チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「辰年のお年頃と書き初め」

2012年01月02日 22時53分36秒 | 語彙の歴史観・ロック、ゴウゴウ
今年は干支でいうと辰年なんだそうである。
「辰」という漢字の字源は、
<二枚貝からビラビラとした肉が覗くさま>
だという。新年からちょっとエッチなネタである。ちなみに、
紀元前2世紀乃至紀元後4世紀に朝鮮半島の南東部にあった
辰韓、弁辰の「辰」も、「秦」の音に近く、
大陸からチロっと出てるさまが二枚貝が殻の外に
唇弁を伸ばしてるような形だったことから
漢民族にそう呼ばれたのである。それはどうでも、
今から500年前の永正9年(西暦およそ1512年)は、
竹田秀慶が記した「月海録」に梅毒が唐瘡として
我が国で初めて報告された年である。
[鷹の名に、お花お千代は、きついこと]
(鷹=夜鷹=最下級売春婦、お花=お鼻、お千代=落ちよ)
昔、梅毒の進行が進むと鼻がもげ落ちたらしい。夜鷹には鼻が
もぎ落ちたのがいたという。ちなみに、
ペニシリンの綴りはpenisillinではない。penicillinである。
ペニシリンを表すラテン語penicillium notatum
(ペーニスィリウム・ノタートゥム)は「記すための筆」という意味である。が、
英語のpencilもpenis(英語=ピーニス、ラテン語=ペーニス)も
ともに古代ギリシャ語のpeos(ペオス)から派生した同源語なのである。
日本でも「筆おろし」という言葉があるが、
発想はまったく同じである。ともあれ、「辰」は
二枚貝がわずかに開いて中の具がビラビラビラと覗くさまから、
振動を表すようになった。「震えるさま」、である。
月の十二支では、辰は中国の夏暦で3月にあたる。これは、
「震えるさま」はすなわち「生命体が生きてる証」であることから、
生物が活動を始める用意が整った時期、
という意味になったものである。
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「従軍triumph強制連想/職業に貴賎はないはずだが、キーセンという立派な職業はある」

2011年12月20日 00時24分53秒 | 語彙の歴史観・ロック、ゴウゴウ
英語の"triumph(トライアンフ=勝利、凱旋)"の語源は、
「三裂掌状のイチジクの葉」
(古代ギリシャ語thriambos(triambos)、トリアンボス)、
である。そして、
Thriambos(Triambos、トリアンボス)は、
古代ギリシャの神の一であるDionysos(ディオニューソス)の
別名でもある。すなわち、
フランス語のtriomphe(トリヨンフ)、それは、
ラテン語のtriumphus(トリウンフス)に由来し、さらに遡って、
古代ギリシャ語のtrianbos(トリアンボス)に行き着く。
この"tri(トリ)"は"3"を意味する。いっぽう、
"ianbos(イアンボス)"とは"短-長"の韻律を指す。
近代以降のたとえば英語やフランス語などの韻律は、
強弱のアクセントの上に立ってるが、
ラテン語や古代ギリシャ語の場合はそのようなものではなく、
音節の長短に因ってた。が、
音節といってもそれは現代の英語やフランス語などの
音節ではなく、おおざっぱに言えば、
母音と母音の間の長さ、に因る。
母音自体の長短に加え、母音間の子音数、
などが関わる。それはともあれ、この韻律が、
戦勝の祝賀の宴における"勝利の詩歌"に用いられた。
この詩歌はまた、古代ギリシャの神である
ディオニューソスに捧げられた。なぜなら、
ディオニューソスは「戦勝」「凱旋」「再生」の神だからである。一般に、
「酒(ワイン)を司る神」として知られる。古代ローマでは
バッカス(バックス)に置き換えられた神である。
このディオニューソスは、その妾腹の子という出生の事情から、
父ゼウスの本妻に命を狙われ、世界各地を転々とした。が、
その各地で神聖な力をみせつけ、民衆から
畏敬で迎えられた。つまり、
各地を平定したことと同じである。すなわち、
「勝利」「凱旋」なのである。が、
そういう修羅場をくぐったがため、何度も
生死の境を彷徨った。実際、2度死んだ。が、
そのたびに生き返った。つまり、
「3度」生きた、のである。だからディオニューソスは、
トリアンボス、トリゴノスとも呼ばれるのである。

