土曜は大江戸探検隊の探検日だった。
昨年新装移転なった山種美術館で
浮世又兵衛の絵が一昨年に重文指定された記念の
展示をしてるので、恵比寿プライムスクエアで集合して
昼飯を食ってから、近くの山種美術館に向かった。
夕方からは夏祭りメドレーツアーで、最後は、
中目黒夏まつりと四の橋夏祭り、それから、
飲み会となった。久しぶりに
浴衣を着た。ちなみに、
東京湾の海水は茶色く濁ってた。
チャイコフスキーのバレエ「眠れる森の美女」の第18曲は、
Entracte(アントラクト=幕間曲)である。が、ここは
第2幕第1場と第2場の間なので、
場間曲といったところであろう。
[A主題-B動機-A'主題]
という「サンドウィッチ形式」になってる。
「眠れる森の美女」の中では、
「2つ」のオロルのヴァリアスィヨンに加えて、
このナンバーにはvn独奏がある。
初演ではあのアウアーが演じる運びになってた。が、
その話は流れた。アウアーが「演奏不能」と断った、
わけではないらしい。
[Andante sostenuto、4/4拍子、無調号(ハ長調)]
ソステヌートであるから、本来の4拍子の
[強・弱・・中強・弱]
というリズムを平坦にすることが肝要である。
[A主題]
クラリネット1管+ファゴット2管の主和音に乗って、
vnソロがモルト・エスプレッスィーヴォで主題を奏ではじめる。****♪
●●ソー・<ラー<ドー・・<ミー<ソー・<ラー<ドー│
<ミー<ソー・>ファーッ>ミーッ、・・ミーーー・ーー>レー│
>ソーーー、・<シー<ド・・<レーーー、・>ラー<シ│
<ド<レ>ド>シ<ド・<ファーッ>ミーッ・・>レーーー・ーー<ミー│
>ドー、>>ソー・<ラー<ドー・・<ミー<ソー・<ラー<ドー│
<ミ(=eをラと置き換えてト長調)ー<ドー・>シー>ラー・・>ソーーー・ーー>ファー│
>ミーーー、・<ドー>シ・・>ラーーー、・>ソー>ファ│
>ミ、<ファ<♯ファ<ソ<ラ<シ・<ドー>(N)ファー・・>ミーーー・ーー>レー│
>ドー、>ソー・<ドー<レー・・<ミー<ファー・<ソー<ラー(=eをミと置き換えてハ長調)│
<ファー<ラー・>ソーッ>ファーッ・・>ミーーー・ーー>♯ドー│
<レ、>レ<ミ・<ファ<ソ<ラ・・<シ<ド<♯ド・<レ<ミ<ファ│
<レ>ド>シッ>ラッ・>ソォッ>ファァッ>ミィッ>レェッ・・>ド<レ<ミッ<ファッ・<♯ファ<ソ<ラ>ソ│>レ♪
A主題の前半4小節はクラリネット1管が確保する。
途中からト長調に変ずるあとの4小節は
独奏vnがG線上で奏する。そして、
[B動機]
曲はト長調の平行調であるホ短調となり、
vnsoloがコン・パッスィオーネ(=一般には、熱情をこめて)で
その動機を弾く。ところで、この
con passioneという指示であるが、
キリストの受難の語源ともなったパトスは、
起因となる状況を目の当たりにしたヒトが受けた
心的動揺=胸の奥からこみあげてくる感情である。
そのような感情を込めて弾け、ということである。
*****♪
・・●●●●ミーーー・<♯ファーーー<♯ソーーー│
<ラーーーーーー>♯ファ・♯ファーーーーーーー・・ーーーー、♯ファーーー・<♯ソーーー<ラーーー│
<シーーーーーー>♯ソ・♯ソーーーーーーー・・ーーーー、<ミーーー・ミーーーミーーー│
ミー>ドー>シー・>ラー<シー<ドー・・<ファー>ミー>レー・>ドー>シー>ラー│
ラーーーーーーー・>♯ソーーーーーーー・・♪
次のバレエ「くるみ割り人形」で、クリスマス・ツリーが大きくなる場面で、
この音型が使われてる。ともあれ、
[B動機部]は次第に技巧的になっていく。
