チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「ウンター・ドナー・ウント・ブリッツ」

2005年01月24日 16時32分02秒 | スペードの女王さまの黒槍責め
よく、叱られることを「雷を落とされる」などという。まぁ、そういうときは、
こっぴどくドナーられるのであろうから、不思議でもない。が、
「バンパクでもいい、たくましく育ってほしい」
ワンパク坊主がオヤジに叱られる、という図は、
昔なつかしい風景である。それと、
♪ドナドナドォ~ナ、ドォ~ナァ♪……「荷馬車」なんてぇのも、
昔なつかしい風景である。そういえば、
1970年、三波春夫先生がおおいに歌ったとき、千里ニュータウンでは
「大阪万博」が開かれてた。太陽の塔。「芸術は爆発だ!」
昔なつかしい風景である。いっぽう、
(アメリカン)フットボールで「ブリッツ」といえば、
「前線」以外の守備が「クォーターバック・サック」狙いで
突撃する奇襲のことである。
古くは、我が国の「大阪夏の陣」にて大阪方真田隊が最後の逆転狙いで、
家康の本陣だけをめがけて突いた戦術がそれに該当する。
いずれにしても、フットボールのクォーターバックは、
ベースボールの大砲のような花形であった。
いまや、ヘッドコーチがスポットライトを浴びるご時世なのだが。
さて、チャイコフスキーの「スペードの女王」#6の続きである。
無調号→2♯。
 ゲル:「雷鳴、稲妻、暴風!」
このセリフの箇所は、ロ短の
♪【ミーーー>ド>ラ○○|○○<ファーーー>ファー】♪
1741年夏のヴィーンにおいて身元不明の無縁仏として処理された
ヴィヴァルディの「春」緩徐章(ラルゴ)、
♪【ミー>ドー>ラー|<ファ>ミ<ファーーー】♪
「眠れる羊飼い」の主題である。ときに、ヴィーン音楽界の大御所、
大ブラームスがその「最終交響曲」主章の主主題に採ったのも、
この「眠れる牧草地の羊飼い」主題だったのである。
♪【ミ|>ド、>ラ|<ファ、>レ|>シ、(>♯ソ)|<ミ】♪
さらに、緩徐章(ホ長)では、ヴィヴァ「春」終章(ホ長)の
♪ミン<ファ>ミ・ミー<ファ・ファーー・<ソー>ファ♪から、
♪ミーーン・ミーーン・<ファー<ソ♪とトランズレートしてるのである。
ちなみに、その恩人ローベルト・シューマンの「子どもの情景」の緒曲には、
ヴィヴァ「春」終章(ホ長)から、
♪ミ<ファ>レ<ミ>ド<レ>シー♪をそっくりペーストしてるのである。
それはともかく、ゲルの「雷鳴、稲妻、暴風!」に続くセリフは、
(拙大意)「『プリ・ヴァース』、俺は厳粛に誓いを立てる。
      あの人を俺のものにする。それが叶わないなら、俺は死ぬ!」
「神に誓う」のではない。『プリ・ヴァース』の「ヴァース」は、
「ヴィ」=複数からの転用疎遠2人称単数たる「あなた」ではなく、
元来の2人称複数「あなたがた」の前置格である。
もとより、「神」だったら「近親2人称」で呼ぶはずである。つまり、
『プリ・ヴァース』は『あなたがたの前で』なのである。すなわち、
「神」ならぬ、『雷鳴、稲妻、暴風』という「3位1体」の「自然現象」、
の前でゲルは誓いを立てるのである。神をも恐れぬだいそれた行為である。
TVドラマ「(邦題)ザ・ホワイトハウス」の第2シリーズ終わりのことである。
長年、秘書を務めてきてくれたランディンハム夫人が初めて新車を買ったとき、
車をおろしにいった帰り、酔払い運転の車にぶつけられて亡くなった。
日本なら、そのデスクには「花束=シュトラウス」を置いて弔意を表すのだが、
葬儀のあと、バートレット大統領はそのワシントン大聖堂内で、
なんと、タバコを吸ったのである。そして、その吸殻を床に捨て、さらに、
靴裏でふんずけてカテドラルをあとにしたのである。それが、亡き恩人