ちなみに、
triumphと近いスペルのtrumpetもその同源語である。
勝利の凱旋を誇示するラッパである。また、
drum(ドラム)もやはり軍を鼓舞する楽器である。だから、
後世、この2つの楽器は王権にとって意味のある物になった。
その奏者は王宮のお抱えであり、
ニ長調とハ長調の交響曲にしか使われず、
演奏にはそのお抱え奏者を借りなければならず、つまりは、
為政者の許可とその使用料が必要だったのである。
ところで、
イチジクの葉は現在は一般に五裂掌状である。が、
古代ギリシャ人が知ってたイチジクの葉はおもに
三裂掌状だった。それが、
2個の陰嚢と1本の陰茎の男性器の形に似てる、
という認識だった。つまり、
短いタマタマと長いチ×ポの"イチジクの葉"の形状が、
"短-長"という詩歌の韻律と同一なのである。
アダムが羞恥という感情を獲得して性器を隠したのは、
性器とちょうど同じ形状のイチジクの葉だった。ときに、
"Triumph(日本での呼称=トリンプ)"
というドイツ系スイスの下着メイカーがある。
"人類初の下着がイチジクの葉、だった"から、
"Triumph"という社名にしたのである。

いっぽう、世の中には
"恥"という言葉になじまない民族がある。
大阪生まれのイ・ミョンバクがドジョウとして生まれた野田佳彦に、
<慰安婦らが生きてるうちに日本が
"従軍慰安婦問題を解決
(=金よこせ、という意味、架空請求と同じこと)しなければ、
日本は永遠に両国間の懸案を解決できない、
という負担を抱え続けることになり、
第2、第3の"強制連行された従軍慰安婦少女像"が
建立されることになる>
という内容の恐喝をしたと報道されてた。
「朝鮮は日本にとって厄介の種となる」……まさに、
100年前にあのあくどいセオドア・ルーズヴェルトが予言したとおり。
南朝鮮人の一部は先日、ソウルの日本大使館前に、
賎民出の秀吉と同じく薄っぺらい金色趣味の
"強制連行された従軍慰安婦少女像"を建てた。
そういうガキの思考回路しかないのは、
日本人がハングルで字を習うことを教えてあげた
たった100年前までずっと文盲だった庶民が大多数だった
民度をよく表してる。ともあれ、
その像が第1であり、それに続く第2、第3を建てるぞ、
と脅して金をゆすってるのである。
第2、第3といわず、30万基でも建てればいい。が、
事実でないことを事実と言い張るほうが
その愚かさを剥きだしにしてるだけなのだから。
歴史をきちんと理解してれば、
日本の領土である竹島を不法占拠してることを
恥じるはずである。が、
醜い顔を美容整形することに何の臆面もない、
負の事実を認めたくない生来の国民性が現れてる。
日本の竹島を実効支配した、
ありもしない慰安婦強制連行で日本から金をふんだくった、
ということが彼らの「勝利」「凱歌」、つまり、
トラ・イアンフなのである。
彼らの国は宗主である中国におさえつけされ続けた。
だから悔しくても虚勢を張ることしかできなかった。が、
100年前、アジアの中で欧米列強に日本だけが
孤軍奮闘するなか、字を読むことを教えてもらい、
道路や鉄道を敷いてもらい、学校や病院を建ててもらい、
少数ヤンパンの支配から解放されたが、
怖くて中国に向けれなかった鬱憤をその日本に向けた。

慰安婦というものは古今東西、
どの軍隊にも附随するものである。ところが、
金のある日本から金をむしり取るためには、
日本軍だけが慰安婦を持ち、しかも、
"強制的"に連行し、"強制労働"させた。
"セックス・スレイヴ"とした、ということに仕立てたのである。が、
事実はまったく違う。
「募集」に朝鮮からも「応募」した職業売春婦が
「高額」で従事したのである。
ビルマで慰安婦として「働いた」朝鮮人が戦後、
下関の郵便局に送金して貯めた「収入」の
「返還」を求めたとき、その残高がおよそ
「2万6千円」だった、という事実がある。
この慰安婦が労働した期間は2年6か月。つまり、
月額平均1000円も貯蓄にまわせた、のである。
当時の日本軍将校の月給は70円、赴任手当を入れても
90円だったという。それは収入であって、
貯蓄にまわせる額ではない。にしても、
その10倍以上もの金額を蓄えることができるほど、
「稼いで」たのである。日本軍の慰安所のほうが、
朝鮮本国の売春宿で働くよりもはるかに
稼げたから選り好んで赴いたのである。これのどこが
"セックス・スレイヴというのだ。
いい加減にしろ。
つい30年前まで、「韓国に行く」といえば、
キーセン目的の売春ツアーだった。そんなのに
行く日本人も日本人だが、戦後も韓国では
"伝統ある"キーセンが主な産業だった。が、
今でも金銭目的に日本をゆする手段が売春婦ネタだとは、
さすがは売春立国だったお国である。とはいえ、
やはり顔が醜く日本人女性に相手にされない私にとって、
人種国籍を問わず売春婦は、天使のごとき存在である。
「売春婦のどこが悪い!?」
売春婦が直接体を売るのと、
学者や職人や会社員が頭脳や技術や労働時間を売るのとの、
たかが違いである。
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「八雲と漱石、そして、地震と津波」

