チャイコフスキー 眠れる森の美女
月曜までに、考えたくもないくらいの枚数の
煎餅を焼かなければならない。なので、
今週末は遊びにいかなかった。帰宅してTVをつけると、
昨今ひっぱりだこの売れっ子池上彰の番組をやってた。ので、
そのままつけといた。他のことをしながら声だけ聞いてた。すると、
(なんだこの日本語訛りたっぷりまるだしなフランス語は?)
というくらいのヘタクソな発音と抑揚のフランス語が聞こえてきた。
声の主は滝川クリステル女史だった。父親がフランス人で、
自身もパリに住んでたことがあっても、
フランス語が流暢に話せるとは限らない、という例である。
フランス、パリ、といえば、
ルーヴル"美術館"である。が、かつては、
"宮殿"だった。あたりまえだが。
ブルボン家になってからは、
アンリ4世・ルイ13世親子の宮殿だった。が、3代めの
ルイ14世はルーヴル、というかパリに嫌気がさして
ヴェルサイユに移った。それはどうでも、
ヴァロワ朝男子が途絶えたとき、なぜその女子
マルゴーが女王とはならず、その婿殿であり、
ヴァロア家の傍流だったブルボン家の
アンリ(のちのフランス王アンリ4世)がフランス王を継承したかといえば、
いわゆる「サリカ法」に則ったからである。「サリカ法」とは、
離婚したいなら財産はすべてオレが相続するぞ、という
「サワジリエリカ法」を略したものではない。単純化すれば、
「王位は女子継承または女系継承を認めない」
というものである。ちなみに、
我が国の天皇も現在はこれと差異ない。
英国では古くから女子継承も女系継承もされてきた。ために、
現ウィンザー朝は"臣下"である貴族たちよりも
ある意味由緒が正しくなくなってしまった。
近現代までこのサリカ法を遵守してきた欧州の国は少なくないが、
その最たる国がフランスである。フランスには
女王が存在したことはない。サリカ法が遵守されたまま、
王制が"途絶えてる"状態である。ちなみに、
日本いびりの黒鮪輸出規制を提案したモナコ公国には、
フランスからのサリカ法的規制がかかってたが、現君主に交代した5年前に、
男子が途絶えた場合でも公国はフランスに吸収されることがない、
という条約が結ばれた。
さて、
チャイコフスキーのバレエ「眠れる森の美女」の原作者とされてる
Charles Perrault(シャルル・ペロー)は1628年、パリのブルジョワの家に生まれ、
法律を学んで弁護士となった。が、弁護士業はそこそこに、
ルイ14世の財務長官コルベールの引きで廷臣となった。
兄のピエール、クロード、ニコラ、はすべて著名人で、とくに
次男クロードはルーヴル宮殿の建築にも携わってる建築家(最初は医師)である。
廷臣としてのシャルル・ペローは、ルイ4世、バンザイ・ばんざい・万々歳!
とでもいうようなガチガチの忠臣、王党派だった。
ところで、
ルイ14世はルイ13世の長男、ということになってる。
ルイ13世には王妃アンヌ・ドートリッシュ(スペイン王フェリペ3世の娘)との間に
結婚後23年間も子ができなかった。そして、
24年にしてやっと初めてできたのがルイ14世だった。
ルイ14世の后もスペイン王フェリペ4世の娘である。ここで、
もしフランス王家がサリカ法という楯を持ってなければ、
スペイン、つまり、神聖ローマ帝国(当時のスペイン王家はハプスブルク家)に
あっさりと持ってかれた可能性が高かった。サリカ法は、
フランスという国を守るための強力な方便だったのである。否、
フランスにとってのサリカ法は、ただ"防御"のためだけのものではなかった。
"攻撃"の戦略でもあったのである。なぜなら、
ルイ14世とスペインの王女との間に生まれた子6人のうち、
5人が夭折したが、長男ルイだけは50歳まで生きた。そして、
その長男はフランス国王ルイ15世となり、次男フィリップは
スペイン・ハプスブルク家の男子が途絶えたために
スペイン王フェリペ5世となったからである。この
ブルボン朝(スペイン語でボルボン朝)スペイン王家は、
フランコ独裁による中断はあったものの、現在も続いてるのである。
さて、
シャルル・ペロー原作(息子がまとめたとも言われてるが)の
「眠れる森の美女」では、姫は100年後に
その国を統治してた王家の王子のくちづけで目覚めるのではなく、
王子が眠れる姫の前までこぎつけた時点で目覚めるのである。そして、
姫は王子との間に一姫二太郎をもうけるのである。
女の子はAurore(オロール=曙)、男の子はJour(ジュール=昼)、と名付けられる。
男の子のほうがお姉さんよりずっとできがよくいい顔をしてたから、
などと書かれてる。女子は王位継承に相応しくない、
という理由付けのように。そしてさらに、
王子の母はじつは悪で、オロールをそしてジュールを食べて……。
眠れる森の姫の国を完全簒奪する上で、この王子の母の行いは
不可欠なものなのである。
食べて(manger=マンジェ)でもしなければ、将来に禍根を残すことになり、
マンジリともできないのである。
私は煎餅焼きがなかなかすすまなくて
マンジリともしない。腹が減ってきた。
マンジュウでも食らうとしよう。