「景」:アンダーンテ、C、無調号。
(実質)ホ短でヴィオラが弾く「欲望の動機」
♪ラ<シ>ラ>ソ>ファ>ミ>レ<ラ>ソ♪(音価無視)にのって、
スリ:「なんというクソババア(原語の『ヴィェーヂマ』が
そういう類の語であるので悪しからず)にてござろう」
チカ:「化ケモン(これも原語の『ストラジーリシシェ』が蔑視語)よのう。
ポケモンでのうても部屋を明るくしてなるべく離れて観るべし」
トム:「なかなかに、『スペイドの女王』と称されたのは伊達ではござらぬぞ」
ちなみに、このトムの台詞の個所の節は、
♪ミ<ラ<シ<ド<レ<ミ>ラ♪(音価無視)。
後年、我が国では、バラードの神様中村雅俊歌うところの桑田佳祐大先生作
「恋人も濡れる街角バラード」の出だしとして知られるようになる。
♪ふ<し<ぎ<な<こ<い>は♪……それはともかく、
スリやチカが伯爵夫人のその『あだ名』の由来を知らないというので、
トムは自分だけが知ってる優越感で得意満面にベラベラしゃべりはじめる。
「ではでは、御清聴くだされ……昔むかし、巴里の空の下、セーヌは流れる、
シーンは流れるように移り変わる。伯爵夫人は美人の誉れ高こうござった。
おのこなら誰しも熱をあげたものでござる。
なんと、『モスクワのヴィーナス』とまで持ち上げられてたとやら。
かのサン=ジェルマン伯も当時は色男で、夫人崇拝者のひとりでござった。
しかるに、聖ジェル伯など夫人の眼中にはござらなんだ。
夫人は夜通し賭けごとに溺れてたのでござる。世に、
花より団子っ鼻とは申すが、夫人は色恋より【ファラオーン】でござった」
そして、トムの話は「バラード」となってさらに進むのである。
→アッレーグロ・コン・スピーリト、1♯(ホ短)。
♪ミ|>(<)ラーラ<シ・<ドー>シ>ラ|<レー>ド>シ<ミーー♪
「今は昔、ヴェルサイユの『女王様の賭場』で、
モスクワのヴィーナスがスッカラカンに擦っちまった。
そのとき、聖ジェルマン伯もそこの客で、夫人のテーブルの隣に座っておった。
伯は夫人が打ちひしがれてつぶやくのを聞いた。
『ああ、神様。ああ、かみさま。
3枚のカードの秘訣を胸にしたうえで、今一度、テーブルにつけたなら、
擦ってしまった分を取り戻せようものを。3枚のカードさえ、3枚のカードさえ』
伯はタイミングを選び、夫人が大勢の客の中で人知れずテーブルを離れ、
ひとり静かに腰をおろしたときに、下心たっぷりに、
【モーツァルト】よりも甘く囁いたのだ。
『伯爵夫人、デヘヘヘヘ、1度だけ私とランデヴー(エッチ)してくだされば、
その代わりに……もちろん貴女がおいやでなければですがな……よろこんで
3枚のカードの秘密を伝授してさしあげましょうぞ』
夫人は『なんですって!?』とブチ切れよった。
が、伯はそんな激情でひるむような腰抜けではなかった。
翌日、なんと、夫人は再び『女王様の賭場』に現れやがったんだ。びた一文持たず。
夫人はすでに3枚のカードの秘密を知っておった。
大胆に次々と張っていき、ちょうど擦った分の財産を取り戻すまで勝った。
カード、カード、カード。
のちに、夫人は夫にそのカードのことを打ち明けよった。
夫人が夜に独りになったらそのときはすかさず亡霊が現れ、
『おまえは死に致るほどの脅しを受けることになる。
燃えさかる欲情にかられた第三の色男に。そして、
その男はおまえから死を呼ぶカードの秘密を無理やり聞き出すことであろう』
と私は脅されることになるのだ、とな」
このバラードの中で、「ジョソウ」で先取りされた
♪ラ|>ソーー>ファ>ミー、<♭シ|>ラーー>ソ>ファー♪
が、テンポを→クワーズィ・アンダーンテ、に落として、まず、
「オー、ボージェ(ああ、神よ)!」と2度つづけて夫人が嘆く個所。次いで、
「グラフィーニャ(伯爵夫人)!」と2度つづけて聖ジェル伯が囁く個所。
に、あてがわれてるのである。それから、
「トゥリー・カールティ(3枚のカード)」を
「3度」つづけて唱えるところが「3箇所」あるのであるが、すべて、
♪ラ<シ>ラ>ソ>ファ>ミ>レ<ソ>ファ♪(音価無視)
という「欲望の動機」をチャイコフスキーはあてがってる、のである。
さて、終いは、→ポーコ・ピウ・モッソ、に速めて、
♪トゥリ<カーーー|ーーーーーーーール|>ティ♪
とトムが唱えると、そのあとをオケが締めるのであるが、
「ホ短の主和音で終止」。
「ジョソウ」からずっと繋がってきたナンバー間のアタッカの関が、
ここにいたって初めて「閉ざされ」るのである。この箇所、
日本で12世紀に荘園で初演されたときには、
義経:「なんトガシてくれ」
弁慶:「弁慶、もう、コマツちゃうぅん!」
と地団駄踏んで義経に鞭打つ、という演出だったのである。