2011年12月16日 01時03分59秒 | 語彙の歴史観・ロック、ゴウゴウ
女優の江角マキコ女史は来る12月18日が誕生日だそうである。
旧大社町出身で、高校生のときには出雲大社で
巫女のバイトをしたことがあるらしい。ともあれ、
出雲大社のあたりは江角(エズミ、または、エスミ)という名字が多い。
中には旧大社町の大地主もいる。
edzumi(えずみ)とizdumo(いずも)は、
(i←→e,i←→o:母音交替)で同じ語、つまり、
「出雲=江角」なのである。いっぽう、
去る12月9日は夏目漱石の命日だった。大正5年(1916年)だから、
今年で没後95年ということになる。また、
12月9日は嘉納治五郎先生の誕生日でもある。もっとも、
嘉納先生は万延元年10月28日生まれであって、あくまでも、
その日を西暦に換算すれば1860年12月9日だった、
というだけの話である。ちなみに、
いわゆるクラシック音楽を生業にしてる者には
この旧暦やロシア暦についてまったく無知な輩が多い。
教養がないのに音楽で食ってけるとはまた突拍子もない
果報者なことであり、嫌みなく心底から尊敬する。

この出雲と宍道湖を挟んだところに松江がある。
54年の生涯だった小泉八雲が日本に来たのは、
40歳のときだった。そして、
松江、熊本、神戸、東京という15年弱の日本での生活のうち、
松江はもっとも短い1年3月足らずだった。しかも、
松江を愛したもののその寒さに耐え切れず、
熊本の旧制第五高等学校の校長に就任したばかりの、
ハーンより10歳年下で、のちに、帰日途上、横浜寄港2日前に
氷川丸船上で亡くなる嘉納治五郎先生に声を掛けられ、
熊本にそそくさと移ってしまったほどである。
熊本にいたのも2年ばかりだった。が、嘉納先生のもと、
柔術を習ったりしてとても充実した日々だったようである。
ハーンが去って2年後に旧制第五高等学校の英語教師として
やってきたのが夏目漱石だった。漱石は帝大生時代に
現在の早稲田大学の講師をしてたほどの秀才だった。また、
帝大卒業後に高等師範学校の講師となったが、
そこで校長だったのが嘉納先生だった。

神戸時代を経て、ハーンは東京帝大の英文学講師となった。が、
政府はその間、漱石を英国留学させて、ハーンの任期切れを待って
その後任に据えようとした。が、
ハーンは任期で退官させたということにしたが、学生には
ハーンは人気があり、その留任運動まで起こった。さらには、
後任の漱石は叱責した生徒が自殺したりしてすっかり
自信を失って落ち込んでしまったのである。それを心配した
高浜虚子に勧められて"気分転換"に書いたのが、
「吾輩は猫である」だったのである。
「我が背乗りはテコである。名前はまだない」ではない。いっぽう、
八雲は翌年破格の待遇で早稲田大学の講師に迎えられた。が、
半年で虚血性心疾患のために亡くなってしまう。遡って、
米国での記者時代にハーンが取材先のニュー・オーリーンズの
万国工業兼綿百年期博覧会で知り合ったのが、
官僚でのちに政治家となる服部一三だった。
松江での教職の口をきいてあげた人物であり、
日本の地震学会初代会長でもあった。服部は
岩手県知事在職中に明治三陸地震を体験した。また、
この明治三陸地震の報道がきっかけで、
ハーンはいわゆる「稲むらの火」のもとになる
「生神様」を著した。ちなみに、
「吾輩は猫である」の水島寒月は、熊本の第五高等学校時代の
漱石の生徒でのちに弟子となる物理学者の、
"天災は忘れた頃にやってくる"で知られる
寺田寅彦だとされてる。いずれにせよ、ははーん、
嘉納先生を軸足として、八雲と漱石には妙な因縁があったのである。
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「Et alors(エ・アロール)?とエ・リエール?/ダニエル・グズ=ミッテラン女史の死にあたって」

