは私には素晴らしいと思うのだが…。

今回を機にまたマスコミの報道のし方に?疑問詞を持って見ていきたい。

面白おかしく少数派を揶揄し多数派を作っていくマスコミに迎合することだけはしたくない。
「いじめ」にも似た社会現象が怖いと思うのである。
  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事