チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「『下衆』『ヤバい』が語源はかくやありけむ。 I guess」

2011年11月15日 00時25分35秒 | 語彙の歴史観・ロック、ゴウゴウ
テレ朝の20時からの今夜の「Qさま/プレッシャー・スタディ」は、
「東大&京大軍団」だった。そのメンバーのひとりは、
東大文3から工学部、東大大学院、そして、
マッキンズィー&カンパニー、という華麗なる経歴の
女お笑い芸人石井てる美女史である。
しょっぱなの1問目に同女史は、
さすが、アンタッチャブル山崎(ザキヤマ)の
下衆ヤバ夫芸が好きというだけあって、
「椿事」を選んだ。キャンタマではないにしろ、
チンじ、である。そして、
2問目に選択したのはその持ちネタである英語の憶えかた、
occupy(オキュパイ=男が占領したいのは"大きいパイ")
を活かした「乳帰る」の菊池寛である。ちなみに、
いまは父親が会社から帰ってきても子供も奥さんも、
口きかん、ということが多いらしい。ともあれ、
京大卒ロザン宇治原と東大卒三浦女史が正解して、
お笑い芸人伊集院光が誤答し、
勝敗を決したのは「米」偏だった。
イタリア語でrisoは「米」とは別に「笑い」を意味する(※)。

【下衆(ゲス)】
巷でこの語は、
「心根の卑しいこと。そのような人」「 身分が低い者」
などと説明されてる。ところが、その
由来・語源にまで言及はしてない。が、
私は以下のように解す。

「下司・下種・下衆」はもとは律令制下で、
[従五位下(上司)←│→正六位上(下司)]
で分かたれる昇殿を許されない位階身分の
地下人(じげにん・しもびと)のことを指した。それが、
→「身分が低い者」→「出自が卑しい者」
→「性根が卑しい者」
という意味に転化してったものである。
たとえば、平安中期の
「大和物語」第148段(いわゆる蘆刈伝説)では、
・あひ知りて年頃ありける女も男も、
いと【下種】にはあらざりけれど
・さすがに【下種】にしあらねば
という使われかたをしてる。そして、その半世紀ほどのちの
「枕草子」には、
・【下衆】の言葉には必ず文字余りたり。
・もの聞きに宵より寒がりわななきをりける【下衆】男
・【下衆】の家に雪の降りたる。
また月のさし入りたるも、いとくちをし。
・【下衆】の紅の袴著たる、
このごろはそれのみこそあめれ。
・若くてよろしき男の、【下衆】女の名を
言ひなれて呼びたるこそ、いとにくけれ。
・旅立ちたる所にて、【下衆】どものざれゐたる。
・わびては、すきずきしき【下衆】などにても、
人に語りつべからむにてもがなと思ふも、
けしからぬなめりかし。
・さかしきもの……【下衆】の家の女あるじ。
・いと寒きをり、暑きほどなどに、
【下衆】女のなりあしきが子負ひたる。
・をかしと思ふ歌を草子などに書きて置きたるに、
言ふかひなき【下衆】のうち歌ひたるこそ、いと心憂けれ。
のごとくあふれてる。
清少納言はことのほか「ゲス」という響きがお気に入りだったのか、
かように多用してるのでげす。エエ、エエ、エエ。でもそれなら、
「枕草子」の冒頭第1段なんかも、
<<春は曙でげす。だんだん白くなってきてる山際の空でげすが、
 少し明るくなっててでげすね、紫がかってる雲が
 細くたなびいてるでげすのが、いともお見事でげすねえ>>
のようにすればいいようなものだが、それだと、
濁少納言になってしまうかもなので、
泣くなく踏みとどまったのかもしれない。ともあれ、
この語がお気に入りといっても、もちろん意味は否定的なもので、
清少納言は"ゲス"を見下してるのである。
清少納言の父親清原元輔の官位は従五位上、
曽祖父清原深養父は従五位下……かろうじてクリアしてるから
言えたのである。

おそらく、
清少納言のような女性からみれば、
prostituteとかhookerとかputainとか、
whoreとかbitchとか、pornstarとかは、
罵りの対象となる下衆女なのだろうが、私のような
すべての素人女性から相手にされないキモ男にとっては
"ヤバい"ほどの天使である。

