日本には「嘉永元年創業」「文久弐年創業」などという
「老舗」が、京都や日本橋には少なからずみうけられる。が、
とくに京都では「創業百年」なんてまだまだ新参者、
などという戯れ言が交わされる。
数学界には「未解決問題」あるいは「予想」
という一種のジャンルのようなものがある。その中には、
提起されてから100年、200年、300年、などというのもある。が、
わりと近年に提起されたものには
「ABC予想」などというのがあるし、
「リーマン予想」は未だに未解決のままである。が、
ここ40年ほどで、
「四色問題(1852年提起-1976年解決)」
「ポアンカレ予想(1904年提起-2004年解決)」
などが解決された。そして、
1995年には330年間未解決だった、いわゆる
「フェルマーの大予想(解決後は「フェルマーの大定理」「フェルマーの最終定理」)が
英国出身の数学者アンドルー・ワイルズによって
肯定的に証明された。
本日は、フランスの数学者、
Pierre de Fermat(ピエル・ドゥ・フェルマ、1607or1608-1665)の
没後350年にあたる日である。
その遺稿を子が出版したことから
「フェルマーの大予想」問題は始まった。ちなみに、
その遺稿とはディオファントスの"Arithmetica(アリトメーティカ=算術)"に
フェルマーが書き込みをしたものである。いわゆる
「欄外書込集」である。
フェルマーはその余白に48個の注釈を附けた。
その最後の48番目の注釈が
「フェルマーの大予想」「フェルマーの最終予想」
などと呼ばれた「大難問」となったのである。ちなみに、
注釈のひとつに
「フェルマーの小予想(ライプニッツによって証明されたのちは定理)」
がある。これは現在、
ネット通信で使われてるRSA暗号に応用利用されてる。
「ピタゴラスの定理(三平方の定理)」は、
現代の日本人なら誰しもが中学の数学で習う。
ごく日常的にも生活に密接して使われるものである。
ごく簡便にすると、
(直角三角形の各辺をそれぞれ、x,y,z(斜辺)とすると)
x^2+y^2=z^2
(が成り立つ)
というものである(^は冪乗を表す)。これには実際、
x=3,y=4,z=5
という自然数(正の整数)解が存在する。
そのような3つ組数を「ピタゴラス数」という。
ともあれ、
この2乗の箇所を[n(3以上の自然数)で考えた場合、
x^n+y^n=z^n
を満たすような自然数(x, y, z) の組は存在しない]
というのが「フェルマーの大予想」または「フェルマーの最終予想」
(解決後にはそれぞれ「フェルマーの大定理」「フェルマーの最終予想定理」)
である。
n=4の場合はフェルマー自身が生前に証明した。
n=3の場合はオイラーが18世紀半ばに証明した。
n=5の場合を女流数学者のソフェ・ジェルモンが取り組み、半ば証明し、
フランスのルジャンドルと
フェーリクス・メンデルスゾーンの妹の夫であるディリグレが
1820年代にそれぞれ単独で完全証明した。
n=14の場合を上記ディリグレが1832年に証明し、その数年後に、
n=7の場合をラメ(ルベーグが補完)が証明した。そして、
クンマーがnが正則素数の場合すべてにおいて証明した。
それから100年はたいした成果もなかったが、
ドイツのゲアハルト・フライが、
x^n+y^n=z^n を満たすような
互いに素な自然数(x, y, z)が存在すると仮定すると、
p^2=q(q+x^n)(q-y^)
という楕円曲線が存在することになる、という
「フライ曲線」なるものを提唱した(実際には存在しえないのだが)。
いっぽう、
31歳で自殺した谷山豊が1955年に
日光で開かれた数学(整数論)の国際学会で
「すべての楕円曲線はモジュラーである(か)」
という言葉に置き換えれる問題を提起した。これを
谷山の死後に志村五郎が研究に取り組み、のちに
「谷山予想(谷山・志村予想)」と呼ばれた未解決問題
(のちに証明され「谷山・志村定理」)に、
フライ曲線を結びつけた。
そうして、
1)フェルマーが間違ってた(自然解が存在する)と仮定する。
→
2)その自然解からフライ曲線(モジュラーでない線楕円曲線)を作ることができる。
→
3)谷山・志村予想が正しいとすれば、フライ曲線もモジュラーである
(モジュラーでない楕円曲線は存在しないから)。
→
4)谷山・志村予想が正しいと証明される。
→
5)するとフライ曲線は存在しないことになる。
→
6)つまりフェルマーが間違ってたという仮定そのものが間違いである。
→
7)したがってフェルマーの予想は正しい(真である)。
というハイリ・ハイリフレ・背理法で証明される、
ということが判ったのである。あとは
時間の問題である。そして、
アンドルー・ワイルズがこの長い駅伝競走のアンカーとなって
ゴウル・テイプを切ったのである。
たしかにゴウル・テイプを切ったのはワイルズだが、
この駅伝競走におけるMVPはフライ、次点は谷山なのである。それから、
証明にはガロアの「群」という概念が大きく寄与してる。
フランス人、ドイツ人、イギリス人、そして日本人が
この問題解決に貢献したのだった。……あと、
ディオファントスで、古代ギリシャ人もか……。
ディオファントスにはその"墓碑銘"というクイズがある。
[その生涯の6分の1が少年期、12分の1が青年期、
その後、生涯の7分の1が経って結婚、
結婚して5年で子供が誕生、
しかしその子はディオファントスの寿命の半分で死ぬ。
子を失って4年後にディオファントスは死んだ。
さて、ディオファントスは何歳で死んだか?]