[A主題の再現]
今度はファゴット2管のみで第5音を欠く主和音に乗って、
独奏vnがA主題を再現しはじめる。が、すぐに技巧的になって、
[sons harmoniques(ソン・ザルモニク=ハーモニクス音=左手指で弦を軽く押さえて出す倍音)]
が超高音域で要求される。終いは、チェロ+コントラバスのピッツィカートによって、
[○■■・■■■・・○■■・■■■]
というクラーベなリズムな主音ハの通奏が爪弾かれ、
vnソロがA主題を奏しながら三点ハに上昇してpppで曲を閉じる。
チャイコフスキー大好き人間にはたまらない曲である。が、
ただチャイコフスキーが好きというだけでは、同時に
ブラームスも好きなんていう見境のないむきもある。ので、
ただ真のチャイコフスキー好きのみがこのナンバーで敏感に察知することは
そういうむきには頓着しないことである。
このナンバーの速度標語は[Andante sostenuto]である。
この速度標語がこれより前に出てきたのは、
「(第1幕)第9曲」の終いの部分である。つまり、
この第2幕の直前である。
「王宮の庭園が森に変容する」場面である。
蔦の弦が伸びてく情景である。
リラの精の主題が木管群のユニゾンで吹奏される箇所である。
そこでも、曲を閉じる箇所で、
チャイコフスキーは撥弦楽器であるハープに、
ハーモニクス奏法を要求してるのである。pppで。そして、
第9曲もそのpppで曲は閉じられてた。
この「2つ」の「アンダーンテ・ソステヌート」は、
デズィレ王子のお見合い狩を挟んで対称になってるのである。
「先」の「アンダーンテ・ソステヌート」の前の「アンダンティーノ」の箇所でドラが打ち鳴らされ、
「後」の「アンダーンテ・ソステヌート」の次曲の終いでドラが打ち鳴らされる。
「先」の「アンダーンテ・ソステヌート」で「眠り」におちた王国の「目覚め」を
「後」の「アンダーンテ・ソステヌート」が「もうすぐだよ」と予告してるのである。
しみじみとした曲ながら、そうした
ワクワク感を認識しながら曲を聴き、あるいは、想像しなければ、
真のチャイコフスキー大好き人間とはいえないのである。
ところで、
「アンダーンテ・ソステヌート」を「充分に音を保って歩くような速さで」
なんて、杓子定規に認識してるようではいけない。
何度も繰り返すが音楽におけるソステヌートは、
音価を保つことによって、拍の強弱を薄めることに意味がある。
音価を保つことが手段であって目的ではない。
ただ遅くしただけでもその効果はあるので、大抵の奏者は
それだけで安易にすませてしまう。が、
テンポをおとすことで音楽が持つ「ふさわしい速度」を
台無しにしてることが多い。
イタリア語のandanteは動詞andare(アンダーレ=行く、先に進む)
から派生した、ということである。つまり、
先に進む→人が行く→歩く、という意味なのだろう。いっぽう、
時が過ぎゆく=過ぎ去る、という意味にもなった。したがって、
「時間の経過」にまつわってくる。
「テンポ」を表すのである。
メトロノームもなかった頃、身近にテンポを感じれたものといえば、
「心臓の鼓動」「脈拍」である。一般的な健康な成人の場合、
平均的な心拍数は1分間に60乃至80である。だから、
"Andante"が表すテンポは4分音符=69、72、76、
というチャイコフスキーの認識は真っ当である。そして、
ちょっと走ったあとの心拍数はその倍弱程度になる。それが、
Allegroである。だから、
"Allegro"が表すテンポは4分音符=132、138、
というチャイコフスキーの認識は的を射てるのである。