2011年11月23日 21時00分20秒 | 語彙の歴史観・ロック、ゴウゴウ
[ときにより、売れ過ぐれば民の、ナゲットなり]
マクドナルドの期間限定100円ナゲットが売れすぎて、
終了期日の26日まであと3日もあるのに発売を中止した、
と報道されてた。安いトナルト世の中はこうなのである。
安ければそこに(7割の)人は群がる。それは
ごく自然なことである。が、
五穀豊穣も護国豊饒も願う私の五穀の中に
パン粉は入ってない。ところで、
私が10代の頃、中東戦争(イスラエルvs中東アラブ諸国)が盛んだった。
その第4次戦争でアラブ石油輸出国機構は原油生産を制限し、
原油の値をつり上げた。日米戦争の敗戦で
米国の経済属国となってた日本にも大きい影響があった。
深夜番組がなくされたのはともかく、
米国からパルプを輸入してた関係で、
本類の紙がきわめて粗悪なものになった。とくに、
第2次オイルショックの1979年あたりは、
わら半紙のような紙になった。ところで、
和紙の原料のひとつである三椏(ミツマタ)は、
江戸時代に一般に使われた紙の原料だった。
駿河が主たる産地だった。が、
明治になると中国や四国の山間部に移った。
愛媛の山間部でも栽培され、改良半紙となった。
その古紙を回収して商売にしてたのが、伊予三島、
現在の愛媛県四国中央市の井川伊勢吉だった。
それが現在の大王製紙である。そして、
その弟が興したのが現在のカミ商事であり、
同じく井川一族でエリエールとエルモアを売ってるというわけである。
逮捕前の井川意高を追ってた各TV局のカメラの前で、
同人はマカオというよりはマガオだった。
創業者である爺さんはリヤカーで古紙を回収してたのに、
子会社が井川意高に貸した80億円あまりのうちまだ
50億円が未回収なのだという。

ところで、
第1次オイルショックで引き起こされた世界的経済混乱を回復させようと、
フランス大統領の別邸となってるパリ近郊のランブイエ城に、
1975年(昭和50年)、当時のフランス大統領ジスカル=デストンの発案で
先進国6か国(米、英、独、仏、伊、日)を集めて首脳会議が開催された。
それが第1回サミットである。ちなみに、
ジスカル=デストンのように、フランス大統領には、ガルワでも入学できなかった
理工系エリート養成学校であるエコル・ポリテクニク出身が多い。さて、
そのジスカル=デストンとの大統領選のリヴェンジに勝ったのが、
フランスワ・ミテロンである。ミテロンという男は
「転向」が信条の政治家だった。
社会党のミテロンだが、若い頃は極右だった。
反ユダヤのファスィストだったのである。それが、
反ユダヤのナツィスにフランスがいとも簡単に支配されると一転、
左翼に翻った。大統領になってからも同様である。
左翼社会党だから、めぼしい産業は国有化、
金持ちに課税、低所得者への社会保障強化、
財政再建に向けての予算ばらまき、
という政策を打ち立てた。が、
そんなご立派な信条とは裏腹に、
インフレが加速して景気は落ち込み、失業率が上がってしまう。
目を覆うほど、見テランないほどの大失敗だった。
同時期のサッチャー女史やレーガン、そして中曽根が成功してる中、
ミテロンだけが恥かき男だったのである。が、
そんな30年前の「失敗策」に倣おうとしたのが、
日本民主党である。上記のミテロンの政策と
まったく同じである。愚の骨頂としか言いようがない。とはいえ、
こいつら民主党の本意は、日本を貶めることにあるのだから、
その愚策はこいつらにとっては良策なのである。ともあれ、
信念も信条もへったくれもなく、ミテロンは政策転換する。
首相の首をすげ替え、所得税減税、法人税減税、
社会保障費の削減、という、自由主義経済のサッチャーを
真似るのである。そうして、
フランスは国家財政破綻を免れた。それどころか、
フランス国民の間ではミテロンは歴代大統領の中でも人気者で、
善政を敷いた政治家として記憶されてるのである。そして、
ミテロンが行ったことでもっとも偉大なことは、
「死刑制度の廃止」だと認識されてるのである。
なぜ左翼に「死刑廃止論者」が多いのかといえば、
殺人を筆頭に死刑に値するような犯罪者が多いからである。
一族郎党から同志に至るまで、同胞の数を減らすわけがない。
人を殺した者が本心から悔い改心したのなら、
自ら命を絶つはずである。そうしないならば、
改心は嘘である。

