今年は十二支では午年ということらしい。
各企業もウェブサイトで新年の挨拶を行ってる。その中で、
<年始のご挨拶 本年もよろしくお願い申し上げます>
と、アイスの
「モナ王」で知られる菓子メイカー「ロッテ」もコアラにマーチのキャラが
鏡餅ヴァージョンになっている画像をアップしたそうである。ところが、
元日17時にはその画像を削除してしまったということである。
片隅の「最新情報」に「2014.01.02 誤表記に関するお詫び」
というリンクが貼ってあるだけである。リンク先は、
以下のようになってる。
<お知らせ
日頃より当社サイトをご利用頂き、誠に有り難うございます。
この度、当社ウェブサイト上での年始のご挨拶において、
本年の干支を間違えて表記しておりました。
皆様には大変ご迷惑をお掛けしましたことを深くお詫び申し上げます。
尚、1月1日に表記を訂正いたしました。
今後このような事の無いよう再発防止に努めて参りますので、
引き続きご愛顧のほど宜しくお願い申し上げます。
2014年1月2日>
つまりは、「午年」を牛年だと誤認してて「丑年」としてしまってた、
ということらしい。李氏朝鮮時代には漢語一辺倒でハングルを
バカにしてて使わなかったがゆえに文盲率90パーセント以上だったのを
日本人によって教えられてからはその文字を
自尊心の象徴のようにして、本場中国だけでなく
日本由来の漢語が多くある漢字を廃止したので、
疎くなってるのかもしれない。事実を直視できない、
ウソの歴史と美容整形で塗りたくった民が経営する企業らしい所業である。
キャドバリー・ジャパンのガム「Stride」が売れたので、
Fit'sをStrideのパッケージに類似したものに変更して
Strideの棚を隅に追いやってそこにFit'sを置かせ、
客がStrideと誤って購買してしまうのを狙うような
汚い商売をする企業である。
清廉潔白な人柄で「坂東武士の鑑」と称された日本人、
畠山重忠とは雲泥の差である。今年は、
1月1日が旧暦の12月朔日にあたるので、今日1月3日の夜は
「三日月」である。
畠山重忠(はたけやま・しげただ、西暦およそ1164-同1205)は、
今年が生誕850年の年にあたる。
いわゆる鵯越の逆落としで、馬が怪我をしないようにと、
反対に馬を背負って坂を駆けおりたという逸話で知られるが、
その愛馬こそが「三日月」である。その名の由来は、
石丸謙二郎と見栄晴の顔の違いも、
オルフェーヴル号とテンポイント号の顔の違いも、
判別できない拙脳なる私には知る由もないが、おそらくは、
馬のmarking(顔面白斑)が三日月型だったのだろう。
畠山氏は秩父氏の流れであり、そのもとは桓武平氏である。
現在、埼玉県深谷市畠山となってる
武蔵国男衾郡(おぶすまごおり)畠山庄を領して
畠山を名乗った一族の出である。
挙兵した頼朝には浮世の義理で当初敵対した。が、
他の関東平氏ともどもちゃっかり頼朝方についた。
頼朝も戦に役に立つ男を味方につけるのは利であるから
昔のことは水に流してすんなり受け入れたのである。ちなみに、
いわゆる源平の諍いというのは「源氏対平氏」ではなく、
「頼朝方対平家」なのである。搾取過多な平家は
関東武士からは出自を問わず疎まれてたのである。
負けるべくして負けただけのことである。
頼朝のもっとも信頼する御家人となった重忠だった。が、
創業者亡きあとの側近の末路は知れてる。
近隣悪徳貶日国らによってウソを喧伝される日本のごとく、
重忠は北条時政の手回しによって謀叛という虚偽の噂を流され、
「鎌倉に異変あり。至急参上されたし」
という虚偽の通知を受けていざ鎌倉、本拠地の菅谷館を出て
鎌倉街道を進み、現在の横浜市旭区鶴ヶ峰にさしあたったところで
北条の大軍に立ちはだかれて討ち死にする。が、
その追討軍大将軍だった義時でさえ、
「あの忠臣重忠が謀叛など起こすはずもない」
と父時政に反駁してたくらいだった。そして、
その首を鎌倉に持ち帰ったときも、
「弟をはじめとして親族はみな他所にいたじゃないか。
重忠はあんな無勢で謀叛などありえない。
謀叛などというのはウソだったんじゃないか!