【ヤバい】
この語も巷では、
「危ない、悪事が露見しそう、身の危険が迫ってる」
「日米戦争後に闇市で広まった」
「1980年代に若者の間で、怪しい、格好悪い、
という意味で使われるようになった」
「1990年後半あたりからは、凄い、病みつきになりそうなくらいいい、
という肯定的な意味でも使われるようになった」
などと解説されてる。たしかにその通りではある。が、
その語源に関しては、怪しい。まさに、
(旧来の意味で)ヤバい、のである。たとえば、
「具合悪さ」「不都合」を意味した盗人や香具師の隠語だった、とか、
戦前に囚人が看守をヤバと呼んだのが由来だ、とか、
彌危ない(いやあぶない)が語源である、とか、
夜這いが元である、だとか、
犯罪者を収容した牢屋敷を厄場(ヤバ)と言った、とか、
いいかげんな説明がなされてる。
出川哲朗もそんなゲスの勘ぐりのようなことは言わない。

たとえば、
私が男が多く女性が少ない江戸の町人だったなら、
性処理はプロ相手にすることだろう。ところが、
新旧吉原のような公娼へは私のような
稼ぎと頭髪の薄い男はなかなか行けない。すると、
支障をきたすので私娼に頼るしかない。
いわゆる非合法の岡場所である。
品川、千住、板橋、内藤新宿などのいわゆる
飯盛り女である。が、そうした非認可娼館を
幕府は何度も取り締まった。
吉宗の時代の延享3年(1743年)に
非認可娼館の一斉取締まりが行われて、
手軽な風俗店が消えてしまう。すると、
吉原に行けない客相手の闇風俗が生み出されるのである。
それがたとえば、比丘尼だったり、湯女だったりする。が、
天明7年(1787年)には吉原が全焼してしまうのである。
その年に老中上座になった松平定信が寛政3年(1791年)に
風紀粛正の強化を図った。風呂も混浴禁止である。さらに、
定信が失脚したのちの寛政6年(1794年)には
吉原がまた火災に見舞われてしまうのである。
そうなったら、私のようがしがない男は、
さすがに夜鷹は"ヤバい"ので、
にわかに増え始めた「揚弓場」に通うことにするだろう。
寺院の参道や門前、境内の隅、それから、不忍池の片隅、築地あたりに
「弓矢を打つ」娯楽場があったのだが、
それを風俗にしたものである。
手取り足取り弓矢のつがえかたから、構え、
打ち起こし、分け、会、などを教えて……くれるわけがない。
的の畳の裏でコトを行うのである。が、
表向きは「弓矢を打つ娯楽場」なので、
実際に弓を引いてるのである。だから、
他の客が引いた弓に射貫かれる危険があった。だから、
「矢場」=危ない。ヤバ→ヤバい、のである。

このように私は解すのでげす。エエ、エエ、エエ。
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「Good JOBS!/エテン(CH2=CH2)の東とランゲルハンス島の夕べの祈り」

2011年10月08日 00時29分07秒 | 語彙の歴史観・ロック、ゴウゴウ
かつて、
「appleをbite(byte)すると歯間からマッキントッシュのキットカットがでませんか?」
という故福田豊士のデンターライオンのTVCMでのセリフが
流行ったことがあったかなかったか、
<<スコットニモマケズスカリーニモマケズ雪ニモ夏の暑サニモマケヌJobsなカラダヲモチ
 欲ハナク決シテオコラズイツモシヅカニワラッテヰル。
 一日ニリンゴ4コト味噌トスコシの野菜を食ベ……>>
という宮沢賢治が菜食主義者だったかどうか判らない
拙脳なる私には記憶がない。

いわゆるシチリア島でカノジョを背後に乗せてスクーターを駆ってて、
壁に激突して脳を強打したことがもとで昏睡状態だった
テノール歌手のサルヴァトーレ・リチートラが脳死に到って43歳で死んだのは
一箇月前のことだった。肝臓・腎臓・角膜が、
臓器移植用に提供されたという。カノジョのほうは軽傷だったらしい。
3.11のときはすみやかに被災地に対する応援メッセージを送り、
先月中旬にはボローニャ歌劇の来日公演で来るはずだった。いっぽう、
"皇帝""七冠馬"シンボリルドルフ号はヒトでいうと100歳超の馬齢30歳で老衰死した。
生物は同じ種内でも寿命は個々それぞれである。
今年のノーベル医学生理学賞を与えられた3人のうちのひとり、
ラルフ・スタインマンは膵臓癌でその発表の3日前に68歳で死んだ。
1868年にパウル・ランゲルハウスがヒトの皮膚の表皮から皮膚免疫を司る
樹状細胞を発見したが、1973年にマウスの膵臓からも
同様の細胞を発見したのが、スタインマンである。ちなみに、
樹状細胞(dendritic cell)と命名したのもスタインマンである。
4年前に膵臓癌がわかったスタインマンは、自らが研究対象としてた
樹状細胞による免疫治療を施してたという。