政敵ジスカル=デストンにしろ、シラクにしろ、その
政治思想にかかわらず、フランスの大統領はとくに
女好きなことでは共通してる。だから、
フランスではいちいち政治家の性事倫理を問いただしてたら
政治が立ちゆかなくなってしまう。が、
ミテロンの場合は異常で病的だった。
前立腺癌になってからもさらに色事に精を出した。つまり、
その支配欲求の異様な強さが政治にも向いたのである。
社会主義というのは本来、
利益分配を公平にするのが大前提なはずである。ところが、
すばらしき"創造物"である女性だけでなく、
現実には自分だけが利益を独占するのが、こうした
社会主義者、左翼の正体なのである。
異性に関してはさらに拍車がかかり、
一人の女性だけを大切にする気など毛頭ない。
女性も女性で、他の女性からも好かれないような男では
自分も食指が動かないのである。が、きわめて
人間くさい、動物的、生命的な営みであり、
いたしかたないことである。ときに、
Danielle Mitterrand(旧姓Gouze=グズ)、
ダニエル・ミテロン、1924-2011)女史が
昨日死んだそうである。のちにフランス第5共和制第4代大統領になる
フランスワ・ミテロンとレズィストンスの同志で、1944年に結婚し、
3人の息子を産んだ。が、
ミテロンは数ある不倫相手の中でも、
オルセ美術館職員だったアンヌ・パンジョ女史をことのほか気に入り、
娘も設けた。それが現在、
作家として活躍してるマザリヌ・パンジョ女史である。
ミテロンは死後も我を通そうとした。
自分の葬儀には正妻と嫡出子のみならず、
同列に妾アンヌ女史と婚外子マザリヌも座らせることと
遺言したのである。これがTV中継され、
「ミテロンは人間味あふれる優しい男」
「フランスの偉大な大統領」
という認識を国民に与えたという。
正妻ダニエル夫人の思いはいかばかりだっただろう。
意外に知られてないが、フランスは50年ほど前までは
「男尊女卑」の最たる国だった。
男が妻やカノジョに暴力をふるうのは日常茶飯事だった。
つい何年か前も、俳優ジャン・ルイ・トランティニョンの娘が
ロック歌手のカレシに殴り殺された。ともあれ、
ミテロンが大統領に就任した際、
それまでの性事に触れないという禁を破って、
この母娘の存在を質問した記者がいた。が、ミテロンは、
"Et alors(エ・アロル)?"
とひとことだけ答えた。この言葉は、日本では
さして話題になることもなかった。そんな異国の風潮に、
「イマニみてろん、コンチクショ!」
とは言わなかったとは思うが、
約20年後に渡辺淳一が小説のタイトルにしたり、
それを原作にしたTBSのTVドラマがあった。そして、
日テレのTVドラマ「ハケンの品格」で篠原涼子女史の口癖ゼリフとして
「(……ですが、)それが何か?」
と放たれると、なんと
流行語大賞にまでなったのである。
チョヴェリバ!
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「ボジョレ・ヌヴォ/maceration carbonique(マセラスィョン・カルボニク)というエセワイン」

2011年11月17日 23時52分40秒 | 語彙の歴史観・ロック、ゴウゴウ
11月の第3木曜は、いわゆるボジョレー・ヌーボーの解禁日、
なんだそうである。本国では200円相当のものが
日本では2000円で売れるから、フランス人はウハウハなんである。
初物好きな日本人に売れるとバブル時期に目を付けられて以来、
もうちょっとマーケローよ、といっても首を横に振って
ノン、ノンってな具合である。
全輸出量の半分近くがジャポンだそうである。
今年はブドウの"当たり年"だと言ってる。
毎年そういってる気がするのは、
髪をやや伸ばしてオールバックにしてる最近のヒラリー・ロウダム=クリントン女史と
假屋崎省吾の区別がつかない拙脳なる私だけだろうか。

