チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「モーツァルトの交響曲の調性とトランペット/40番ト短調は"欠いてる"のではない」

2011年02月06日 21時15分44秒 | 説くクラ音ばサラサーデまで(クラ音全般

モーツァルト 交響曲第40番 トランペット


[トランペットとティンパニがないのが"常識"なのである]

大相撲は揺れてしまってる。
「公然の秘密」と「実際に証拠立てて暴かれること」は
まったく違う。それは、
チャイコフスキーの「公然の秘密」も同じである。ポズナンスキー氏は、
<チャイコフスキーの同性愛の性癖は公然の秘密であり、
 もはや隠すことではなかった(だから、自殺の原因たりえない)>
と宣ったらしい。が、噂の段階と実際に公の場で問題にされるのとでは、
まったく意味が違うことを知らないらしい。ともあれ、
大相撲は伝統ある国技、とされてる。が、
裸をはしたないものとみなす御仁には
シンジがたいことかもしれないが、
伝統があることが重用なのではない。
格闘技としての勝敗の多寡やそれに関わる一切の派生事項の側面より、
相撲が神事であることの本質が大事なのである。だから、
雑魚がどれほど八百長をやろうが、ガイジン力士ばかりになろうが、
それは根本的なことではない。むしろ、
1勝1敗、今度はかたや次回はこなた、持ちつ持たれつ、
相身互い、星取を助け合うこと、などは、
「本来あるべき姿」ともいうべきである。
格闘技といえば聞こえはいいが、本質的には
相手を打ちのめして自分の力を誇示するものである。実際、
相撲でも禁じ手の制限を加えても"すべてに全力"で戦えば、
死者が続出するはずである。怪我人ともなればその数倍である。
それでは取り組みが成り立たない。それは、
野球賭博にかかわった力士が休まされた場所を鑑みれば明かである。
民主党が行った中で唯一"褒め"られた「事業仕分け」は、結果、
庶民の財布の紐を一段と締めさせた。役人の天下りばかりを詰るが、
売国奴が何を清廉なことを言う。国家のために働いた者が、
金銭的に報われたとしても大目に見ていいではないか。
武士ではないのだから。
羨ましければ自分がその立場になればよかったのである。
試験に受かって能力があれば、他に制限などないのだから。
2009年の総選挙では、日本をなくすための政党に投票したのが
本当に7割もいたことには、正直愕然とした。
民主党に与するのは自分で自分のクビを絞める行為なのに。
日本にとっての根幹ををリストラし日本を骨抜きにする魂胆のエセ日本人を、
目先の"子供手当"という子供騙しに目がくらんで当選させたのである。
日本国民がここまでバカだとは思ってなかった。
太平洋戦争で犠牲になった人たちは完璧に無駄死にである。

ヨーセフ・ハイドンやヴォルフガング・モーツァルトの1780年代までの交響曲には、
トランペット(とティンパニ)が使われてるものとそうでないものが"混在"する
……と、一般には認識されてるらしい。
ネットに私のような音楽のシロウトが書いてるものを見ても、
とくにモーツァルトの40番ト短調に関しては、
<どれくらい暗いかというと。トランペットとティンパニがありません>
<驚いたことにティンパニーもトランペットも入っておらず>
<ティンパニとトランペットが使われていないのが特徴で>
<トランペットやティンパニを省いた編成です>
<本格的交響曲としてはトランペットとティンパニが使われず>
<トランペットとティンパニを欠いているせいか>
<トランペット、ティンパニを欠き>
と疾風怒濤の書かれざまである。また、
いわゆる46番(k.96/111b)ハ長調に関して、
<この時期の曲には珍しくトランペットとティンパニを使用>
(ちなみに、「この時期」の他の交響曲はヘ長調、ト長調、ヘ長調、という具合)
である。それから、33番変ロ長調に関しても、
<編成もトランペットとティンパニが省かれている>
のような認識である。ところが、
ドシロウトだけではなく、いわゆるクラシック音楽の評論家、などという、
評論をしてギャラを得てるプロまでもが、このように書いてる。
<楽器編成をみると、こちらはトランペットとティンパニを欠いているのが目を引く>

