チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「スペードの女王#5(景とトームスキィのバラード)」

2005年01月17日 16時20分53秒 | スペードの女王さまの黒槍責め
「景」:アンダーンテ、C、無調号。
(実質)ホ短でヴィオラが弾く「欲望の動機」
♪ラ<シ>ラ>ソ>ファ>ミ>レ<ラ>ソ♪(音価無視)にのって、
 スリ:「なんというクソババア(原語の『ヴィェーヂマ』が
     そういう類の語であるので悪しからず)にてござろう」
 チカ:「化ケモン(これも原語の『ストラジーリシシェ』が蔑視語)よのう。
     ポケモンでのうても部屋を明るくしてなるべく離れて観るべし」
 トム:「なかなかに、『スペイドの女王』と称されたのは伊達ではござらぬぞ」
ちなみに、このトムの台詞の個所の節は、
♪ミ<ラ<シ<ド<レ<ミ>ラ♪(音価無視)。
後年、我が国では、バラードの神様中村雅俊歌うところの桑田佳祐大先生作
「恋人も濡れる街角バラード」の出だしとして知られるようになる。
♪ふ<し<ぎ<な<こ<い>は♪……それはともかく、
スリやチカが伯爵夫人のその『あだ名』の由来を知らないというので、
トムは自分だけが知ってる優越感で得意満面にベラベラしゃべりはじめる。
 「ではでは、御清聴くだされ……昔むかし、巴里の空の下、セーヌは流れる、
 シーンは流れるように移り変わる。伯爵夫人は美人の誉れ高こうござった。
 おのこなら誰しも熱をあげたものでござる。
 なんと、『モスクワのヴィーナス』とまで持ち上げられてたとやら。
 かのサン=ジェルマン伯も当時は色男で、夫人崇拝者のひとりでござった。
 しかるに、聖ジェル伯など夫人の眼中にはござらなんだ。
 夫人は夜通し賭けごとに溺れてたのでござる。世に、
 花より団子っ鼻とは申すが、夫人は色恋より【ファラオーン】でござった」
そして、トムの話は「バラード」となってさらに進むのである。
→アッレーグロ・コン・スピーリト、1♯(ホ短)。
♪ミ|>(<)ラーラ<シ・<ドー>シ>ラ|<レー>ド>シ<ミーー♪
 「今は昔、ヴェルサイユの『女王様の賭場』で、
 モスクワのヴィーナスがスッカラカンに擦っちまった。
 そのとき、聖ジェルマン伯もそこの客で、夫人のテーブルの隣に座っておった。
 伯は夫人が打ちひしがれてつぶやくのを聞いた。
 『ああ、神様。ああ、かみさま。
 3枚のカードの秘訣を胸にしたうえで、今一度、テーブルにつけたなら、
 擦ってしまった分を取り戻せようものを。3枚のカードさえ、3枚のカードさえ』
 伯はタイミングを選び、夫人が大勢の客の中で人知れずテーブルを離れ、
 ひとり静かに腰をおろしたときに、下心たっぷりに、
 【モーツァルト】よりも甘く囁いたのだ。
 『伯爵夫人、デヘヘヘヘ、1度だけ私とランデヴー(エッチ)してくだされば、
 その代わりに……もちろん貴女がおいやでなければですがな……よろこんで
 3枚のカードの秘密を伝授してさしあげましょうぞ』
 夫人は『なんですって!?』とブチ切れよった。
 が、伯はそんな激情でひるむような腰抜けではなかった。
 翌日、なんと、夫人は再び『女王様の賭場』に現れやがったんだ。びた一文持たず。
 夫人はすでに3枚のカードの秘密を知っておった。
 大胆に次々と張っていき、ちょうど擦った分の財産を取り戻すまで勝った。
 カード、カード、カード。
