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a green hand

chorus chorus chorus

最近というか、やはり今年は「マイ音楽年」である。
コーラス練習日に、自分たちの歌を録音する仲間は多い。

練習風景である。先生の声が大きく響く。
美しいピアノが流れる。


勿論先生も毎回録音し、指導に生かされている。
私は25年、長いこと録音などしたためしがなかった。

してみるといろいろな気づきがあり、発見がある。
音は一瞬にして消えてしまう。
指導の声も消えてしまう。
年齢を感じ始まったからばかりではなく、何かが自分のなかで変化したのだと思う。

それで最近、感動していることは、耳に聞こえてくるchorus が素晴らしいということ。
毎回、録音した音を聴きながら最近は癒されるようになっている。

かなり耳が育ってきての感想なので確かであると思う。
いろいろな団体のコーラスを聴くことがあるが、今までコーラスとして聴いて良かった
団体は一つしかない。

自分の耳を疑っていた。
こんなにいいと思わないのは変なのではないかと・・・。
しかし若い時から音は聴いてきたはず、どうしてこんなに耳が悪いんだろうかとも思っていた。

自分が歌わないと様々な美しい声が聞こえてくる。

ピアノも相当素晴らしく、自分が歌っているときにはそれほど聴こえていない繊細な美しさを録音から拾うことも
できる。
35年という歴史あるコーラスに所属し、今年の12月には記念コンサートが予定され、会員はそこに
向かってスタートした。

中でも、指揮者自身が35年の歴史を持つということが誇りである。
20歳代からコーラスをしているということだ。

個性的なのは音楽大学を出ているわけでもなく音楽教師の免許があるわけでもない。

私はこの指揮者を人間的に尊敬している。
きっと団員もそうだろう。

その人柄は音楽に現れ、声に現れ、我が団体の個性となって現れていると思うからだ。
平凡で真面目て高潔で優しい人間である。

詩を大事にし、言葉を大事にし、音を極めたい、ただそれだけの指導のように思う。

要求された音を出すのが我々の努めである。
同じところを何度も何度でも諦めずに要求するしつこさがある。
決して怒ることなく根気強い。

心が入っていても要求された音に達しなくては聞くに耐えない。
また自分のパートだけ完璧でも十分ではないだろう。
CHORUSも人との関係だなと思うことしきりである。
私たちの混声合唱団はバランスが良いとも言われる。

それと自慢できるのは、少ないが確かな音を持つ男声である。
ここにも35年のキャリアがいる。
指揮者と同じ年代で一緒に歌ってきた仲間である。

私の勝手な感想だが、混声合唱団員の男性はとにかく人間的にPUREであると思う。
美しく真面目な人間が多いと我が団員をみてつくづく思うのである。

声には人柄がでる。
不思議とパート別の性格があるように思えるのだ。
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