beaujolais nouveauは、
マセラション・カルボニク(=炭酸ガス浸漬法)が用いられる。
普通は収穫した葡萄を女性が生足で踏んづけて
グチャググチャにしてから発酵槽に入れる。が、
このマセラション・カルボニクでは採れたての房のまま、
ステンレス・タンクに詰め込む。すると、
下のほうの葡萄が潰れて発酵が始まる。ごく単純にいえば、
C6H12O6(ブドウ糖=グルコース)→2C2H5OH(エタノール)+2CO2(炭酸ガス)
という化学反応が起こる。ので、
密閉されたタンクに炭酸ガスが充満する。いっぽう、その間、
潰れてない葡萄は果皮の中でリンゴ酸が分解して
種をアルコールと炭酸ガスが覆ってタンニンは出ず、
果皮の色素だけがにじみ出す。そうして、
渋みの少ない、いわゆる"フルーティ"な葡萄酒が短期間にできあがる。
ボジョレ・ヌヴォはとくにタンニンが少ない
gamay(ギャメ、いわゆるガメイ)という種を使う。
gamay noir a jus blanc(ギャメ・ヌワラ・ジュ・ブロン=白い果汁に黒い果皮)
である。ただし、
自然の炭酸ガスだけでなく、人工的に
炭酸ガスを加えて発酵を促進させて作るものが多い。
こうなるともう、エセワインといったほうがいい。いずれにせよ、
長く発酵・醸造するワインとは違った、ワインモドキである。

ちなみに、
maceration(仏=マセラスィョン、英=マセレイション)とは、
「解離」「細胞解離」「組織解離」「浸溶」
などと訳されてる。ごくおおざっぱにいえば、
「牛乳に浸したコーン・フレイクの状態」「湯に漬かってふやけた皮膚」
である。このmacer-という語幹はつまりは、
そうした「ペイスト状」を指す。動詞のmacerateはラテン語の
macero(マーケロー)がもとである。これはまた、
キャラメル・マキアート、カフェ・マキアートなどのように使われるイタリア語
macchiato(マッキアート=染みがついた、滲みこんだ)
と同源である。さらに、イタリア語
maccheroni(マッケローニ。ザッケローニではない)→英語・仏語macaroni、
というように、小麦粉に水を混ぜてペイスト状にして作る
マカロニの語源にもなってる。そして、
現在、日本で一番人気のラデュレはもとは製粉業社であるが、
その看板商品のmacaron(マカロン)も同語源なのである。ちなみに、
英語のmakeもmixも同源である。そのメイクはマックとも同源である。
故スティーヴ・ジョブズのマッキントッシュの"Mac"という語も、
「~の子」を表すスコットランド・アイルランド系のサーネイムであるが、
「~の子」とは「~から生じた」「~から作られた」
という意味なのである。さらにちなみに、
mg-、mc-という語幹を持つmagmaも同源である。
magmaは地中のペイスト状の物体という概念なのである。

ボジョレ・ヌヴォと対極なのが、ボルドの一級ワインである。
1990年代のラフィット・ロトシルトは私がもっとも好きなワインだった。が、
今世紀になっては中国資本(その原資は日本からのODAだが)に
毒されてしまったので私はもう飲まない。もっとも、
最悪の年である1978年のラフィットを31年経ってから飲んで、
舌が極上の熟成を感じだとか讃美し自慢するような、
無知蒙昧で味のあの字も解らない輩もいる。これには
さすがに呆れかえってしまった。ともあれ、現在、
新婚の国王夫妻が来日中のブータンも、
その冬虫夏草を狙う中国が道路建設工事を行ってる。そして、
ブータンは中国との国境の北部地区を侵蝕され、
国土の18%もが中国にガメられたという。
"国民総幸福量世界一"も"空中楼閣"である。そのため、
これまで防衛を依託してきたインドだけでは心許なく、
若き国王は震災に義援金を出し、日本に助けを求めに来たのである。
だからこそ、
御主人様中国の犬である民主党は、防衛大臣が
党のパーティの先約があるからという不遜な理由で
ブータン国王夫妻を歓迎する宮中晩餐会を欠席するという
暴挙に出たのである。反日勢力と親しい女性皇族も
もちろん欠席だったいっぽう、秋篠宮妃殿下はご出席された。
日本がどういう道を辿るかは私などにわかるはずもないが、
本当にこのままでいいのだろうか?
好きだった女性タレントが韓流好きだとか
朝鮮料理が好きだと知って一気に熱がさめた、
という男性がけっこういるらしい。
日本もまだまだ捨てたものではないと救われた気がした。
コメント (2)
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