 のちに、夫人は夫にそのカードのことを打ち明けよった。
 夫人が夜に独りになったらそのときはすかさず亡霊が現れ、
 『おまえは死に致るほどの脅しを受けることになる。
 燃えさかる欲情にかられた第三の色男に。そして、
 その男はおまえから死を呼ぶカードの秘密を無理やり聞き出すことであろう』
 と私は脅されることになるのだ、とな」
このバラードの中で、「ジョソウ」で先取りされた
♪ラ|>ソーー>ファ>ミー、<♭シ|>ラーー>ソ>ファー♪
が、テンポを→クワーズィ・アンダーンテ、に落として、まず、
「オー、ボージェ(ああ、神よ)!」と2度つづけて夫人が嘆く個所。次いで、
「グラフィーニャ(伯爵夫人)!」と2度つづけて聖ジェル伯が囁く個所。
に、あてがわれてるのである。それから、
「トゥリー・カールティ(3枚のカード)」を
「3度」つづけて唱えるところが「3箇所」あるのであるが、すべて、
♪ラ<シ>ラ>ソ>ファ>ミ>レ<ソ>ファ♪(音価無視)
という「欲望の動機」をチャイコフスキーはあてがってる、のである。
さて、終いは、→ポーコ・ピウ・モッソ、に速めて、
♪トゥリ<カーーー|ーーーーーーーール|>ティ♪
とトムが唱えると、そのあとをオケが締めるのであるが、
「ホ短の主和音で終止」。
「ジョソウ」からずっと繋がってきたナンバー間のアタッカの関が、
ここにいたって初めて「閉ざされ」るのである。この箇所、
日本で12世紀に荘園で初演されたときには、
 義経:「なんトガシてくれ」
 弁慶:「弁慶、もう、コマツちゃうぅん!」
と地団駄踏んで義経に鞭打つ、という演出だったのである。
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「スペードの女王#4(5重唱と景)」

2005年01月14日 14時05分49秒 | スペードの女王さまの黒槍責め
私はロシアにもロシア語にも疎く、また、思考力もないので、
プーシキンの真意は量れるべくもないが、
「スペ女王」の主人公ギェールマンとサン=ジェルマン伯を、伯爵夫人を介して
「ゲルマン=ドイツ人=エカチェリーナ2世=女王(スペード)」
という項でくくってることくらいは解ける。そして、
ギェールマンの友人をなぜ、政治犯の流刑地のひとつ、西シベリアの
トームスクから採ったのかということも推し量ることはできる。
断定スることはできないが、プーシキンがいずれ遅からず
決闘死するように謀られそうな雰囲気が感じれるのである。が、
チィコーフスキィ兄弟がイリェーツキィ公を新たに創造した理由を探るのは、
なかなかに難しい。なぜなら、「イリェーツ」とは
モスクワから南南東に約3百kmの古い町であり、小学校の地理の時間に
採り上げられることもなかった都市だからである。また、「イリェーツ」とは
ウグイに似たコイ科の淡水魚のことを言うのだそうデース。
ウグイなら腹が赤いのであるが……。
こういう「役名の謎」について書かれた古文書(赤イヴ)でもあれば、
「フムフムフム、どうしたんだ?」ということにでもなるのであろうが、
残念ながら、ないと思う。専門の研究者たちには無関心事項であるようだ。
ならば、「ひと仕事、思いついた。うまい話があるぞ」、私が調べるか、
ということになるのかもしれないが、
他にすることが山ほどある私にはサンゾクの草鞋を履くことは無理である。

アダージョ、3/4、3♯。
リーザ、伯爵夫人、ギェールマン、トームスキィ、公爵(イリェーツキィ)、