昨年新装移転なった山種美術館で
浮世又兵衛の絵が一昨年に重文指定された記念の
展示をしてるので、恵比寿プライムスクエアで集合して
昼飯を食ってから、近くの山種美術館に向かった。
夕方からは夏祭りメドレーツアーで、最後は、
中目黒夏まつりと四の橋夏祭り、それから、
飲み会となった。久しぶりに
浴衣を着た。ちなみに、
東京湾の海水は茶色く濁ってた。
チャイコフスキーのバレエ「眠れる森の美女」の第18曲は、
Entracte(アントラクト=幕間曲)である。が、ここは
第2幕第1場と第2場の間なので、
場間曲といったところであろう。
[A主題-B動機-A'主題]
という「サンドウィッチ形式」になってる。
「眠れる森の美女」の中では、
「2つ」のオロルのヴァリアスィヨンに加えて、
このナンバーにはvn独奏がある。
初演ではあのアウアーが演じる運びになってた。が、
その話は流れた。アウアーが「演奏不能」と断った、
わけではないらしい。
[Andante sostenuto、4/4拍子、無調号(ハ長調)]
ソステヌートであるから、本来の4拍子の
[強・弱・・中強・弱]
というリズムを平坦にすることが肝要である。
[A主題]
クラリネット1管+ファゴット2管の主和音に乗って、
vnソロがモルト・エスプレッスィーヴォで主題を奏ではじめる。****♪
●●ソー・<ラー<ドー・・<ミー<ソー・<ラー<ドー│
<ミー<ソー・>ファーッ>ミーッ、・・ミーーー・ーー>レー│
>ソーーー、・<シー<ド・・<レーーー、・>ラー<シ│
<ド<レ>ド>シ<ド・<ファーッ>ミーッ・・>レーーー・ーー<ミー│
>ドー、>>ソー・<ラー<ドー・・<ミー<ソー・<ラー<ドー│
<ミ(=eをラと置き換えてト長調)ー<ドー・>シー>ラー・・>ソーーー・ーー>ファー│
>ミーーー、・<ドー>シ・・>ラーーー、・>ソー>ファ│
>ミ、<ファ<♯ファ<ソ<ラ<シ・<ドー>(N)ファー・・>ミーーー・ーー>レー│
>ドー、>ソー・<ドー<レー・・<ミー<ファー・<ソー<ラー(=eをミと置き換えてハ長調)│
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<レ、>レ<ミ・<ファ<ソ<ラ・・<シ<ド<♯ド・<レ<ミ<ファ│
<レ>ド>シッ>ラッ・>ソォッ>ファァッ>ミィッ>レェッ・・>ド<レ<ミッ<ファッ・<♯ファ<ソ<ラ>ソ│>レ♪
A主題の前半4小節はクラリネット1管が確保する。
途中からト長調に変ずるあとの4小節は
独奏vnがG線上で奏する。そして、
[B動機]
曲はト長調の平行調であるホ短調となり、
vnsoloがコン・パッスィオーネ(=一般には、熱情をこめて)で
その動機を弾く。ところで、この
con passioneという指示であるが、
キリストの受難の語源ともなったパトスは、
起因となる状況を目の当たりにしたヒトが受けた
心的動揺=胸の奥からこみあげてくる感情である。
そのような感情を込めて弾け、ということである。
*****♪
・・●●●●ミーーー・<♯ファーーー<♯ソーーー│
<ラーーーーーー>♯ファ・♯ファーーーーーーー・・ーーーー、♯ファーーー・<♯ソーーー<ラーーー│
<シーーーーーー>♯ソ・♯ソーーーーーーー・・ーーーー、<ミーーー・ミーーーミーーー│
ミー>ドー>シー・>ラー<シー<ドー・・<ファー>ミー>レー・>ドー>シー>ラー│
ラーーーーーーー・>♯ソーーーーーーー・・♪
次のバレエ「くるみ割り人形」で、クリスマス・ツリーが大きくなる場面で、
この音型が使われてる。ともあれ、
[B動機部]は次第に技巧的になっていく。