ランディンハム夫人の天国でのカテトナルことを念じてなのかは知らないが、
人間の神に対する怒りの火である。神をも恐れぬだいそれた行為である。
ロシアの一士官の行為ではない。一国の、世界一の国の、大統領のである。
それはともかくも、悪天候の中、ゲルが独り「戦ってる」とき、
vnセコとヴィオラによって弾きつがれる
♪○ラー>ミー>ラー、ミー>ラー>ミ♪という(短調の主・属)下降音型は、
翌年の「ハシバミ割り人形」の「お菓子軍とネズミ軍との大戦闘シーン」
でも使われるのである。が、それは「べト9」の冒頭に由来するものと推量する。
また、1823年の同曲と7年しか違わないベルリオーズの「幻想」終章、
「サバト鰯の夜宴の夢」にも、似たような音型が現れる。
さて、そうして「スペードの女王」#6は、ロ短で終止。1場がしまるのである。
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「スペードの女王#6((1場)最後の景(雷雨))」

2005年01月24日 16時30分04秒 | スペードの女王さまの黒槍責め
アッレーグロ・モデラート、C、無調号。
雷鳴による震動を表すためか、新藤英太郎ばりの大太鼓の登場である。
♪ドンドンドドンとドンドドン♪
が、あおい輝彦は出てこない。それはさておき、
 チカ:「セ・ノン・エ・ヴェーロ、エ・ベン・トゥロヴァート」
(拙大意)「それがもし本当のことでないにしても、よくできたオカルト勘平譚だ」
いきなりイタリア語である。プーシキンの原作を原語で読んだことがない
(もっとも、そんな機会があっても読めないのだが)ので、
そこですでに伊語だったのかは知らないが、チャイコフスキーの
「フィレンツェのおみやげ」だったのかもしれない。それはともかく、
チカとスリはゲルをつかまえて、
♪ソー<♯ソ<ラー>♯ソ<ラーーーー>♯ソ<ラーーーーーー♪
とツィターを伯爵夫人の床で爪弾いてみたらどうだ、と
そそのかすのである。ちなみに、オースン・ウェルズに呼ばれて
ヴィーンにやってきたアメリカ人ジョセフ・コットン、コトコト・コットン、
ファミレドシドレミファ~~~の役名はMartinsである。
それはともかくも、チカ&スリのふたりが去ると、
一天にわかにかき曇り、夕立の様相を呈してきたのである。といって、
「松本潤、桜井翔、相葉雅紀、二宮和也、大野智」が
飛び出してくるわけではないが、散歩人どもは、
蜘蛛の子を散らすように家路へと急ぐのだった。
ここで、コンバスが最低音の開放弦を通奏させる。
ところで、花札賭博(オイチョカブ)では、
手札が同種の3枚に重なると、「嵐」といって、「親」のみの「役」である
「4」「1」(シッピン)・「9」「1」(クッピン)をも、
どんな「花」をも、吹き散らしてしまう「役」なのである。
庭園に独りになってしまったゲルマンであるが、
トムのバラードの「お話」を復唱しつつ、「その気」になってきたのである。
かつて、放蕩三昧の大学生野郎だったマルちゃんという若者は、ある日、
友人と歩いてた。すると、突然、襲ってきた雷に打たれてしまった。
友人は即死。が、マルちゃんは無傷だったのである。
この「ケイケン」を「神の啓示」と「誤解」したマルちゃんは、以後、
「ケイケン」なキリスト者となり、「ローマの牝牛」の解放
のために立ち上がった、ということである。
「雷」→「カミナリ」→「神なり」という論法である。そして、
「人は十字軍として侵攻する代わりに寄進して与えられた免罪符によってではなく、
信仰によってのみ義とされる」と説いたのである。
べトの悪筆のために判読が難解で、ホントは「テレーゼのために」なのだ、
とか言われてる「エリーゼのために」はWoO番号が59だが、
マルちゃんが発表したのは「95箇条のテーゼ」だったのである。
