大正3年(1914年)9月17日、現在の山梨県南アルプス市に、
自民党の大物政治家として日本の政治権力の一端を担ってたこともあった
金丸信(かねまる・しん、1914-1996)
は生まれた。同人に特段の繋がりがあるわけではないが、
同人の東京の自宅(旧松方ハウス、がま池、麻布中高などのそば)が
私の母の実家からさほど遠くないところにあったので、
何かとその動向が気になった政治家だった
橋本龍太郎の東京の家も金丸邸から近いところだった。
おそらく西武の堤が何らかで関わってたのだろう。
ちなみに、
金丸信の名字には金という文字が入ってるためか
在日在日というむきがあるが、たとえ、文鮮明に便宜をはかってやった
売国政治家だったとしても、朝鮮人ではない。
金丸氏は武田源氏の一つであり、れっきとした武家の家系なのである。
金丸信の親の代には酒造業を営んでた、裕福な家だった。
平成4年3月6日に、金丸信は東京地検で任意の聴取を受け、
そのまま逮捕された。自宅の家宅捜索で、
「金の延べ棒」など数十億の隠し金が発見された。
金丸が塀の中に落ちたのは、
国税によってワリシンでの不正資金が暴かれたからである。
当時のワリシンは無記名債権だったため、
日債銀ぐるみで裏金づくりを行えたのである。が、
所詮、記録が存在するので、それがある以上は
バレてしまうものなのである。
逮捕から一か月弱の4月3日、
3億円の保釈金で保釈が許可された。
小菅の東京拘置所から金丸を乗せたベンツが出てくると、
群がってたマスコミがパパラチった。
空からはヘリが同車を追って一部始終がTVにライヴで映し出されてた。
こうした追跡劇はよくあることだが、金丸のお抱え運転手は
他の事件の被疑者・容疑者・服役を終えた人物などを乗せた運転手とは
そのドライヴィング・テクニックは雲泥の差だった。
お見事、としか言いようがない。
右左折のときの直角に曲がる箇所などの
減速→右左折→加速
の按配のあざやかさは
F1レイサー並といっても過言ではないほどだった。
石和だか笛吹だかのトヨペットの営業マンを
その運転技術を見込んだ金丸が自分の運転手にスカウトした、
というようなことを聞いたことがある(真偽のほどは判らないが)。
戦後復員して酒造業に戻った金丸信が政治家を志したのは、
<造酒屋は酒を密造し税をごまかしている>
という税務署の決めつけに怒りを覚えたからだという。が、
やっぱり「脱税」で塀の中に落ち、政治的にも身体的にも
それが命取りとなったのである。
金丸の親は「南総里見八犬伝」の8つの玉の文字
「仁義礼智忠信孝悌」に因んだ名を子に付けてて、
その中の信が金丸に与えられたという。が、その最後は
「信」ではなく「割信(割引信用債券)」が命取りとなった。
自民党の大物政治家として日本の政治権力の一端を担ってたこともあった
金丸信(かねまる・しん、1914-1996)
は生まれた。同人に特段の繋がりがあるわけではないが、
同人の東京の自宅(旧松方ハウス、がま池、麻布中高などのそば)が
私の母の実家からさほど遠くないところにあったので、
何かとその動向が気になった政治家だった
橋本龍太郎の東京の家も金丸邸から近いところだった。
おそらく西武の堤が何らかで関わってたのだろう。
ちなみに、
金丸信の名字には金という文字が入ってるためか
在日在日というむきがあるが、たとえ、文鮮明に便宜をはかってやった
売国政治家だったとしても、朝鮮人ではない。
金丸氏は武田源氏の一つであり、れっきとした武家の家系なのである。
金丸信の親の代には酒造業を営んでた、裕福な家だった。
平成4年3月6日に、金丸信は東京地検で任意の聴取を受け、
そのまま逮捕された。自宅の家宅捜索で、
「金の延べ棒」など数十億の隠し金が発見された。
金丸が塀の中に落ちたのは、
国税によってワリシンでの不正資金が暴かれたからである。
当時のワリシンは無記名債権だったため、
日債銀ぐるみで裏金づくりを行えたのである。が、
所詮、記録が存在するので、それがある以上は
バレてしまうものなのである。
逮捕から一か月弱の4月3日、
3億円の保釈金で保釈が許可された。
小菅の東京拘置所から金丸を乗せたベンツが出てくると、
群がってたマスコミがパパラチった。
空からはヘリが同車を追って一部始終がTVにライヴで映し出されてた。
こうした追跡劇はよくあることだが、金丸のお抱え運転手は
他の事件の被疑者・容疑者・服役を終えた人物などを乗せた運転手とは
そのドライヴィング・テクニックは雲泥の差だった。
お見事、としか言いようがない。
右左折のときの直角に曲がる箇所などの
減速→右左折→加速
の按配のあざやかさは
F1レイサー並といっても過言ではないほどだった。
石和だか笛吹だかのトヨペットの営業マンを
その運転技術を見込んだ金丸が自分の運転手にスカウトした、
というようなことを聞いたことがある(真偽のほどは判らないが)。
戦後復員して酒造業に戻った金丸信が政治家を志したのは、
<造酒屋は酒を密造し税をごまかしている>
という税務署の決めつけに怒りを覚えたからだという。が、
やっぱり「脱税」で塀の中に落ち、政治的にも身体的にも
それが命取りとなったのである。
金丸の親は「南総里見八犬伝」の8つの玉の文字
「仁義礼智忠信孝悌」に因んだ名を子に付けてて、
その中の信が金丸に与えられたという。が、その最後は
「信」ではなく「割信(割引信用債券)」が命取りとなった。
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