の5人が、それぞれに「一抹の不安」を覚え、
それに怯える心の内を吐露ヴァイラスる重唱である。
→アッレーグロ・ノン・タント、C。
トム伯が伯爵夫人に歩み寄る。エレ公はリーザのもとへ。
伯爵夫人はゲルをじっと見つめる。
 夫人:「おしえていただけるかしら、あちらの士官はどなた?」
 トム:「誰のことですか? 彼? ギェールマンです、私の親友の」
 夫人:「ご家系は?……なんて不気味な感じの人なんでしょう!」
トムと夫人はともに舞台奥へとさがってく。
2ペットが「3カード動機」
♪【シ>ラ<レー・>ド>シ<ミー】、【ミ>レ<ソー・>ファ>ミ<ラー】♪
を吹くが、ここで、この動機が
「ジョソウ3段仕込み」の第1段め、すなわち、#5で披露される
トム伯の「伯爵夫人の過去をバラード」の一節から採られてたのだ、ということが
「クッキリ」浮き上がってくるのである。
♪ミ|>ラーラ<シ・<ドー>【シ>ラ|<レー>ド>シ・<ミーー】、
 ミ|<ファー>ドド・ドードド|<レー>ド<レ<ミー○♪
→ウン・ポケッティーノ・メーノ。
ハープの出番である。エレ公が腕を差しだし、リザに
「明るい未来」が待ってるのだよ、と将来を語るのである。
が、「伴奏」自体は不安な感じである。
そして、ふたりも舞台から消える。
→無調号。
いっぽう、ゲルはトムに語りかける。
「人生、厄ありゃ、苦悶あるさ。助さんもいりゃぁ、デオキシリボ核酸もいるさ」
遠雷。ゲルは暗く沈み、物思いに耽ったようになり、ベンチに腰をおろす。
低木管とコブシの効いたホルン、そして、ティンパニのトレモロが
減7で「遠雷」を醸しだしながら、次曲に移行。
とはいっても、石田えりがブルンブルン出てくることはない。
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「スペ女王#3(散歩人らの合唱と景)」

2005年01月12日 17時27分40秒 | スペードの女王さまの黒槍責め
吾が肺は2コである。名前はまだない。仮に、
右のを右肺、左のを左肺、とでもしておく。
右肺は3葉、左肺は2葉から成る。
散歩進んで二歩下がる、という動機に憑かれたチャイコフスキーであるが、
本当にコレラに罹患して敗血症を併発して死んだのだとしたら、
かなりの呼吸困難をきたしてたことであろう。それはともかく、
私は発生学にもうといが、左肺は中葉にあたるのが心臓なのかもしれぬ。ときに、
「心臓破りの坂」という言いまわしがあるが、東京でも指折りの急勾配の坂、
として知られてるのは、その名も「のぞき坂」、豊島区「高田」2丁目にある。
いっぽう、作家夏目漱石が生まれたのは牛込馬場下横町で、現在、夏目坂、
という地名になってるが、早大理工学部がある辺りである。
漱石は、中勘助の「銀の匙」を評価してたそうである。ところで、些事ではあるが、
現在、サントリー・ホールがあるアークヒルズ(森ビル)周辺は、
昔、麻布谷町と言ってたとこである。六本木の交差点から溜池に向かって
坂を下る六本木通りと、飯倉片町の交差点からやはり溜池方面に坂を下った道とが
合流する地点である。その名のとおりの「谷町」は、
現在は、わずかに首都高の「ジャンクション」にその名が残ってるだけである。
そして、女優故夏目雅子が生まれ育ったのはその辺りである。
輸入雑貨商の「亀甲屋」があった。ちなみに、
私は亀甲マンの輸入ワインもサントリーの輸入ワインも好きである。