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「トームスキィのバラードの悲愴度」

2005年01月24日 16時29分09秒 | スペードの女王さまの黒槍責め
蔵人のオヤジであるマイク真木が、前田ビヴァリと仲睦まじかったころ、
端ヤンのようにギターを抱えながら歌ってた
♪バァ~ラが咲いたぁ、バァ~ラが咲いたぁ♪は、
♪ドードド・ドー<レー|<ミーミミ・ミー<ファー|ソーソ<ラ・
 >ソ>ファファー|>ミーミー・ミ>レレ<ソ|>ミミ>レレ>ドー○○♪
タンタン・タヌキのブラームス庫之助大先生が、とある大学に、
♪キツネが来ぃ~たぁ、キツネが来ぃ~たぁ、あちゃらの、やぁ~まからぁ~~~♪
と、カツをいれ、浜口強固な心身の育成をはかるために書いた祝典序曲である。
「気合いだぁっ・気合いだぁっ・不撓フクスの精神だぁっ、オイ・オイ・オイ!」
さて、祝典、といえば、一般にはチャイコフスキーの「悲愴」3楽章は、
自身に対するお祝い、とか解されてるようである。それはともかく、
この楽章は、おおざっぱにいえば、
「ab|a´b´」という2部中2部形式である。そのb´部の
♪レー>ドッ>ラ♪に始まる8小節16ユニットにも及ぶ
ゼクヴェンツ(同型反復)の末にffffで打ち鳴らされる
「炸裂」時の和声進行は、
「ソ・ミ・ド」→「♭ラ・♯ファ・♭ミ・ド」
である。ところが、この特徴的な和声進行が、その3年前に書かれた
「スペードの女王」にも使われてるのである。すなわち、
「トームスキィのバラード」の後半、
メーノ・モッソにテンポを落とした箇所、トム伯が、
「伯爵夫人は、ホップ→ステップ→ジャンプ、
と3勝負ぶっつづけざまに張ってって、ついには擦った分をそっくり取り戻したのさ」
と物語るとこで、木管群と角笛によって、
クロード・モネのルーアン大聖堂の厚塗り筆致のように吹かれるハーモニーが、
それなのである。
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「キスウはメにして(ザ・ピーナッツとヴィーナッス)」

2005年01月19日 17時03分27秒 | スペードの女王さまの黒槍責め
♪ミ>♯レ|<ミ>♯レ<ミ、>シ<レ<ド|>ラーー♪
昔むかし、ヴィーンの街にベーゼホーフェンという壮年のおじさんがいて、
若い令嬢との「昼下がりのバガテル」を愉しんでた。ふと、試しに、
全裸のままベーゼ・ンドアファーの前の椅子に、令嬢を膝に乗せて腰かけた。
そして、二人羽織のようにして小品を即興的にこしらえた。そうして生まれたのが、
「襟ーゼのために」である。ベトおじさんは令嬢の襟首に
息をフッとさせながら、あるいは舌を這わせながら拍子をとったのかもしれない。
そして、「情熱の鼻」へ。が、そこらへんをキスをされるとキゥスグッタイので、
♪ハナっ、ハナっ、ハァ~~~ナァ~~に落ぉ~~ちそうぅ~~~、
ゆぅ~~うわくのコぅイぃ~~~~。わたしを、誘うぅ~~~~。
キッスは目にしぃてぇ~~~~~♪
と令嬢は甘えた。ベトおじさんが「ウィやつよのう」と
天井をアオゲば、そのとき、年の差・身分の差の男女に真のアイが生まれた。
※以上、このお話はフィ、フィ、フィ、フィ、フィクショォ~~~~ン、である。
いずれにしても、この頃まだビートホーフェンは花粉症ではなかったようだ。
鼻がグスグス・偶数いってたら、口呼吸しかできないので、
キスキス・奇数など、できっこないのである。
さて、ごくごくおおざっぱにいえば、
奇数とは、整数2で割ると1余る整数、である。チャイコフスキーの
「スペードの女王」=伯爵夫人が、聖ジェルマン伯から教わった
トランプ賭博「ファラオーン」の必勝の「3つの札」は、「3」「7」「1」。
どういうアンペールか、すべて奇数であった。不思議には思いませんか?