騙して討たせたな!」
と父時政を罵倒したという。実際、その後、義時は
重忠謀叛と讒言した者どもを父親以外は根こそぎ誅した。いずれにせよ、
実直な重忠は権謀術数で幕府を牛耳るようになった
北条氏の内紛、つまり、政子義時姉弟対父時政という対立によって、
政子義時姉弟による父義時追放の口実とされた感がある。
それはそれとして、近隣貶日悪徳国への対抗策として、
現在の日本にこそ北条氏のような策謀家が求められる。
東名高速の横浜青葉IC周辺の半径10km内あたりは旧来は
相模国ではなく武蔵国だった。現在も、
東京都町田市と神奈川県川崎市および横浜市などが
わけのわからない入りくみかたをしてる。が、
そこらへん一帯はかつては
「石川牧」という元日テレの女子アナではなく有名な馬産地だった。
前述の鵯越の逆落としで畠山重忠が背負って降りた
という逸話で有名な愛馬「三日月」も
そこで生産された馬だった。今夜はテレ朝で、
「有吉・マツコの怒り新党 お正月スペシャル」を放送してるが、その
「新3大」コーナーは、「初詣シーズン! 素人にはオススメできない神社」だった。
なんとオドロキ、な立地になる神社を特集してた。
東京メトロ半蔵門線と乗り入れてる東急田園都市線の、
渋谷駅からは急行で21分、各停でも29分の
「あざみ野」駅から早渕川を挟んで東約500mのところに、
「驚神社(おどろきじんじゃ)」(横浜市青葉区新石川町)
という神社がある。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祀ってるが、ここらへん一帯は、
旧鎌倉街道の荏田辻(えだのつじ)があり、
江戸時代には大山街道と交差する地点であり、
荏田宿が設けられた要害の地である。古くから、
「武蔵国石川牧の総鎮守」とされてた由緒ある社である。
畠山重忠も領地と鎌倉の行き来に通るたびに参詣したという。
馬産という「馬を敬う」べき土地柄だから、
「敬馬」でそれを上下に並べた形の「驚」という語呂合わせが
この社の名の由来である。この神社の特徴は、
石製と木製(朱塗り)の神明鳥居が並んでることである。
鳥居と鳥居の間には狛犬が置かれ、そこから参道が続く。
橋を渡って石段を登ると境内が現れる。
拝殿正面には、出雲大社ほどではないにしろ、
かなり太い注連縄が渡されてる。例祭は
現在は10月の第二月曜の直前の土、日に行われるが、
元禄時代から始まった「牛込の獅子舞」が
神奈川県ではけっこう有名である。ガキの頃、
土日を横浜の家(港北区)で過ごしてたので、自転車で
聖マリアンナ医科大や読売ランドや王禅寺方面まで行ってみたり、
各地の祭などをみにいったりしてたが、
一度だけその獅子舞にも遭遇したことがある。
人形浄瑠璃に、「壇浦兜軍記」というものがあるが、そこでは、
平景清の相手阿古屋(あこや)を堀川御所の白洲で裁く名判官
秩父庄司重忠として登場し、
智勇兼備かつ情ある武士というキャラづけをされてる。同様に、
市川宗家の歌舞伎十八番のひとつ「景清」にも重忠は
秩父重忠として登場する。昨年の6月に、
板東玉三郎の特別公演が京都南座で催されたが、
その浄瑠璃を歌舞伎化したものが演目だった。
堺雅人に倍返しされるオネエ国税局員でさらに人気アップの
ラヴちゃんこと片岡愛之助が秩父庄司重忠を演じた。いっぽう、
新橋演舞場の今年の1月の初春花形歌舞伎は、市川海老蔵が
通し狂言「壽三升景清(ことほいでみますかげきよ)」で
景清を演じ、中村獅童が秩父庄司重忠に扮してる。
各企業もウェブサイトで新年の挨拶を行ってる。その中で、
<年始のご挨拶 本年もよろしくお願い申し上げます>
と、アイスの
「モナ王」で知られる菓子メイカー「ロッテ」もコアラにマーチのキャラが
鏡餅ヴァージョンになっている画像をアップしたそうである。ところが、