が、亀甲縛りよりは高手小手が好みのサジストでもある。
ついでに、酒の席でオダテられるのも嫌いでない。ちなみに、女優
「高田」万由子女史が生まれ育ったのはサントリー・ホールの裏側の高台、
ホテル・オークラの向かいの瀟洒な洋館(今はもうない)である。
今は昔、コンジャクでもコンタックでも時の流れはセキ止めれないのである。

リステッソ・テンポ(アッレーグロ)、3/4、1♭。
♪ソッソ<ドーー>シ|>ラ>ソ>ファー>ミー♪
ヒトビトは、老いも若きも男も女も、明るいオテントさんをありがたがるが、
やはり、お年寄りたちは、昔がなつかしいようである。
このナンバーの六本木老若男女合唱団は、
ソプラノが若い女性ら、アルトが老女ら、テナーが若人ら、バスが老人ら、
である。合唱の中部では、これら4声がそれぞれ別の歌詞を
てんでに歌うのであるが、バスのご老人らは、
「かつてはもっといい天気に恵まれてたもんじゃ。いまはむかし、
エリザヴィェータさまの御代には……」
と、どさくさにまぎれて、じつに「アブナイ」セリフを吐くのである。
この「オペラ」の時代設定は、「ドイツ女」のエカチェリーナ2世在位中、である。
その姑であったエリザヴィェータ女帝(ピョートル大帝の娘、つまり、ロシア人)
の時代の「お天気」のほうが数段よかった、という
直截的な表現をしてるのである。ときに、
オペラ一般に、よく「読み替え」「新演出」などといって、
時代設定を現代に置き換えてるものがあるが、それではやはり、
作品の本質をないがしろにしてる「浅知恵」というほかないのである。
さて、やがて、ゲルとトムがやってくる。
トムはまだゲルの恋煩いをどうかしてやろうと親身になってきいてやってる。
 ゲル:「らちのあかぬおりにはただひとつ……」
 トム:「と申すと?」
 ゲル:「死、あるのみ」
ゲルは凝固体であるため、あるまでも頑なである。
♪ホッ、ホッ、ホォ~レテル、濃い。こっちのミィ~スは、コ~ロイド♪
と誘っても聞かぬのである。それはともかく、そうしてるうちに、
エレーツキィ公がやってくると、チカとスリが附いてくる。
 チカ:「お祝いを申し上げてよろしゅうございますでしょうか?」
 スリ:「ご婚約と聞き申す」
 エレ:「いかにも、ご両人。それがし、結婚の運びと相成り候」
それを聞いて、トムも祝いを述べる。
→アンダーンテ・ノン・タント。
エレはおのれの幸せに感謝し、ゲルは我が身の不幸を呪う、
というデュエットが展開される。そして、トムが、続いてゲルが問う。
 トム:「で、いったい、お相手はどなたでござる?」
 ゲル:「いかにも。どちらの姫君か、殿の花嫁は?」
そこへ、伯爵夫人がリーザを連れてやってくる。
エレ公は鉄道員のようにリザを指さして確認。
 エレ:「ヴォート、アナー(ちょうど、あちらに)!」
この箇所、クラが「3カードの動機」を「3回」、
くっきり、かつ、次第に大きく、吹く。
そして、ホルンが「タッタ・タッタ・タッタ・タッタ律動」を刻む。
エレの♪ヴォート・ア・ナーーー!♪は「イ」。対して、
ゲルの♪ア<ナーーー?♪は「嬰ト<嬰ハ」である。繋げると、
(嬰ヘ短の)♪ドーー>シ<ミーーー♪。
上記クラの3回めの「3カード動機」と合致する。ムス・エス・ザイン?
最終場面でゲルが「3カードの秘訣」を武器にエレ公と賭ける、ことを
前触らしてるのである。
ゲルは驚き、うろたえる。胸(肺や心臓)が張り裂けそうなくらいに。
(おいら、エレーつきのねぇー野郎だ!)
