バレエ「眠れる森の美女」の第7曲は、
4箇国王子がフロレスタン24世王夫妻にオロール姫のお目見えを所望する
「アンダーンテ・エスプレッスィーヴォ・エ・カンタービレ」の前半と、
成人したオロール姫がお出ましになる
「アッレーグロ・ジュスト」の後半、から成る。そして、後半部はまた、
「ハ長調、2/4拍子」の前部と「イ長調、6/8拍子」の後部、から成る。
前半の「アンダーンテ・エスプレッスィーヴォ・エ・カンタービレ」の終い、
ホルン2管+オクターヴ下のホルン2管の属音(g)の2分音符が
フェルマータ附きで吹かれ、その音が持続されつつ
後半のアッレーグロ・ジュストに移行する。
→
[アッレーグロ・ジュスト、2/4拍子、無調号]
ホルンのg音オクターヴ・ユニゾンが、
[ソソ・ーソ│ーソ・ーソ│ー]という切分で吹かれ、
ファゴットとトロンボーン各2管がそれぞれ
f音のオクターヴ・ユニゾンで、
[ファ●・ファ●│ファ●・ファ●│ファ]
と刻む。これは下記「カタカナ譜面」の
(a)まで続く。ともあれ、その"イントロ"4小節に導かれて、
1番フルートとvnプリーモがユニゾンで、そしてその3度下を
2番フルートとvnセコンドがユニゾンで、
****♪レーッ●●・>♯ドーッ●●│
<レーッ●●・<ミ>レ>♯ド<ミ│
>レーッ●●・>♯ドーッ●●│
<レーッ●●・<ミ>レ>♯ド<ミ│
>レッ<ミッ>♯ドッ<ミッ・>レッ<ミッ>♯ドッ<ミッ│
>レッ<ミッ>♯ドッ<ミッ・>レッ<ミッ>♯ドッ<ミッ│
>レッ<ミッ<ファッ<ソッ・<ラッ<シッ<(N)ドッ<レッ(a)│
<ミー>シー・<ドー<レー│
<ミー>シー・<ドー<レー│
<ミー>シー・<ドー<レー│
<ミー>シー・<ドー<レー│
<ファー、>>ファッ<ソッ・<ラッ<シッ<ドッ<レッ│
<♯レーッ♯レーッ・(<ミ>)♯レーーー│
<ミッ<ファッ>ミッ<ファッ・>ミッ<ファッ>ミッ<ラッ│
>♯レーッ♯レーッ・(<ミ>)♯レーーー│
<ミッ<ファッ>ミッ<ファッ・>ミッ<ファッ>ミッ<ラッ│
>シッ<ドッ<レッ<ミッ・<ソッ>ファッ>ミッ>レッ│
>ラッ<シッ<ドッ<レッ・<ファッ>ミッ>レッ>ドッ│
<ラー、>>ファッ<ソッ・<ラッ<シッ<ドッ<レッ│
<♯レーッ♯レーッ・(<ミ>)♯レーーー│
<ミッ<ファッ>ミッ<ファッ・>ミッ<ファッ>ミッ<ラッ│
>♯レーッ♯レーッ・(<ミ>)♯レーーー│
<ミッ<ファッ>ミッ<ファッ・>ミッ<ファッ>ミッ<ラッ│
>シッ<ドッ<レッ<ミッ・<ソッ>ファッ>ミッ>レッ│
>ラッ<シッ<ドッ<レッ・<ファッ>ミッ>レッ>ドッ│
>♯ソッ<ラッ<シッ<ドッ・<レッ<ミッ・<♯ファッ<♯ソッ│(b)♪
という「ハ長調」部分を奏する。ちなみに、
「永遠の『白鳥の湖』チャイコフスキーとバレエ音楽」(新書館刊/森田稔著)
において、森田大先生はこの部分を
「ト長調」だと仰せになってる。あるいは、
ローランド・ワイリーがそう書いてる、のかもしれない。いずれにせよ、
つまり、出だしの節は、
****ソーッ●●・>♯ファーッ●●│
<ソーッ●●・<ラ>ソ>♯ファ<ラ♪
だというのである。が、
上記のように、この節の伴奏は、
[f-g]である。ト長調だとすると、この