元日17時にはその画像を削除してしまったということである。
片隅の「最新情報」に「2014.01.02 誤表記に関するお詫び」
というリンクが貼ってあるだけである。リンク先は、
以下のようになってる。
<お知らせ
日頃より当社サイトをご利用頂き、誠に有り難うございます。
この度、当社ウェブサイト上での年始のご挨拶において、
本年の干支を間違えて表記しておりました。
皆様には大変ご迷惑をお掛けしましたことを深くお詫び申し上げます。
尚、1月1日に表記を訂正いたしました。
今後このような事の無いよう再発防止に努めて参りますので、
引き続きご愛顧のほど宜しくお願い申し上げます。
2014年1月2日>
つまりは、「午年」を牛年だと誤認してて「丑年」としてしまってた、
ということらしい。李氏朝鮮時代には漢語一辺倒でハングルを
バカにしてて使わなかったがゆえに文盲率90パーセント以上だったのを
日本人によって教えられてからはその文字を
自尊心の象徴のようにして、本場中国だけでなく
日本由来の漢語が多くある漢字を廃止したので、
疎くなってるのかもしれない。事実を直視できない、
ウソの歴史と美容整形で塗りたくった民が経営する企業らしい所業である。
キャドバリー・ジャパンのガム「Stride」が売れたので、
Fit'sをStrideのパッケージに類似したものに変更して
Strideの棚を隅に追いやってそこにFit'sを置かせ、
客がStrideと誤って購買してしまうのを狙うような
汚い商売をする企業である。
清廉潔白な人柄で「坂東武士の鑑」と称された日本人、
畠山重忠とは雲泥の差である。今年は、
1月1日が旧暦の12月朔日にあたるので、今日1月3日の夜は
「三日月」である。
畠山重忠(はたけやま・しげただ、西暦およそ1164-同1205)は、
今年が生誕850年の年にあたる。
いわゆる鵯越の逆落としで、馬が怪我をしないようにと、
反対に馬を背負って坂を駆けおりたという逸話で知られるが、
その愛馬こそが「三日月」である。その名の由来は、
石丸謙二郎と見栄晴の顔の違いも、
オルフェーヴル号とテンポイント号の顔の違いも、
判別できない拙脳なる私には知る由もないが、おそらくは、
馬のmarking(顔面白斑)が三日月型だったのだろう。
畠山氏は秩父氏の流れであり、そのもとは桓武平氏である。
現在、埼玉県深谷市畠山となってる
武蔵国男衾郡(おぶすまごおり)畠山庄を領して
畠山を名乗った一族の出である。
挙兵した頼朝には浮世の義理で当初敵対した。が、
他の関東平氏ともどもちゃっかり頼朝方についた。
頼朝も戦に役に立つ男を味方につけるのは利であるから
昔のことは水に流してすんなり受け入れたのである。ちなみに、
いわゆる源平の諍いというのは「源氏対平氏」ではなく、
「頼朝方対平家」なのである。搾取過多な平家は
関東武士からは出自を問わず疎まれてたのである。
負けるべくして負けただけのことである。
頼朝のもっとも信頼する御家人となった重忠だった。が、
創業者亡きあとの側近の末路は知れてる。
近隣悪徳貶日国らによってウソを喧伝される日本のごとく、
重忠は北条時政の手回しによって謀叛という虚偽の噂を流され、
「鎌倉に異変あり。至急参上されたし」
という虚偽の通知を受けていざ鎌倉、本拠地の菅谷館を出て
鎌倉街道を進み、現在の横浜市旭区鶴ヶ峰にさしあたったところで
北条の大軍に立ちはだかれて討ち死にする。が、
その追討軍大将軍だった義時でさえ、
「あの忠臣重忠が謀叛など起こすはずもない」
と父時政に反駁してたくらいだった。そして、
その首を鎌倉に持ち帰ったときも、
「弟をはじめとして親族はみな他所にいたじゃないか。
重忠はあんな無勢で謀叛などありえない。
謀叛などというのはウソだったんじゃないか!