知ってみたいと思いませんかぁ? うふっふぅ~~~。ところで、
トランプの奇数札をちっちゃいほうから1個、2個というように足してってみよう。
(0)      +A      = 1=(1)^2(+記号の数:1)
(0)     +A+3     = 4=(2)^2(+記号の数:2)
(0)    +A+3+5    = 9=(3)^2(+記号の数:3)
(0)   +A+3+5+7 =16=(4)^2(+記号の数:4)
(0)  +A+3+5+7+9  =25=(5)^2(+記号の数:5)
(0) +A+3+5+7+9+J =36=(6)^2(+記号の数:6)
(0)+A+3+5+7+9+J+K=49=(7)^2(+記号の数:7)
最後、Kが登場するときには、トランプは「7枚」足されることになるのである。
して、その加算の計は「49」。「7」の平方数である。ところで、
「3」「7」「A(1)」……「必勝の3カード」に選択されてない奇数札は、
「9」「5」「J(11)」「K(13)」である。いっぽう、
ゲルマンは「3」「7」と、最初のふたつまでは順調にいってたのである。
その第1段の「3」に「9」を足すと「12」である。
第2段の「7」に「5」を加えると「12」である。
さらに、最後の「切り札」である「A」に「J」を合わせると「12」である。
いや、まことに「奇偶」である。
いずれにしても、ゲルマンの人生は万事「Q」することになってたのである。
プレート境界ジャンクション上の国である我が国は温泉大国であるから、
♪いぃ~~い、ユっダぁな、っはははっ♪
とか鼻歌いながら1日に何度でも漬かってしまうのであるが、
キリスト教世界で忌み嫌われる数の「13(K)」だけが、
「ペアをつくれない仲間はずれ」である。ゲルマンが選んだはずの「A(1)」と、
実際に(誤ってか、伯爵夫人の亡霊の魔法でか)選んでしまってた「Q(12)」を、
加算したものである。リーザというヴィーナスを得るために道を誤った
ゲルマンは3回めの最後の大勝負で、その婚約者だったエレ公を相手に、
トゥース(エース)という「奇数を〆にして」勝ちたかったのであるが、
それまでの2回の勝ちからいっきに落花生、そうはならなかった、のである。
伯爵夫人の亡霊がクスクス嘲笑してたかどうかは知らぬ。
ちなみに、「エリーゼのために」には作品番号がない。が、
ヴェアケ・オーネ・オプスの「番号」は59、奇数である。
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「ファラオーンと桃ーツァ太郎侍」

2005年01月17日 16時21分58秒 | スペードの女王さまの黒槍責め
「今月今夜のこのツキを、来年の今月今夜のこのツキを、
再来年の今月今夜のこのツキを、10年後の今月今夜のこのツキを、
わたくしの悔し涙で曇らせて見せるわよ」
と、ヴェルサイユ夜叉・伯爵夫人が言ったのがなぜ旧暦1月17日、
だったかのかは、トームスキィは「バラーすド」で教えてくれなかった。
リストランテ・ヒロの山田宏巳と神田川俊郎の顔は区別できても、
オッフェンバックとミンクスの顔の違いがつきにくい今日この頃である。
はっきりしてほしいものである。さて、
インディアナポリス・コウルツのQBペイトン・マニングが止められた。
さすが、NE・ペイトリオッツ、そして、ブレイディである。インディアナ州の
お隣州オハイオのスィンスィナーティで主に活躍した通産最多安打男
ピート・ロウズは自分が指揮するチームの「負け」に賭けた、
という「野球賭博」で大リーグ界から永久追放されてるのであるが、
伯爵夫人が「はまった」というカード賭博は、「ファラオン」である。
トムが「バラード」を歌い始める直前にこの言葉を口にするときの音は、
(ホ短の)♪ド・ド>シーー、つまり、「g・g>fisーーー」であり、
残念ながら「f、a」というような「ファ・ラ音」ではない。
さて、ここで、「ファラオン」というカード賭博について、簡単にふれておく。
田辺佐保子著「プーシキンとロシア・オペラ」(「未知谷」刊)に
その解説がなされてる。それによると、「スペイドの女王」中のカード賭博は
「ファラオン」とほぼ同じゲームの「シトース」というものだ、そうである。
なるほど、「死トース」な内容の物語にはふさわしいかもしれない。
「シトォ~ス、人世の生血を啜り、フタァ~ツ、不埒な悪行三昧、
ミッツ、醜い浮世の鬼、を退治してくれよう、桃太郎侍!」である。