 トム:「かの姫君がおぬしの『名も知らぬ』意中のひとでござったか!?」
そのまま次曲になだれこむ。
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「スペードの女王#2(景とゲルマンのアリオーゾ)」

2005年01月11日 16時31分17秒 | スペードの女王さまの黒槍責め
今年もすでに11日め。谷桃子先生、84歳のお誕生日である。
ひさびさに「ジゼル」のDVDでも観てみようかと思ってしまう。ときに、
「ジゼル」は語頭がイ段であるが、作曲したのはアダンである。アンダマンではない。
スマトラ沖大地震&インド洋大津波はもう昨年のことになってしまったが、
最大余震がまだこれからかもしれない。それにしても、インドの対チャイナ防衛拠点の
アンダマン諸島の被害状況は、当然ながら、いっこうに報道されないのである。
今年は、独眼・片腕の英雄ホウレイショウ・ネルスンが自らは戦死しながら
(遺体はブランデー漬けにされて持ち帰られたというが、それほど酒好きの
大トラファルガーだったのかどうかは知らない)フランス艦隊に
「ヴィクトリー」した「トラファルガル沖海戦」から200年、そして、
「日本海海戦」から100年である。いずれも歴史的ワンサイド決着である。
ロシア皇帝もその取り巻きたちも、日露戦争は楽勝、
革命の気運を逸らし、朝鮮半島だけでなく、あわよくば日本までも
植民地にできる、と楽観してたそうである。実際、日本が負けてたら、
そうなってたことは確かである。石原裕ちゃんふうに夜霧に感謝しなくとも、
♪ジノォ~ヴィィ寄る、ロシアにぃ~~~、すすむ三笠よぉ~~~~~♪
ロシア皇帝は日本人をアビジヤーポシカと蔑んでたらしいがその軍隊には、
東郷ターンという知恵と武勇を予想だにできなかったのであろう。
「海女の原、不利避け見れば、僅かなる、三笠の弾に、出でし隙カモ」
ロシアのバルチック艦隊の司令官は、惨敗の末に捕虜となった
ジノーヴィィ・ロジェーストヴェンスキィ中将である。ちなみに、
「ラジヂシチヴォー」とは「誕生日(キリストの)」=「クリスマス」
という意味である。その形容詞形が「ラジヂェーシチヴィンスキィ」であり、
おおもとは「ロート」=「一族、家系、生まれ、種」である。つまり、
指揮者「ロジェーストヴェンスキィ」のイタリアン「源氏名(ゲンナジ)」は
「ナターレ」にちがいない。が、断じて「ハナターレ」ではない。
あの顔で、しかも洟を垂らしてタクトを振ってたら、
ほほえましい光景、などどころではない。いや、最高級の芸人である。

「景」
しょっぱなは、モデラート、C、1♭。
 チカリーンスキィ:「きのう(の賭け)はイグラーの収支だったんでぃ?」
 スーリン:    「訊くまで野暮ってぇもんでぃ。こちとら、さんざんよ」
ゲルマンてなぁ、賭けるわけでもねぇのに晩の8時から翌朝の8時まで賭場にいて、
酒かっくらっちゃぁ他人が賭けるのを見てる、ってな酔狂な奴よ。
 チカ:「いやいや。奴にゃぁ少なくとも『3つ』は邪心があるべぃ」
→アンダーンテ。
噂をすれば影。暗い顔をしたゲールマンがトームスキィとやってくる。
気づいたチカとスリは「とっとと、あっち、いくべぇ」と行ってしまう。
独チェロが、
♪【ラ|<シ>ラ>ソ>ファ>ミーー、>レ|<ラ>ソ】♪
ゲルマンのアリオーソの持ちネタを予告。
→3/4。
トムがゲルを心配する。
→C。
ゲル:「たしかに自分は普通ではない、恋してるんだ」
とコクりはじめる。
「ゲルマンのアリオーゾ」
♪ヤー・イミェーニ・イヨー・ニ・ズナーユ、イ・ニ・マグー・ウズナーチ♪
(拙大意):俺はその人の名も知らないし、また、訊く必要もない。
ロシア語では、誕生のときに附けられるものでも「イミナー」というのに対して、
日本語では死後に称されるものが「いみな」である。いずれにしても、
名も知らぬ恋慕の対象女性の名が「真知子」であるかどうかなんて関係ない。
バラという花はどんな名で呼んでもその姿は清らかで美しい。だが、
蕾は棘に刺した指に血がにじんだように赤く、その香りは汗のにおいがする、
のである。薔薇という漢字が書けるかどうかなど、問題ではない。
ローメオがサンチョ・ゴンザレス、ジュリエッタがコンチータ・ロドリゲス
だっていいのである。もっとも、
ミテクレだけで、我が理想の人、という惚れかたは、たいていは成就しない。
→アッレーグロ、→3/4、→調号なし→4♭。
すると、トムはなにかとゲルに救いの手をさしのべる。が、
ゲルはかたくなである。
そして、ゲルとトムが立ち去ると、散歩人らで庭園はあふれかえる。