騙して討たせたな!」
と父時政を罵倒したという。実際、その後、義時は
重忠謀叛と讒言した者どもを父親以外は根こそぎ誅した。いずれにせよ、
実直な重忠は権謀術数で幕府を牛耳るようになった
北条氏の内紛、つまり、政子義時姉弟対父時政という対立によって、
政子義時姉弟による父義時追放の口実とされた感がある。
それはそれとして、近隣貶日悪徳国への対抗策として、
現在の日本にこそ北条氏のような策謀家が求められる。
東名高速の横浜青葉IC周辺の半径10km内あたりは旧来は
相模国ではなく武蔵国だった。現在も、
東京都町田市と神奈川県川崎市および横浜市などが
わけのわからない入りくみかたをしてる。が、
そこらへん一帯はかつては
「石川牧」という元日テレの女子アナではなく有名な馬産地だった。
前述の鵯越の逆落としで畠山重忠が背負って降りた
という逸話で有名な愛馬「三日月」も
そこで生産された馬だった。今夜はテレ朝で、
「有吉・マツコの怒り新党 お正月スペシャル」を放送してるが、その
「新3大」コーナーは、「初詣シーズン! 素人にはオススメできない神社」だった。
なんとオドロキ、な立地になる神社を特集してた。
東京メトロ半蔵門線と乗り入れてる東急田園都市線の、
渋谷駅からは急行で21分、各停でも29分の
「あざみ野」駅から早渕川を挟んで東約500mのところに、
「驚神社(おどろきじんじゃ)」(横浜市青葉区新石川町)
という神社がある。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祀ってるが、ここらへん一帯は、
旧鎌倉街道の荏田辻(えだのつじ)があり、
江戸時代には大山街道と交差する地点であり、
荏田宿が設けられた要害の地である。古くから、
「武蔵国石川牧の総鎮守」とされてた由緒ある社である。
畠山重忠も領地と鎌倉の行き来に通るたびに参詣したという。
馬産という「馬を敬う」べき土地柄だから、
「敬馬」でそれを上下に並べた形の「驚」という語呂合わせが
この社の名の由来である。この神社の特徴は、
石製と木製(朱塗り)の神明鳥居が並んでることである。
鳥居と鳥居の間には狛犬が置かれ、そこから参道が続く。
橋を渡って石段を登ると境内が現れる。
拝殿正面には、出雲大社ほどではないにしろ、
かなり太い注連縄が渡されてる。例祭は
現在は10月の第二月曜の直前の土、日に行われるが、
元禄時代から始まった「牛込の獅子舞」が
神奈川県ではけっこう有名である。ガキの頃、
土日を横浜の家(港北区)で過ごしてたので、自転車で
聖マリアンナ医科大や読売ランドや王禅寺方面まで行ってみたり、
各地の祭などをみにいったりしてたが、
一度だけその獅子舞にも遭遇したことがある。
人形浄瑠璃に、「壇浦兜軍記」というものがあるが、そこでは、
平景清の相手阿古屋(あこや)を堀川御所の白洲で裁く名判官
秩父庄司重忠として登場し、
智勇兼備かつ情ある武士というキャラづけをされてる。同様に、
市川宗家の歌舞伎十八番のひとつ「景清」にも重忠は
秩父重忠として登場する。昨年の6月に、
板東玉三郎の特別公演が京都南座で催されたが、
その浄瑠璃を歌舞伎化したものが演目だった。
堺雅人に倍返しされるオネエ国税局員でさらに人気アップの
ラヴちゃんこと片岡愛之助が秩父庄司重忠を演じた。いっぽう、
新橋演舞場の今年の1月の初春花形歌舞伎は、市川海老蔵が
通し狂言「壽三升景清(ことほいでみますかげきよ)」で
景清を演じ、中村獅童が秩父庄司重忠に扮してる。
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