(実質)ホ短でヴィオラが弾く「欲望の動機」
♪ラ<シ>ラ>ソ>ファ>ミ>レ<ラ>ソ♪(音価無視)にのって、
スリ:「なんというクソババア(原語の『ヴィェーヂマ』が
そういう類の語であるので悪しからず)にてござろう」
チカ:「化ケモン(これも原語の『ストラジーリシシェ』が蔑視語)よのう。
ポケモンでのうても部屋を明るくしてなるべく離れて観るべし」
トム:「なかなかに、『スペイドの女王』と称されたのは伊達ではござらぬぞ」
ちなみに、このトムの台詞の個所の節は、
♪ミ<ラ<シ<ド<レ<ミ>ラ♪(音価無視)。
後年、我が国では、バラードの神様中村雅俊歌うところの桑田佳祐大先生作
「恋人も濡れる街角バラード」の出だしとして知られるようになる。
♪ふ<し<ぎ<な<こ<い>は♪……それはともかく、
スリやチカが伯爵夫人のその『あだ名』の由来を知らないというので、
トムは自分だけが知ってる優越感で得意満面にベラベラしゃべりはじめる。
「ではでは、御清聴くだされ……昔むかし、巴里の空の下、セーヌは流れる、
シーンは流れるように移り変わる。伯爵夫人は美人の誉れ高こうござった。
おのこなら誰しも熱をあげたものでござる。
なんと、『モスクワのヴィーナス』とまで持ち上げられてたとやら。
かのサン=ジェルマン伯も当時は色男で、夫人崇拝者のひとりでござった。
しかるに、聖ジェル伯など夫人の眼中にはござらなんだ。
夫人は夜通し賭けごとに溺れてたのでござる。世に、
花より団子っ鼻とは申すが、夫人は色恋より【ファラオーン】でござった」
そして、トムの話は「バラード」となってさらに進むのである。
→アッレーグロ・コン・スピーリト、1♯(ホ短)。
♪ミ|>(<)ラーラ<シ・<ドー>シ>ラ|<レー>ド>シ<ミーー♪
「今は昔、ヴェルサイユの『女王様の賭場』で、
モスクワのヴィーナスがスッカラカンに擦っちまった。
そのとき、聖ジェルマン伯もそこの客で、夫人のテーブルの隣に座っておった。
伯は夫人が打ちひしがれてつぶやくのを聞いた。
『ああ、神様。ああ、かみさま。
3枚のカードの秘訣を胸にしたうえで、今一度、テーブルにつけたなら、
擦ってしまった分を取り戻せようものを。3枚のカードさえ、3枚のカードさえ』
伯はタイミングを選び、夫人が大勢の客の中で人知れずテーブルを離れ、
ひとり静かに腰をおろしたときに、下心たっぷりに、
【モーツァルト】よりも甘く囁いたのだ。
『伯爵夫人、デヘヘヘヘ、1度だけ私とランデヴー(エッチ)してくだされば、
その代わりに……もちろん貴女がおいやでなければですがな……よろこんで
3枚のカードの秘密を伝授してさしあげましょうぞ』
夫人は『なんですって!?』とブチ切れよった。
が、伯はそんな激情でひるむような腰抜けではなかった。
翌日、なんと、夫人は再び『女王様の賭場』に現れやがったんだ。びた一文持たず。
夫人はすでに3枚のカードの秘密を知っておった。
大胆に次々と張っていき、ちょうど擦った分の財産を取り戻すまで勝った。
カード、カード、カード。
のちに、夫人は夫にそのカードのことを打ち明けよった。
夫人が夜に独りになったらそのときはすかさず亡霊が現れ、
『おまえは死に致るほどの脅しを受けることになる。
燃えさかる欲情にかられた第三の色男に。そして、
その男はおまえから死を呼ぶカードの秘密を無理やり聞き出すことであろう』
と私は脅されることになるのだ、とな」
このバラードの中で、「ジョソウ」で先取りされた
♪ラ|>ソーー>ファ>ミー、<♭シ|>ラーー>ソ>ファー♪
が、テンポを→クワーズィ・アンダーンテ、に落として、まず、
「オー、ボージェ(ああ、神よ)!」と2度つづけて夫人が嘆く個所。次いで、
「グラフィーニャ(伯爵夫人)!」と2度つづけて聖ジェル伯が囁く個所。
に、あてがわれてるのである。それから、
「トゥリー・カールティ(3枚のカード)」を
「3度」つづけて唱えるところが「3箇所」あるのであるが、すべて、
♪ラ<シ>ラ>ソ>ファ>ミ>レ<ソ>ファ♪(音価無視)
という「欲望の動機」をチャイコフスキーはあてがってる、のである。
さて、終いは、→ポーコ・ピウ・モッソ、に速めて、
♪トゥリ<カーーー|ーーーーーーーール|>ティ♪
とトムが唱えると、そのあとをオケが締めるのであるが、
「ホ短の主和音で終止」。
「ジョソウ」からずっと繋がってきたナンバー間のアタッカの関が、
ここにいたって初めて「閉ざされ」るのである。この箇所、
日本で12世紀に荘園で初演されたときには、
義経:「なんトガシてくれ」
弁慶:「弁慶、もう、コマツちゃうぅん!」
と地団駄踏んで義経に鞭打つ、という演出だったのである。