[f]は何なのだろう。まあ「ト長調」でもいい。が、
このナンバーは、
【(3♭)変ホ長→(調号0)ハ長→(3♯)イ長】
という5度圏の対極調に移行すること、
にこそ意味があるのである。また、
この成人したオロール姫の登場場面の音楽は、
「ヴァイオリン協奏曲」(op.35)の第1楽章の第2主題、
***♪【ドーーー・>シーーー・・<レ>ド>シ<レ・>ドーーー】|
<【レーーー・>♯ドーーー・・<レ>レ>♯ド<ミ・>レーーー】♪
の音型とほぼ同じである。ここから反対に、
「ヴァイオリン協奏曲」でも「明日の曙」のような
「未来を担う理想の女性像」が、
「ドン・ホセが最後にカルメンにもう一度復縁を迫る場面」
の節を長調化した第1主題の対比をなす憧憬として据えられてたのだ、
ということが垣間見えてくるのである。
ともあれ、
「ハ長調」部は「イ長調」部に移行する。
****♪(♯ソッ<ラッ<シッ<ドッ・<レッ<ミッ・<♯ファッ<♯ソッ)
→リステッソ・テンポ(附点4分音符=4分音符)、6/8、3♯│
(b)<ド●、<ミ・>レ、●、>ド│>シ、●、<レ>ド、●、>シ│
>ラ、●、<ミ>レ、●、<ミ│<ソ、●、>ミ>レ、●、<ミ│
<【ソ、●、>ミ・>レ、●、>ド│>シ、●、>レ>ド、●、>シ│
>ラ】、●、<ミ>レ、●、<ミ│<ソ、●、>ミ・>レ、●、<ミ│<ソ、●♪
この節は、バレエ「白鳥の湖」(第3幕)第19曲
「パ・ドゥ・スィス」のヴァリアスィョン中、
[Moderaro(モデラート)、6/8、3♭(変ホ長調)]で、
[con grazia(コン・グラッツィア=上品さをたたえて)]
という指示のもと、vnプリーモが弾く、
***♪●●【ソ・<ミ>レ>ド│>シー、シ・<レ>ド>シ│>ラー】、
ラ・<ド>シ>ラ│>ソーー・ーーー│ーー♪
という節、そして、抒情的情景「エヴネーニー・オネーギン」2幕において、
決闘で友人を殺し、外国でおとぼりをさまして
数年後に舞い戻ってきたオネーギンが、3幕で
グレーミン公爵が主催する舞踏会の中で、あのタチヤーナが
見違えるばかりに輝く女性になってる姿を見いだした場面で、
[con dolcezza(コン・ドルチェッツァ=愛しさをたたえて)]
という指示のもと、クラリネットが万感胸に迫る思いで吹く、
[アッレーグロ・モデラート、3/4拍子、5♭(変ニ長調)]
***♪【ソ<ミ・>レー・ー>ド|>シ<レ・>ドー・ー>シ|
>ラ】>ソ・<ドー・ー>シ|>ラ>ミ・<ラー・ー>ソ♪
なのである。この「オーロラ姫」の登場は、一見、
これらの「白鳥湖」「オネーギン」における、
「再び見いだされる」女主人公の状況とは
異なるようにみえる。すなわち、
「再び見いだす主体」がズィークフリート王子でもオネーギンでもない、
諸国4王子たち(彼らはメタイヨンの肖像で見た)だからである。が、
このことこそが、このバレエの本質なのである。
変ホ長調の諸国4王子たちは、オネーギンや
ズィークフリート王子(一般には、オデットと結ばれた、
と誤って思い込まされてるが、結末は王子の無理心中である)のように、
オーロラ姫を「手に入れる」ことはできないのである。
キモ面で稼ぎのない私は当然に思う女性を