他の部位の癌と同様に、ひとくちに
「膵(臓)癌」といってもさまざまな種別がある。
悪性良性含めた膵腫のうち、主要タイプなのは、消化液である
膵液(いわゆるアミラーゼ)を作る膵管の細胞が腫瘍化するタイプで、
これはほとんどが悪性でかつ極めて予後が悪い。いっぽう、
池の中蛙の卵のように膵臓の中の浮島のように存在し、
インスリンを作る細胞を持つランゲルハンス島の細胞が腫瘍化するものもある。
こちらの症例はもっとも稀である。
これは良性が多いので、悪性はさらに稀である。が、
そのうちのひとつはインスリノーマとも呼ばれる。
故スティーヴ・ジョブズが罹ったものである。
膵管の癌よりも進行が遅いと一般にはされてる。
神経内分泌細胞が腫瘍化するわけで臓器自体が原発ではないので、
悪性の場合は逆に播種や転移は早い(と私は思う)。実際、
ジョブズには肝転移が早くからあったのだろう、
俳優パトリック・スウェイジが膵臓癌で死んだ2009年に、
肝機能不全に陥って肝移植手術を受けてる。

ジョブズは狂信的ヴェジタリアンだったそうである。
動物性脂肪の摂取過多が癌のひとつの因子と考えられてるうえ、
一見、癌リスクがもっとも少ないように思われてる
菜食主義がいけないというのではもちろんない。が、
アップル(マッキントッシュはリンゴの一品種、和名=旭)を社名に冠するほどの
リンゴ好きなジョブズのように果物ばかりを摂ってると、
食後に急激に血糖値が上がり、中性脂肪が増加する。
健康にいいからといって特定の食材に偏ることはあまりいいことがない。
食事は多種をまんべんなく摂るのが無難なのである。ジョブズは、
ヴェジタリアン、つまり偏食家であることが命取りだったかもしれない。ともあれ、
"Eat an apple on going to bed,
And you'll keep the doctor from earning his bread"
「(直訳的大意)ベッドに入るときにリンゴを1個摂りなさい。そうすれば、医者が
       ブレッドを稼げないようにできますよ」
という言葉が英国にあったように、たしかにリンゴは
"健康食"である。が、この言葉の
"on going to bed"という語句をおろそかにしがちである。つまり、
就寝時にリンゴを食うのが健康にいい、と言ってるのである。現在ではよく、
「夜9時以降には絶対に食べてはいけない」
と言われる。が、私はそうは思わない。むしろ、
朝、たとえば、7時までの10時間以上を空腹にしとくほうが
よほど体に悪そうな気がする。空腹だと寝つけないという人も多い。

仕事柄、QuarkXPressを使わなければならなかったので、しかたなく
マックを一台持ってたが、アドビのInDesignができて
ウィンドウズで事足りるようになってやっとマックとおさらばできた。
というように、私はマック嫌いだったのでジョブズのこともあまり知らないが、
ジョブズがアップル社を作るにあたってその社名をファンだったビートルズの
アップル・レコードから採ったかどうかも知らない。ともあれ、
上述したように、その製品であるマッキントッシュという名も、
カナダのリンゴの品種名から採ったそうである。
"Macintosh"は、スコットランド系の人名(サーネイム)によくある
「~の倅」を意味するMac~、Mc~といった語を頭につけたもののひとつである。
"Intosh"とは"Leadoffman""Leader""Chief"を意味するケルト語系の語である。
"MacIntosh"は"MacanToisich"が時代とともに変型したものである。
ジョブズは世の中を変える分野で"Leadoffman"となるべく、
その名を製品に冠したのかもしれない。

