a green hand

夫の愚痴が言えるという事



夫のもとに電話がきた。
車も運転できるし90%回復したと話す夫の言葉を聞いた私。
ホホッ〜見栄を張ってるなと。

しばらくご無沙汰していた友と会う事になっていた昨日「行ってきまーす」と言うと台所で洗い物をしていた夫が「いってらっしゃーい」と晴れやかな声で返してくれた。

何だこれは?かつて無かった事である。
退院後、ずっと夫にべったりの私が疎ましい?

タイヤも新しく車の傷もなくなった完璧に近い?14年目の愛車で出かけた。
電車を利用しようかと思ったが車にした。

待ち合わせ場所に着くと一年ぶりの友たちが第一声「良かったね〜」の連発。
一人の友は泣き出しそうだった。
もう一人の友は「もう夫の愚痴を言えない間柄になるんじゃないかと心配だった」と本音トーク。

本当に夫の病気では心配をかけてしまった。

二人の友の愚痴を聞いているのが殆どだった私。
その愚痴がすこぶるおかしくて笑ってはいけないのに3人で笑えて、活力をもらって解散すると言うのが常である。

私はこの二人から夫様のために一生懸命主婦として生きていることを学んでいた。
そして活力より何より自分の未熟者さを知らされていたのだ。

昨日もそれぞれの生活を覗かせてもらった。
それぞれのエピソードにそれぞれに思う事があり、それでも似たり寄ったりで………。
それでもめげずに楽しくイキイキと生きている。

いつまでも変わらぬ子供らしさを残したやんちゃで素直な夫様と聡明で大人な女性とのギャップ?と私には見えた。

人はそういうことを隠しながら生きている。

「でんでんむしのかなしみ」である。

これは新美南吉の童話で、どのでんでん虫の背中の殻にも同じく人には知れない悲しみが詰まっている。あなただけでは無いのよ、だから人を羨むのはやめようというのである。

夫様の愚痴やら何やらを話したり聞いたりして帰ってきた。
会うまでもワクワク、別れてもじわっとことがらが残る変な3人組と今回も同じく思った。


帰ると夫の髪が変化していた。
抗がん剤ですっかり抜けた髪が4ヶ月ほどで数センチ伸び、数日前からどんな髪型にしようかと呟いていた。

どんな髪型といっても無理があると思っていた私。
「床屋に行ってきたの?」
襟元や耳のあたりにかかる髪が切りそろえられきれいになっていた。
「次回にはいい感じになると言われた」と何度も頭を触ったり鏡を見ている。

〇〇さんも癌で今入院してるんだってと床屋での情報を入手してきていた。

私の行きつけの美容室は情報の発祥地であることは経験上知っていたが男性相手の床屋も同じなんだとその情報に心を痛めた。
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