手に入れることはできなかった。
4箇国王子がフロレスタン24世王夫妻にオロール姫のお目見えを所望する
「アンダーンテ・エスプレッスィーヴォ・エ・カンタービレ」の前半と、
成人したオロール姫がお出ましになる
「アッレーグロ・ジュスト」の後半、から成る。そして、後半部はまた、
「ハ長調、2/4拍子」の前部と「イ長調、6/8拍子」の後部、から成る。
前半の「アンダーンテ・エスプレッスィーヴォ・エ・カンタービレ」の終い、
ホルン2管+オクターヴ下のホルン2管の属音(g)の2分音符が
フェルマータ附きで吹かれ、その音が持続されつつ
後半のアッレーグロ・ジュストに移行する。
→
[アッレーグロ・ジュスト、2/4拍子、無調号]
ホルンのg音オクターヴ・ユニゾンが、
[ソソ・ーソ│ーソ・ーソ│ー]という切分で吹かれ、
ファゴットとトロンボーン各2管がそれぞれ
f音のオクターヴ・ユニゾンで、
[ファ●・ファ●│ファ●・ファ●│ファ]
と刻む。これは下記「カタカナ譜面」の
(a)まで続く。ともあれ、その"イントロ"4小節に導かれて、
1番フルートとvnプリーモがユニゾンで、そしてその3度下を
2番フルートとvnセコンドがユニゾンで、
****♪レーッ●●・>♯ドーッ●●│
<レーッ●●・<ミ>レ>♯ド<ミ│
>レーッ●●・>♯ドーッ●●│
<レーッ●●・<ミ>レ>♯ド<ミ│
>レッ<ミッ>♯ドッ<ミッ・>レッ<ミッ>♯ドッ<ミッ│
>レッ<ミッ>♯ドッ<ミッ・>レッ<ミッ>♯ドッ<ミッ│
>レッ<ミッ<ファッ<ソッ・<ラッ<シッ<(N)ドッ<レッ(a)│
<ミー>シー・<ドー<レー│
<ミー>シー・<ドー<レー│
<ミー>シー・<ドー<レー│
<ミー>シー・<ドー<レー│
<ファー、>>ファッ<ソッ・<ラッ<シッ<ドッ<レッ│
<♯レーッ♯レーッ・(<ミ>)♯レーーー│
<ミッ<ファッ>ミッ<ファッ・>ミッ<ファッ>ミッ<ラッ│
>♯レーッ♯レーッ・(<ミ>)♯レーーー│
<ミッ<ファッ>ミッ<ファッ・>ミッ<ファッ>ミッ<ラッ│
>シッ<ドッ<レッ<ミッ・<ソッ>ファッ>ミッ>レッ│
>ラッ<シッ<ドッ<レッ・<ファッ>ミッ>レッ>ドッ│
<ラー、>>ファッ<ソッ・<ラッ<シッ<ドッ<レッ│
<♯レーッ♯レーッ・(<ミ>)♯レーーー│
<ミッ<ファッ>ミッ<ファッ・>ミッ<ファッ>ミッ<ラッ│
>♯レーッ♯レーッ・(<ミ>)♯レーーー│
<ミッ<ファッ>ミッ<ファッ・>ミッ<ファッ>ミッ<ラッ│
>シッ<ドッ<レッ<ミッ・<ソッ>ファッ>ミッ>レッ│
>ラッ<シッ<ドッ<レッ・<ファッ>ミッ>レッ>ドッ│
>♯ソッ<ラッ<シッ<ドッ・<レッ<ミッ・<♯ファッ<♯ソッ│(b)♪
という「ハ長調」部分を奏する。ちなみに、
「永遠の『白鳥の湖』チャイコフスキーとバレエ音楽」(新書館刊/森田稔著)
において、森田大先生はこの部分を
「ト長調」だと仰せになってる。あるいは、
ローランド・ワイリーがそう書いてる、のかもしれない。いずれにせよ、
つまり、出だしの節は、
****ソーッ●●・>♯ファーッ●●│
<ソーッ●●・<ラ>ソ>♯ファ<ラ♪
だというのである。が、
上記のように、この節の伴奏は、
[f-g]である。ト長調だとすると、この