<<人間(じんかん)五十年。エテンの内をくらぶれば、夢、幻の如くなり。
 一度生を享け滅せぬもののあるべきか。
 これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ>>
「(拙大意)人間界の50年は化天の世のうちの夢や幻ほどの短いものである。
     リンゴから発生するエテン(エチレン)ガスが果実の成長を促進して
     生から死への時間が短く感じれてしまうようなもの、
     と思ってもらってもいいさ。どっちにしても、
     生きてれる時間なんてたったそんだけのもんだよ。
     質量を持つニュートリノが、質量はなくその速度は不変と定義しただけの
     光よりも速く飛んでも特段不思議はない。そんなことは瑣末なんだ。
     だって、時間の流れは不可逆で、どう転んだって逆戻りはしないんだから。
     どうだ、むなしいだろ? これで解っただろ?
     ひとたび生を受けて死なない者なんているだろうかね、いや、いないんだよ。
     生きとし生けるもの、マッキントッシ・イントッシものはみな、
     晩鐘を聴く前だろうがあとだろうが、遅かれ早かれ死ぬんだ。
     だから、このことを菩薩さまが播いてくださった悟りへの種だと
     気づかないとしたら、そんな阿呆なことはないってことさ」

ニュートンのリンゴの木やメンデルのブドウの木は、その遺伝子がそっくり
接ぎ木として世界中に配られた。日本にはいまも、
北緯35度43分3秒の小石川植物園にある。
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「赤とんぼ考(その3)/山田耕筰(後篇)アクセント悪銭ともに身につかず」

2011年09月17日 23時43分44秒 | 語彙の歴史観・ロック、ゴウゴウ
単価が低くて稼ぎの薄い私は今連休も煎餅焼きの一環で
関西方面に来てる。昼はどしゃぶりの雨に見舞われ、
ヘロヘロになってホテルに投宿して関西系のTVをつけて関西系の番組をみてたら、
昔の知り合いのタレントのおねえさんが出演してて笑ってしまった。というのは、
つい先日、東京で何年かぶりにばったり会って互いに急いでて
とりあえず月末に食事をする約束だけをして別れたので、
関西での仕事をしてるとは知らなかったからである。

山田というのは全国的に多い名字ではあるが、
大阪を中心に関西に特に多い。ところで、
文化庁が毎年行ってる国語に関する調査を、今年は
16歳以上の男女およそ3500人を対象に実施した結果が
先日発表された。今回の設問に、
[雨模様]の意味を尋ねるものがあって、
正解の"雨が降りそうな様子"と回答した人は43%だったのに対して、
本来の意味ではない"小雨が降ったりやんだりしている様子"
と回答した人は47%だったとのことである。しかも、
おそらくは選択式の回答だろうから、選択肢を与えられなかったら、
"正解率"はもっと低かったはずである。いずれにしても、
今日の関西方面の天気を言い表すのに、
[雨模様]は[的を射て]もないし[的を得て]もない。ともあれ、
この調査結果を日テレの「スッキリ」でも紹介してた。そこで、
テリー伊藤が亡くなった金田一(テリーは春彦という名が出なかった)さんが
言葉は変化するものだから間違った意味が多数に認識されてそれが
まかり通ったとしてもそれでいいと言ってたという旨のコメントをしてた。

山田耕筰は歌を作るにあたって歌詞の日本語の(高低)アクセントに
"忠実"な曲づけにこだわった、といわれてる。だから、
♪ゆ<う・やー・ー<け│<こ<や・<け>ー・>のー│
 <あ>か・とー・<んー│<ぼー・ーー・ーー♪
という節回しにしたのだという。この箇所の
(すべてを網羅するのは厄介なので初めの2句だけ取り出すと)
歌詞のmoraごとに区切った高低アクセントが、
[ゆ↑う→や→け、(↓)こ↑や→け→or↓の、(↓or→)あ↑か→と↓ん→ぼ]
であれ、
[ゆ↑う→や→け、(↓)こ↑や→け→の、(↑)あ↓か→と→ん→ぼ]
であれ、
当然ながら完全に一致することはない。そもそも、
日本の(近代)詩には欧米の詩歌のような
押韻も雙葉も女子学院も豊島岡女子も慶應女子も愛国も蒲田女子もない。
そういう詩にアクセントの整合性をくっつけようとしても、土台それは
ナンセンスというものである。