横笛群と高中弦が、「ソ<ラ>ソ・ソ」というトンガったオウメン音型を繰り返す。
ヘ長を確保して次曲へ。

【ギェールマンのアリオーゾ】は、
・#5「トームスキィの薔薇~度」中、
 ♪トゥリー・カールティ♪を「3度」アカペラで唱えるとき。
・#6「場完景」中、
 ♪移りゆく・雲に嵐の声すなり・散るか正輝の・カツラ気の山、
 になるみたいだから、はよ、帰らねば。ああ、カミさま♪
 という散歩人の声の中、2クラ&2ファゴが吹く。
・#13「景」。チカ&スリが♪トゥリー・カールティ♪とゲルに口ずさむとこ。
・#17「場完景」終い、金管が吹く。
・#19「景」。伯爵夫人の幽霊配達が2度扉を叩くとき。
・#21「景とリザとゲルの二重唱」中、ゲルが伯爵夫人の亡霊から訊いた
 「3枚のカードの秘訣」を試しにいく気になり、リザと話がかみ合わなくなるとこ。
などで現れることはどこにでも書いてあることがらである。研究者によって
【欲望の動機】とされてるようだが、というより、チャイコフスキーの真意は、
【誘惑or堕落or魔物、の動機】、つまりは、【悪魔のささやき】ではあるまいか。
ゲルはリザの名も知らなかったが、彼女の魅力にとりつかれたこと自体が、
堕落への大きな第一歩であったのである。ちなみに、
以上のうち、#17の幕切れで金管に奏されるとこが、私としてはもっとも
「惹かれる」ヴァージョンである。
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「ボクらは少年合唱団(「スペ女王」#1)」

2005年01月07日 16時21分39秒 | スペードの女王さまの黒槍責め
徳川家ゆかりの寛永寺と谷中墓地の間を言問通りが走ってるのであるが、
西に向かって上野桜木の交差点を右折して道なりに進んで坂を下ると、
不忍通りと交差する。そこを突っ切って直進するとそこが登り坂になってるのだが、
それが団子坂である。D坂のモデルである。さて、
日光東照宮には当然に徳川の葵紋が刻まれてるのであるが、軒下から覗ける箇所には、
明智の紋が彫られてるのである。なんとも奇矯な話に思えるかもしれない。が、
のちの権現様家康公は信長によって長男を死に追いやられた。その恨みたるや、
はかりしれないものであったと推測される。その信長を討ってくれたのが、
光秀である。家康は律儀な男である。
権現様を直に知ってる秀忠、家光およびそのブレインは、
大権現の意志を尊重したにちがいない。ときに、江戸(徳)川歴代将軍中、
3代は家光、7代は家継(少年将軍)、初代は家康である。ちなみに、12代は家慶。
クロフネが来航し、開国を迫られたショックで亡くなったともいわれてるが、
伯爵夫人はゲルマンから「3カードの秘密」を教えろ、
と拳銃をつきつけられて恐ろしさのあまり亡くなってしまったのである。
♪アナァ~~~、ミェルトゥヴァァ~~~~~~(死んじまった)♪
リーザが入ってきて、ゲルマンが殺したとわかったはずなのに、
伯爵夫人の死はヒトひとりの死としてカウントもされなかったということか、
捜査もされず、明智小五郎のお出ましもなく、葬儀も終わってしまうのである。
さて、チャイコフスキーの
「スペ女王」#1「「お子ちゃまたちや養育係らの合唱」」である。
聖ペテルブルクの夏の庭園の噴水前。養育係婦や女性家庭教師らの前で、
お子ちゃまたちがフットサル、ラクロス、カバディーなどに興じてる。
アッレーグロ・コーモド、C、2♯→3♭→1♯→1♭→2♭→1♭。
♪ミ>♯レ<ミーー、>レ>ド>シッ、>ラ>ソ>ファッ、>ミ>レ|
>ドッ、<レ<ミ<ファッ、<ソ<ラ<シーーー>ソー○○♪
一度聴くと耳から離れなくなる、というタイプの節である。
オッタヴィーノとフルートの装飾音は小鳥のさえずりでも表してるのであろうか。
やがて、幕がアクト、
「ラース、ドゥヴァー、トゥリー、ダァ~~ッ!」という、
アントニオ少年の掛け声が聞こえてくる。アッレーグロ・「コドモ」である。
足並みが揃わないと、乱歩、とそしられてしまうから懸命である。
さて、曲は変ホ長=ハ短に転じ、「乳母ら焼肉のタレの斉唱」と相成るのである。
♪ラー>ミー<レ<ファ>ミー|>レー<ミー>ド>シ>ラー♪
次いで、ト長に転じ、「女性家庭教師らの合唱」が加わる。
♪ソン>レ・レ>ド・レ<ミ・ファ<ソ|>ファ>ミ・レ>ド・レーーー♪
今度は、「子守のおばちゃまたちの合唱」である。
♪ラー>ミー<ラー>ミー|<バー>ユー、<ばー>ゆー♪
「公園の桂小枝を大切にね」
すると、なんと、お、お、おぉ~もちゃのラッパと太~鼓が響き渡るのでありますっ!