[f]は何なのだろう。まあ「ト長調」でもいい。が、
このナンバーは、
【(3♭)変ホ長→(調号0)ハ長→(3♯)イ長】
という5度圏の対極調に移行すること、
にこそ意味があるのである。また、
この成人したオロール姫の登場場面の音楽は、
「ヴァイオリン協奏曲」(op.35)の第1楽章の第2主題、
***♪【ドーーー・>シーーー・・<レ>ド>シ<レ・>ドーーー】|
<【レーーー・>♯ドーーー・・<レ>レ>♯ド<ミ・>レーーー】♪
の音型とほぼ同じである。ここから反対に、
「ヴァイオリン協奏曲」でも「明日の曙」のような
「未来を担う理想の女性像」が、
「ドン・ホセが最後にカルメンにもう一度復縁を迫る場面」
の節を長調化した第1主題の対比をなす憧憬として据えられてたのだ、
ということが垣間見えてくるのである。
ともあれ、
「ハ長調」部は「イ長調」部に移行する。
****♪(♯ソッ<ラッ<シッ<ドッ・<レッ<ミッ・<♯ファッ<♯ソッ)
→リステッソ・テンポ(附点4分音符=4分音符)、6/8、3♯│
(b)<ド●、<ミ・>レ、●、>ド│>シ、●、<レ>ド、●、>シ│
>ラ、●、<ミ>レ、●、<ミ│<ソ、●、>ミ>レ、●、<ミ│
<【ソ、●、>ミ・>レ、●、>ド│>シ、●、>レ>ド、●、>シ│
>ラ】、●、<ミ>レ、●、<ミ│<ソ、●、>ミ・>レ、●、<ミ│<ソ、●♪
この節は、バレエ「白鳥の湖」(第3幕)第19曲
「パ・ドゥ・スィス」のヴァリアスィョン中、
[Moderaro(モデラート)、6/8、3♭(変ホ長調)]で、
[con grazia(コン・グラッツィア=上品さをたたえて)]
という指示のもと、vnプリーモが弾く、
***♪●●【ソ・<ミ>レ>ド│>シー、シ・<レ>ド>シ│>ラー】、
ラ・<ド>シ>ラ│>ソーー・ーーー│ーー♪
という節、そして、抒情的情景「エヴネーニー・オネーギン」2幕において、
決闘で友人を殺し、外国でおとぼりをさまして
数年後に舞い戻ってきたオネーギンが、3幕で
グレーミン公爵が主催する舞踏会の中で、あのタチヤーナが
見違えるばかりに輝く女性になってる姿を見いだした場面で、
[con dolcezza(コン・ドルチェッツァ=愛しさをたたえて)]
という指示のもと、クラリネットが万感胸に迫る思いで吹く、
[アッレーグロ・モデラート、3/4拍子、5♭(変ニ長調)]
***♪【ソ<ミ・>レー・ー>ド|>シ<レ・>ドー・ー>シ|
>ラ】>ソ・<ドー・ー>シ|>ラ>ミ・<ラー・ー>ソ♪
なのである。この「オーロラ姫」の登場は、一見、
これらの「白鳥湖」「オネーギン」における、
「再び見いだされる」女主人公の状況とは
異なるようにみえる。すなわち、
「再び見いだす主体」がズィークフリート王子でもオネーギンでもない、
諸国4王子たち(彼らはメタイヨンの肖像で見た)だからである。が、
このことこそが、このバレエの本質なのである。
変ホ長調の諸国4王子たちは、オネーギンや
ズィークフリート王子(一般には、オデットと結ばれた、
と誤って思い込まされてるが、結末は王子の無理心中である)のように、
オーロラ姫を「手に入れる」ことはできないのである。
キモ面で稼ぎのない私は当然に思う女性を
手に入れることはできなかった。