他の歌謡歌手と違って音楽学校を出てて、表では
クラシックのバリトンとしても歌ってたことを鼻にかけてた藤山一郎は
岡晴夫と双璧をなす音程が非常に悪い歌謡歌手だったが、この人物は
"日本語のアクセント"に山田耕筰以上にこだわったらしい。
NHKの紅白歌合戦の終幕の「蛍の光」を指揮してたが、そのとき、
歌の初めの[ほー<たーー→る→のー]という箇所だけを
けっして歌わなかったという。
[蛍]は[ほ↓た→る]であるから[ほ↑た→る]という
音のつながりが許せなかったとのことである。が、
同人が歌ってヒットした歌謡曲には、たとえば、
長崎の鐘が[なー↓るーーー]と平気な面で歌ってたし、
他にも無数に同様の例がある。さらには、
てめえが"作曲"した「ラジオ体操の歌」では、
♪あたらしい朝が[きた]♪の[きた]を
[ド<レ]とあててる。が、それでは、
[き↑た]となって[来た(き↓た)」ではない。
[胸(2度出てきてそのどちらも)]も[大空]も[健やかな]も[風]も、
間違い。1番の歌詞だけでもこれだけの瑕疵だらけの体たらくである。

さて、
[あかとんぼ]という語に対して、山田耕筰の弟子の
團伊玖磨がアクセントが身についてないとイチャモンをつけた話は
さかんに語られてる。茅ヶ崎に住んでたこともある
山田耕筰の[こうさく]と鎌倉に住んでた團伊玖磨の[だん]を併せて
"作曲"時のペンネイムにしたのが加山雄三であるが、
桑田佳祐は[やまだいくま]という名は使わなかった。それはさておき、
山田耕筰の「赤とんぼ」
[作曲当時の東京でのアクセントは"あ↓か→と→ん→ぼ"だった]
というオチで決着されてる。池田弥三郎も古今亭志ん生も
[あ]が高いアクセントで話してた、ということである。ゆえに、
[あ]が[ラ]で、つづく[か]がそれより長6度低い[ド]、
と山田耕筰は"作曲"したのだそうである。
高い[ド]でも西永福でも桜上水でも、
[シ]も高い[ド]でも明大前でも、序奏とアレグロでもないのだという。
山田の「赤とんぼ」はそういう理屈で
"1番"の歌詞は"正しい"日本語のアクセントに従ってる、
と裏づけされたという。が、所詮、
"2番"以降はもともとの語が違うアクセントを持ってる詩なので、
アクセントに合わせるなどということ自体、
それほどの意味を持たない。

山田耕筰は指揮の弟子である近衛文麿と大正14年に、
「日本交響楽協会」を設立した。が、
現在でも文化庁からの補助金を
複数のオペラ団体が不正に請求した問題が露見したように、
こういう団体や協会では横領が発生しやすい。
山田は寄席のトリのごとく儲けを占し、
多数の楽員にはその一部を山分けさせたことで団員の怒りを買い、
追い出されてしまったという。その結果、
山田は借金を負い、都落ちして茅ヶ崎に居を構えた。そして、
オケの仕事がなくなって、それまでバカにしてた
「童謡」であったが、北原白秋の童謡詩の人気に目をつけた。
東京までの往復で利用してた湘南電車で揺られながら、
山田は童謡の曲付けにハゲんだという。すでに作られてる
童謡詩に曲をつけるのであるから、現在の、
まず曲ができててそれに売れっ子作詞家の大先生が歌詞をつけるのか、
歌詞に歌謡歌作曲家の大家があとから曲をあてるのか、
どっチガサキかという問題はなかった。いずれにせよ、
横須賀線のグリーン車内でラップトップを開いて仕事をしてる
現在の会社員とまったく同じ風情である。

[あ↓か→と→ん→ぼ]
というアクセントは本当に当時の東京の"主流"だったのだろうか。
現に山田と同じく東京生まれの團伊玖磨が
上記のアクセントがおかしいと詰め寄ったのは、
[あ↑か→と↓ん→ぼ]
というアクセントが当然だと思ってたという証左である。
山田が「赤とんぼ」を"作曲"したのは、
昭和2年(1927年)のことである。團伊玖磨3歳のときである。
アクセントは子供のうちから身につく。だから、
山田が"作曲"した1927年には[あ↓か→と→ん→ぼ]だったアクセントが、
團が少年期の1930年代に入って突然、
[あ↑か→と↓ん→ぼ]にヤゴのように不完全変態したとしか
説明がつかない。ここ20年の関西芸人東京進出で、
東京アクセントが関西アクセントに替わってった例は多い。
昭和までは[二月]は東京では[に↑が→つ]だったが、
現在では東京生まれの若者も[に↓が→つ]と何の疑いもなく言う。が、
昭和初期にそのような要因はなかった。