[A主題の再現]
今度はファゴット2管のみで第5音を欠く主和音に乗って、
独奏vnがA主題を再現しはじめる。が、すぐに技巧的になって、
[sons harmoniques(ソン・ザルモニク=ハーモニクス音=左手指で弦を軽く押さえて出す倍音)]
が超高音域で要求される。終いは、チェロ+コントラバスのピッツィカートによって、
[○■■・■■■・・○■■・■■■]
というクラーベなリズムな主音ハの通奏が爪弾かれ、
vnソロがA主題を奏しながら三点ハに上昇してpppで曲を閉じる。
チャイコフスキー大好き人間にはたまらない曲である。が、
ただチャイコフスキーが好きというだけでは、同時に
ブラームスも好きなんていう見境のないむきもある。ので、
ただ真のチャイコフスキー好きのみがこのナンバーで敏感に察知することは
そういうむきには頓着しないことである。
このナンバーの速度標語は[Andante sostenuto]である。
この速度標語がこれより前に出てきたのは、
「(第1幕)第9曲」の終いの部分である。つまり、
この第2幕の直前である。
「王宮の庭園が森に変容する」場面である。
蔦の弦が伸びてく情景である。
リラの精の主題が木管群のユニゾンで吹奏される箇所である。
そこでも、曲を閉じる箇所で、
チャイコフスキーは撥弦楽器であるハープに、
ハーモニクス奏法を要求してるのである。pppで。そして、
第9曲もそのpppで曲は閉じられてた。
この「2つ」の「アンダーンテ・ソステヌート」は、
デズィレ王子のお見合い狩を挟んで対称になってるのである。
「先」の「アンダーンテ・ソステヌート」の前の「アンダンティーノ」の箇所でドラが打ち鳴らされ、
「後」の「アンダーンテ・ソステヌート」の次曲の終いでドラが打ち鳴らされる。
「先」の「アンダーンテ・ソステヌート」で「眠り」におちた王国の「目覚め」を
「後」の「アンダーンテ・ソステヌート」が「もうすぐだよ」と予告してるのである。
しみじみとした曲ながら、そうした
ワクワク感を認識しながら曲を聴き、あるいは、想像しなければ、
真のチャイコフスキー大好き人間とはいえないのである。
ところで、
「アンダーンテ・ソステヌート」を「充分に音を保って歩くような速さで」
なんて、杓子定規に認識してるようではいけない。
何度も繰り返すが音楽におけるソステヌートは、
音価を保つことによって、拍の強弱を薄めることに意味がある。
音価を保つことが手段であって目的ではない。
ただ遅くしただけでもその効果はあるので、大抵の奏者は
それだけで安易にすませてしまう。が、
テンポをおとすことで音楽が持つ「ふさわしい速度」を
台無しにしてることが多い。
イタリア語のandanteは動詞andare(アンダーレ=行く、先に進む)
から派生した、ということである。つまり、
先に進む→人が行く→歩く、という意味なのだろう。いっぽう、
時が過ぎゆく=過ぎ去る、という意味にもなった。したがって、
「時間の経過」にまつわってくる。
「テンポ」を表すのである。
メトロノームもなかった頃、身近にテンポを感じれたものといえば、
「心臓の鼓動」「脈拍」である。一般的な健康な成人の場合、
平均的な心拍数は1分間に60乃至80である。だから、
"Andante"が表すテンポは4分音符=69、72、76、
というチャイコフスキーの認識は真っ当である。そして、
ちょっと走ったあとの心拍数はその倍弱程度になる。それが、
Allegroである。だから、
"Allegro"が表すテンポは4分音符=132、138、
というチャイコフスキーの認識は的を射てるのである。