♪プッ・プ・ク・プー、プッ・プ・ク・プー|プッ・プ・ク・プー、プッ・プ・ク・プー|
プッ・プ・ク・プッ・プッ・プーーー|プッ・プ・ク・プッ・プッ・プーーー(ハ音)♪
また、ヘ長に戻って、「乳母、家庭教師、子守」らが一斉に歌いだす。
♪ドー・ドド・ドンド・<レレ|>ド♪
「ほら、私たちのかわいい少年兵よ。超イケてるじゃな~ぃ。
いち・にぃ~、おいっち・にぃ~、左っ・右っ、左っ・右っ、
腕をあげて足をあげて、ワン・ツゥ~、ワン・ツゥ~、
休まないで、あぁ~るぅ~けぇ~~~、きっかけはぁ~~、チャンチャン」
と、音はゆりかご乳児合唱団頭の小林少年が水前寺式号令をかける。
そして、変ロ長に転じ、「少年連隊」が、
♪ドー・ドンド・ド>ラ・>ソ<ド|<レ>ラ・<シ<レ・<ミー・>ドー♪
「ボッ、ボッ、ボォ~クらは、少年連隊だ。ロシアに敵対する不届き者どもと戦うのだ」
という軍歌をひとしきり歌う。これはさんざん書かれてることではあるが、
「カルメン」の#2「セビージャ少年合唱団」起用
(ニ短)♪ラ>ミ・ミ<ラ|>♯ソ>♯ファ>ミ○♪を雛型にしたもの、である。
ときに、「カルメン」といえば、いま復活中の「ピンク・レイディーズ」による
「カルメン’77」を思い出す。が、その冒頭
♪わたしの名前はっ、カルメンでっすっ♪は、
同作曲家の手になる「あずさ2号」の出だし、
♪あしたぁ~、わたしはぁ~~~、たびに出まぁすぅ~~~~~♪
とソックリの蛸足ハイセンス再利用である。が、この影響力はものすごく、
筒見待子の「夕暮れ族」が世間をにぎわせたころ、
ヒガシ・ニッキ・カックンからなる「少年隊」の
「仮面舞踏会(加山雄三によれば「仮面ライダー」)の掛け声、
♪トゥナァ~ィヤァィヤ、ヤァ~ィヤァィヤァ、ティ~ヤッ♪
として蘇った、のである。それはともかくも、やがてまたヘ長に戻り、
「乳母、家庭教師、子守」のおばちゃまらが、我があるじのお子ちゃまたちをたたえる。
やがて、それが静まって、
♪ド>シ<ドーー、>シ>ラ>ソッ、>ファ>ミ>レッ、>シ>ラ|>ソ♪
冒頭の節が戻ると、ヴィオラに「ソ<ラ>ソ・ソ」という凸面音型ながら
「omen」を表す同型反復が持続され、チカリーンスキィとスーリンがやってくる。
世はすべてこともなし、の世界に生きてる人々の第1曲が終わる。
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