ところで、
[あかとんぼ]という語は[赤]と[蜻蛉]の複合語である。
複合された当初はそれぞれに原型の姿が主張されがちで、それが
やがて自然の流れで全体で一語だったかのようなアクセントに様変わりする。
NHKのアナウンサーが平成初期までこだわってた
[甲子園(こ↑う→し↓え→ん)]+[球場(きゅ→う→じょ→う)]

[こ↑う→し↓え→ん、→きゅ→う→じょ→う)]
も、現在では、
[こ↑う→し→え→ん→きゅ↓う→じょ→う)]
と元から一語だったかのように発音されてる。こういう原理でいえば、
[(東京)あ↓か/(関西)あ↑か]と
[(東京)と↑ん→ぼ/(関西)と↓ん→ぼ]が合わさって、
[(東京)あ↓か→と↑ん→ぼ]
[(関西)あ↑か→と↓ん→ぼ]
だったはずである、初めのうちは。それが自然の流れにしたがって、
あるいは関西系が優位に立って、
[あ↑か→と↓ん→ぼ]に不完全変態したことになる。が、
言葉というのはそういう単純なものでもない。それより、もともと、
東京でもどちらも言われてたものだと推察できる。
子供の言葉のアクセントは昔は母親、学校の教師、級友の影響を受けた。
現在ではtvの影響がほとんどである。だから、
関西系芸人が主流のヴァラエティ番組での影響が
ほとんど全国の子供のアクセントを形成する。それから、
昔から首都の言葉はそこに流入してくる地方人の言葉が
とってかわることが少なくない。それは、
地方の"バルバロイな(ききなれない)"新しさをもたらし、
若者の間に浸透するからである。

東京や大阪(一部はそのかぎりではない)で主流だった
語頭以外のガ行鼻濁音が、
芸能事務所やレコード会社のプロデューサーによるレッスンや矯正を受けなかった
井上陽水、チューリップ、武田鉄矢、郷ひろみ、
松田聖子女史、坂井泉水女史、浜崎あゆみ女史
ら、福岡地方出身または福岡地方出身の親を持つ歌謡歌手、そして、
東京出身ながら八王子という、
埼玉や北関東あたりからの非鼻濁音区域の女子が
婚姻などで流入する地区で育った荒井由実女史の影響で、現在は
全国的に語頭以外のガ行も普通に非鼻濁音で発音されるようになった。
"美しい日本語"などという観念を私は抱かないが、
語頭以外のガ行非鼻濁音は歌謡曲に限らず、
TVのタレントやリポーターの言葉でも極めて粗野な響きに聞こえる。といっても、
三木露風とミッキー・ロークを聞き違えてネコパンチをかわせない程度の
拙脳なる私が感じることにすぎない。
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「handicap(ハンディキャップ)考/第13回世界陸上閉幕」

2011年09月05日 00時21分10秒 | 語彙の歴史観・ロック、ゴウゴウ
……日本新党滅却すれば非も亦た図々し……
土岐氏明智光秀の娘玉(ガラシャ)が嫁いだ細川家の後裔
細川護煕に小沢との縁を取りもってもらった
野田新総理の「泥臭い政治」発言で一躍脚光を浴びてるのが
「ドジョウ」である。私はウナギは好きだが、
「泥鰌を食うなら金をくれ」というくらい、
おそらく「どろついを(泥の魚)」が語源だと思われる
ドジョウが苦手なので食わない。が、
浅草が地元の知り合いは4人が4人とも、
「駒形どぜう」より「飯田屋」のほうが旨い、と言い張る。
前者のほうがはるかに創業が古く、
「どぜう」という表記を普及させたという
"ハンデ"があるためか、とくに地方人には前者のほうの
知名度がはるかに高い。泥鰌は
手ぐすね引いて釣るのではなくざるで掬うのかもしれないが、
テグで開催されてた世界陸上が終わった。それにしても、
TBSのスポーツ・アナのレヴェルは総じて低い。