(1/6)x+(1/12)x+(1/7)x+5+(1/2)x+4=x
志村五郎は現在、84歳である。
「老舗」が、京都や日本橋には少なからずみうけられる。が、
とくに京都では「創業百年」なんてまだまだ新参者、
などという戯れ言が交わされる。
数学界には「未解決問題」あるいは「予想」
という一種のジャンルのようなものがある。その中には、
提起されてから100年、200年、300年、などというのもある。が、
わりと近年に提起されたものには
「ABC予想」などというのがあるし、
「リーマン予想」は未だに未解決のままである。が、
ここ40年ほどで、
「四色問題(1852年提起-1976年解決)」
「ポアンカレ予想(1904年提起-2004年解決)」
などが解決された。そして、
1995年には330年間未解決だった、いわゆる
「フェルマーの大予想(解決後は「フェルマーの大定理」「フェルマーの最終定理」)が
英国出身の数学者アンドルー・ワイルズによって
肯定的に証明された。
本日は、フランスの数学者、
Pierre de Fermat(ピエル・ドゥ・フェルマ、1607or1608-1665)の
没後350年にあたる日である。
その遺稿を子が出版したことから
「フェルマーの大予想」問題は始まった。ちなみに、
その遺稿とはディオファントスの"Arithmetica(アリトメーティカ=算術)"に
フェルマーが書き込みをしたものである。いわゆる
「欄外書込集」である。
フェルマーはその余白に48個の注釈を附けた。
その最後の48番目の注釈が
「フェルマーの大予想」「フェルマーの最終予想」
などと呼ばれた「大難問」となったのである。ちなみに、
注釈のひとつに
「フェルマーの小予想(ライプニッツによって証明されたのちは定理)」
がある。これは現在、
ネット通信で使われてるRSA暗号に応用利用されてる。
「ピタゴラスの定理(三平方の定理)」は、
現代の日本人なら誰しもが中学の数学で習う。
ごく日常的にも生活に密接して使われるものである。
ごく簡便にすると、
(直角三角形の各辺をそれぞれ、x,y,z(斜辺)とすると)
x^2+y^2=z^2
(が成り立つ)
というものである(^は冪乗を表す)。これには実際、
x=3,y=4,z=5
という自然数(正の整数)解が存在する。
そのような3つ組数を「ピタゴラス数」という。
ともあれ、
この2乗の箇所を[n(3以上の自然数)で考えた場合、
x^n+y^n=z^n
を満たすような自然数(x, y, z) の組は存在しない]
というのが「フェルマーの大予想」または「フェルマーの最終予想」
(解決後にはそれぞれ「フェルマーの大定理」「フェルマーの最終予想定理」)
である。
n=4の場合はフェルマー自身が生前に証明した。
n=3の場合はオイラーが18世紀半ばに証明した。
n=5の場合を女流数学者のソフェ・ジェルモンが取り組み、半ば証明し、
フランスのルジャンドルと
フェーリクス・メンデルスゾーンの妹の夫であるディリグレが
1820年代にそれぞれ単独で完全証明した。
n=14の場合を上記ディリグレが1832年に証明し、その数年後に、
n=7の場合をラメ(ルベーグが補完)が証明した。そして、
クンマーがnが正則素数の場合すべてにおいて証明した。
それから100年はたいした成果もなかったが、
ドイツのゲアハルト・フライが、
x^n+y^n=z^n を満たすような
互いに素な自然数(x, y, z)が存在すると仮定すると、
p^2=q(q+x^n)(q-y^)
という楕円曲線が存在することになる、という
「フライ曲線」なるものを提唱した(実際には存在しえないのだが)。
いっぽう、
31歳で自殺した谷山豊が1955年に
日光で開かれた数学(整数論)の国際学会で
「すべての楕円曲線はモジュラーである(か)」
という言葉に置き換えれる問題を提起した。これを
谷山の死後に志村五郎が研究に取り組み、のちに
「谷山予想(谷山・志村予想)」と呼ばれた未解決問題
(のちに証明され「谷山・志村定理」)に、
フライ曲線を結びつけた。
そうして、
1)フェルマーが間違ってた(自然解が存在する)と仮定する。
→
2)その自然解からフライ曲線(モジュラーでない線楕円曲線)を作ることができる。
→
3)谷山・志村予想が正しいとすれば、フライ曲線もモジュラーである
(モジュラーでない楕円曲線は存在しないから)。
→
4)谷山・志村予想が正しいと証明される。
→
5)するとフライ曲線は存在しないことになる。
→
6)つまりフェルマーが間違ってたという仮定そのものが間違いである。
→
7)したがってフェルマーの予想は正しい(真である)。
というハイリ・ハイリフレ・背理法で証明される、
ということが判ったのである。あとは
時間の問題である。そして、
アンドルー・ワイルズがこの長い駅伝競走のアンカーとなって
ゴウル・テイプを切ったのである。
たしかにゴウル・テイプを切ったのはワイルズだが、
この駅伝競走におけるMVPはフライ、次点は谷山なのである。それから、
証明にはガロアの「群」という概念が大きく寄与してる。
フランス人、ドイツ人、イギリス人、そして日本人が
この問題解決に貢献したのだった。……あと、
ディオファントスで、古代ギリシャ人もか……。
ディオファントスにはその"墓碑銘"というクイズがある。
[その生涯の6分の1が少年期、12分の1が青年期、
その後、生涯の7分の1が経って結婚、
結婚して5年で子供が誕生、
しかしその子はディオファントスの寿命の半分で死ぬ。
子を失って4年後にディオファントスは死んだ。
さて、ディオファントスは何歳で死んだか?]
(1/6)x+(1/12)x+(1/7)x+5+(1/2)x+4=x
志村五郎は現在、84歳である。
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