パラパラと曽野綾子の本「老いの才覚」をめくっていると「くれない指数」に目がとまる。
全く耳の痛いことを言う人だ、言ってることがなんか嫌だ、嫌な婆さんと思いながらも気になる。
それで嫌だと思う内容は殆どが自分に欠けている。
そして数日間、気に触ると言う循環である。
今回は、くれない指数。
老いの老化度を測る目安が「してくれない」だと言うのだ。
どんなに若い人でも「くれない」と言うようになった時が老いのスタート「くれない族」だと言うのだ。
私は未熟者を自称しながら何と多く人を頼って老いのスタートを切ったのだろう。
夫を頼れなくなり息子や娘に「くれない」を連発し、91歳の母にまで連発を免れない。
これでは曽野綾子恐るべし、私に向かってビシバシ切り込んでくる。
自分に都合の悪いことを言う人は嫌な人。
もっと自分を深く見つめてみるとそう言う嫌な人や嫌な先生が欠けてる部分に気づかせ、気に障らせ、いつか欠けてる部分をを埋めてくれていることに気づくものだ。
嫌な先生は貴重である。
嫌われないようにいい先生ぶる人より貴重である。
悲しいことに若いうちはそんな事に気づく度量もなくただただ素直に嫌うだけである。
さて私、若くもなく65歳以上の老人である。
夫を頼りすぎてきた自分を反省し、母のようにくれない指数を低くしなければならないと思うこの頃である。
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