女子800mは宇部三菱でも太平洋でも秩父小野田でもないが、
性別疑惑があるセメンヤをロシアのサーヴィナヴァ女史が抜いて優勝した。
二日前には、ハイジャンプでやはりロシアの子持ちチーチェラヴァ女史が
2m03で優勝。銀メダルはユーゴのブラシッチ女史が同高(試技回数の差)、
ディマルティーノ女史が2m00で銅メダルだった。ちなみに、
身長からどれだけ上を跳べたか、といえば、
ブラシッチ女史(193cm/203cm)=10cm、
チーチェラヴァ女史(178cm/203cm)=25cm、
ディマルティーノ女史(169cmcm/200cm)=31cm、
ということになる。これはいわゆる
ヌキといわれるもので、ブラシッチ女史など、
たったの10cm。チャチな記録である。かつて、
八木たまみ女史というハイジャンパーがいた。同女史は
身長164cmで跳躍最高記録が190cmだった(しかも、ベリー・ロウル)。つまり、
同女史のヌキは26cmで当時としては世界最高だった。だから、
銅メダルのディマルティーノ女史は文字どおり
ヌキん出た数字である。ちなみに、
現在の男子のヌキの世界最高は、
1978年にNY・マディスン・スクエア・ガーデン(室内)で達成された
米国のフランクリン・ジェイコブズ選手(身長173cm-232cm跳躍)の
59cmだということである。屋外記録は、
1992年にロング・ビーチで記録された
リック・ノジ(日系米国人)選手(身長173cm-231cm跳躍)の
58cmなのだそうである。

レスリングやボクスィングなどは体重による階級分けがあり、
ほとんどの分野で性別分けが設けられてるにもかかわらず、
こうした陸上競技には身長・体重による区分けがない。が、
いっぽうで、今回の世界陸上の男子400mには、
両足義足の選手が出場して準決勝に進出し、また、
4*400mリレーでは予選でその一員として走ったため、
銀メダルを授与された。

さて、
"handicap(ハンディキャップ)"の語源について、
巷に普及してる説はいくつかある。が、どれも
判デ押したようにはっきりとした起源は示されてない。ただ、
"hand-in-cap"に由来するらしいことに関しては
いずれも同じである。ともあれ、
現在、大多数が連想する
「競技やゲイムで力量の優る者に与えられる特別負荷措置」や
「なんらかの身体的または知的障害」といった意味は、
元来の意味から派生したもので、本質的ではない。
私は"handicap"の起源をこう推測する。
"hand-in-cap"とは直訳すれば「帽子の中の手」である。
それでいいのである。
カード・ゲイムでの話である。ただし、おそらく
起源の頃である17世紀当時のゲイムを、
我がやどのいささカヴでの保存がよろしくなかった
1988年のシャトー・ラトゥールを夏場に冷蔵庫で12度にして
赤ワインでも冷やしワインとして飲んでしまうほど
拙脳なる私は知らないので、
現在のカード・ゲイムの主流であるpokerを例にとる。

"hand"とは「賭け金」「額」のことである。そして、
"cap"とは「上限」のことである。
こうしたギャンブルにおいては、勝負は
偶然の輸贏だけでなく、実は資金力も大きくものをいう。
持ち金に余裕がある者とない者とでは、
"同じテイブル"につくことはできないのである。たとえば、
Aは1万円賭けよう、と言うのに、Bは千円、さらに
Cは百円しか賭ける銭がない、
ということであれば、賭けは成立しない。
「同額どうしを張る」ことが賭けの前提だからである。が、
帽子をひっくりかえして、その中に各々が出せるだけの
賭け金を手に握って入れてごっちゃまぜにしてしまえば、
「総賭け金の内訳はわからなくなる」ので、
「持てるAもジェントルさを愛でられ、スカンピンのCのプライドも傷つかない」
というわけである。これは、
現在のpokerにおいて、上限なしのゲイムであっても、
賭けれる額は手札が決まった時点でテイブル上にあるチップだけ、
というルールに残ってる。つまり、これだと、
持ってるチップが最少額のプレイアーの額までしか皆賭けれないのである。
この「配慮」は各方面において次第に
「技量に優劣がある場合」の「釣合」措置となってったのである。
ハンディキャップを負った人にそれ相応の配慮をすることが、
現在では「ハンデ(ィキャップ)」という認識になってる。
それはそうあるべきではあるのだが、
過度に配慮してるきらいがあるようにも思える。その点、
今回の世界陸上で両足が義足の選手が通常の選手の中で
出場したことは、いろいろな意味で意義のあることだった。