それはともかく、ゲームは「親」と「子」の1対1の勝負である。
「親」「子」それぞれが1組ずつのカードを手にする。
たとえば東京都港区東五反田の「高橋さん親子」としよう。
「真麻さん」はその中から随意に1枚のカードを選択する。
「英樹パパ」は自分のカードをシャッフルしてから、
1枚ずつめくって自分の前に左右交互に札をあけてく。そして、
「真麻さん」が選んどいたカードと同じ「数」のカードが、
「英樹パパ」から見て「右」にあけられたら「英樹パパ」の勝ち、
「左」にあけられたら「真麻さん」の勝ち、となる。
これは、パスカル先生にお出ましいただくまでもなく、
「丁半賭博」である。よって、「英樹パパ」「真麻さん」とも、
それぞれが1度の勝負で勝つ確率は1/2である。であるからして、
「3」「7」「1」とそのつど順に選んで3連勝する確率は、
(1/2)^3=1/8=.125。存外、ありえる事象である。
「ポン、ポン、ポン、ポン、ポン、ポン、ポン、ポン!」
とトントン勝ち進んでしまっても、おかしくない。いっぽう、
負けたほうは、掛け金をいさぎよく払ラオーンよ、ということである。

いっぽう、カードの絵札「12枚」には、「オーシャンズ12」に
ジョージ・クルーニー、ブラッド・ピット、ジュリア・ロバーツ、
キャサリン・ゼータ=ジョーンズらがあてがわれてるように、
それぞれ神話・歴史上の人物、があてられてるのである。先日、
クルーニーを間近で見たが、叔母の七光りではない後光が射すイイ男だった。
いずれにしても、「スペードの12」は、ギリシア女神パラス=アテナイである。
男根神「pallas(パラス)」が女神アテナイをものにしようとして戦い、
敗れ、その体に取り込まれて合体したものである。
水戸家に「2代め」となるべき長男頼重が生まれたとき、
まだ尾張家と紀伊家にそれぞれ「2代め」が生まれておらず、上格両家を憚って、
頼重誕生を公表せずにおき、のちに尾張・紀伊に「2代め」が
誕生したのちに水戸家に生まれた光圀を後継にしたのだが、
気の毒に思った将軍家光が、長子頼重には分家高松藩松平家を与えた、という、
徳川体制細胞内の水戸黄門ドリアのようなものである。それはさておき、
「phallus」は「男根」の意である。「pallas」の同源である
からして当然である。いっぽう、
「pharaoh」は「エヂプトの王」である。カード賭博の
「ファラオーン」と同語である。ちなみに、
「王」がおわします建物は「palace」である。ときに、
「ラムセス2世」のお面のような形の帽子を被ってたから、
「ファラオーン」は当時のロシアの「おまわりさん」の蔑称にもなってた由。
「ツタン仮面」のマスクのアゴに伸びてるものは、
私のような下世話なものには「phallus」に見えるのである。
古代エヂプトでは男根が王の力の象徴だったのであろう、という
あざとい先入観がそうさせるのかもしれない。他方、
「phantasm」は「亡霊」。伯爵夫人に関連する。もうひとつ、
【モーツァルト】という「キーワード」は、この
「トームスキィのバラード」でも出てくるが、2幕はその音楽からの引用
……「木棺セレナード(ハ短)k.388」、「25番pf協(ハ長)k.503」
……に満ちてるのである。そして、
モーツァルトが属してたといわれる「フリーメイスン」には、
「錬金術」を研究する結社内ロッジがあっったそうである。ときに、
8つの貴金属のなかに、「パラヂウム」というものがある。
palladiumはpallasの神像、守護、お守り、であるが、
そこから命名された元素である。この金属は、水素をよぉ~く「吸引」するのである。
現在でも酸化触媒や金(きん)の割金(わりがね)、先物など、重宝されてる。
ちなみに、「パラパラ」は「神楽坂」にあったディスコから流行った盆踊りである。
なお、音楽教室時代からの友人ニカラーィ・カーシキンの回想録によれば、
チャイコフスキーは賭けごとにまったく関心がない人物だった、
そうである。が、いっぽうで、ある男と、
「カード賭博好きという共通点」で意気投合した、というほど、
チャイコフスキーはカード賭博好きだった、という。
カーシキンの「証言」は銀行のカーシキンコのように信用がおけるわけでなく、
ことごとく「鵜呑みにしてはならない」のである。
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