それにしても、
私など、低学歴・低収入・丁バック好き、という三重テイ苦を背負ってるのに、
優しい言葉をかけてくれるお姉さんも、
同情の手を差し伸べてくれる女性も、皆無である。
これはまさしく不公平そのものではないだろうか!
[煎餅焼けど、煎餅焼けど尚、
我が暮らし、楽にならざり。
ぢっと汗ばむ掌を見る]
[とんぼが淋しい枕にとまりに来てくれた]
トホホ。
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「団鬼六と団塊の世代」

2011年05月11日 00時46分01秒 | 語彙の歴史観・ロック、ゴウゴウ
SM小説の巨匠である団鬼六(ダン・オニロク、1931-2011)が
先日(6日)に順天堂大病院で死んだそうである。
食道癌らしいので、やはり呑兵衛、煙草吸いだったのだろう。が、
80歳まで生きたのだから、深酒・強い酒は癌のもと、
とはいっても、この人物には本望だったことだろう。
同人は月産500枚(200字詰め、いわゆるペラ)もの原稿を書くほどの
人気作家だったということである。ちなみに、
場末の売文夫である私は、今回の煎餅焼きは、
日曜の夕方から5時間で、400字詰め原稿用紙換算、
20枚を一気に焼き上げた。我ながらまだ元気だ、
と悦に入ったばかりである。それはどうでも、
一時は横浜の桜木町駅近く(横浜市中区野毛町のメリヤス工場跡地)に
5億円の豪邸(地上2階地下1階、将棋対局室に屋上ビアガーデン附き)で
優雅なアマ棋士の生活をしてたという。

ときに、
「えぇーーっ、私って、ドMだからぁーっ」
なんていう会話が臆すことなく交わされる昨今でも、
「SM」というタームは未だに憚られるのだろう、
「官能小説の第一人者」なんて表現がなされてたが、
「SM小説」以外の何物でもない。とはいえ、
団鬼六の小説をきちんと読んだことも、
その原作の映画を観たことも、まったくない。
私は変態、キモ男の女好きではあっても、
SMマニアではないからである。それに、
SM小説というものはたいていが、
「令嬢が金で売られてあられもない凌辱を受ける」
みたいな筋書きである(あらすじくらいは知ってる)。
キャラクターの設定がS男性目線なのである。
被虐女性自身にM願望があるというよりは、
高嶺の花を凌辱して貶める、という、
いわば本来の男性側の劣等複合サディズムが
作品を支配してるのである。そして、
そういう性向を持つ団塊の世代の男性読者に支持されてきた、
ということである。もっとも、
本人も実はSMの趣味はさほどなかったらしい。だから、
大衆迎合な作品が書けるのである。とはいえ、
その代表作である「花と蛇」は何度も映画化されてる。
やはり、何かしら秀でたものがあるのだろう。
古くは谷ナオミ、近年では杉本彩、そして、あの
小向美奈子が主演してる。が、
有末剛なる者の、お世辞にも上手とはいえない
「緊縛」が宣伝にTVでも流されてるのを見ただけで、
映画の本編を観たいとも思わなかった。ちなみに、
千草忠夫といい団鬼六といい、
いわゆるSM小説の両巨頭のいずれもが、
高校の英語教師だったという。

ともあれ、
団鬼六(ダン・オニロク)とはまた、
おどろおどろしいペンネイムである。
<「団」は女優団令子のファンで、「鬼」は鬼の気分で書き、
「六」は昭和6年生まれ>
というのが由来らしい。が、
団鬼六は彦根の映画館の倅で、その父も
作家を目指してたインテリである。団自身も
もとは高校教師というインテリである。そして、
将棋が大好きだったそうである。
中国の故事や漢字にも詳しそうである。
本名は、
「黒岩幸彦」
なんだそうである。
「黒岩」=「玄武」
である。
「玄武」とは北方を守護する中国の神である。
風水の北、黒い岩、にもあてはめられてる。が、
玄武神には脚の長い亀に
「蛇」が巻きついてる。それはともかく、
「団」=「かたまり」
である。
「かたまり」=「塊」
である。よって、
「団」=「塊」
である。で、
「土が固まって」→「岩」となり。
「塊」→「岩」→「rock」→「ロック」→「ロク」→「六」
つまり、
「団」-「鬼」-「六」
とは、
「細石の巌となりて」
という意味のダジャレである。
「日本を愛した作家」
だったことは確かである。ちなみに、
「鬼」という漢字は「死者の首を持って踊る」さま、
を表したものである。
三途の川の渡し賃は「六」文銭である。
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