まったくの間違いである。というより、危険な無知である。が、
評論だけでなく大学で教えたり、教養講座で講演したりしてる者が、
無垢な若者や勉学に励もうとする人たちに、なぜ、
自分の無知や不勉強を押しつけ教え、垂れ流してるのか、
ナイナイ岡村と徳永英明の顔が判別できない
拙脳なる私に解かろうはずもない。

モーツァルトがハ長調およびニ長調以外の交響曲で
トランペット(とティンパニ)を用いてるのは、
・26番変ホ長調(K184/161a、1773年於サーツブァク)
・32番ト長調(K318、 1779年於サーツブァク)
・39番変ホ長調(K543、1788於ヴィーン)
の3つである。このうち、
32番はト長調の全3楽章が繋がってて「イタリア序曲」の趣である。
C管(ティンパニはGとD)が用いられてる。
第2楽章でトランペットは使われてない。いっぽう、
26番の場合も2楽章ではトランペットとティンパニは休みである。が、
全楽章が繋がってて、やはり「イタリア序曲」である。実際、
Karl Martin Pluemicke(カール・マーティン・プリューミケ)のフランス語の戯曲
「マラバルの寡婦」のドイツ語版「ラナッサ」の開幕前の曲として使われた。また、
モーツァルト自身、この26番交響曲の冒頭を、
フリーメイスンであるゲーブラー男爵(1726-86)が書いた戯曲
「エジプト王ターモス」への劇音楽の第1曲に転用してる。

いっぽう、
ハイドンにおいてハ長調およびニ長調以外の交響曲で
トランペット(とティンパニ)を用いてるのは、1790年に
お雇い主であるエステルハージ侯爵が死んでしまうまででは、
・54番ト長調(1774年。が、のちに追加された)
・88番ト長調(1787年)
の2つである。ところが、
54番はハ長調の第2楽章では使われてなく、
ト長調の第1楽章と第3楽章と第4楽章でC管(ティンパニはGとD)が用いられ、
88番はト長調の第1楽章では使われてなく、
ニ長調の第2楽章でD管(ティンパニはAとD)が、
ト長調の第3楽章と第4楽章でC管(ティンパニはGとD)が、用いられる。

おおざっぱにいうと、こうである。
【トランペット(トロンバもしくはクラリーノと記された)はD管とC管だけだった】
当時のトロンバ(複数形はトロンベ)もしくはクラリーノ(複数形はクラリーニ)とは、
ナチュラル・トランペットのことである。現在の、
ピストンやロータリーが附いてるものを想像してはいけない。
現在のトランペットより約2倍の管長の、
長さを変えることができない固定管でできてるものである。C管なら、
[(中央ハの4度下の)第3倍音であるg、中央c、e、g、(b)、c、d、e、(f)、g、(a)、(b)、h、c]
という音だけが出せた(括弧付きは音程が悪い)。D管なら、
これのそれぞれ全音ぶんずつ高い音である。
もともとは直線で、時代が下るに従って曲げられてって、
鋭角に曲げる技術が開発されて、16世紀には
新潟競馬場の直線部分をもっと延ばしたヘアピンのような形になった。
だから、変ロ長調やト短調の交響曲には、
トランペットは使わない(使えない)のであって、
はなから「ない」のである。外そうとして
ことさらに"省いた"り"欠いてる"のではない。

中世においてトランペットとは、
「支配者の権威」を誇示するためのものだった。
ナチュラル・トランペット(ヘラルド・トランペット=王家や皇帝の紋章旗を垂らした)は、
基本的にD管とC管だけだった。
王、皇帝、法皇の権威を誇示する典礼や儀式に使われた。
演奏が難しく特殊技能が要る奏者も、宮廷附きとして特別待遇されてた。
ティンパニもトランペットと同様である。ヘンリー8世も、
トランペット奏者を十数人抱えてた。また、ハプスブルクの領土やドイツ諸国では、
トランペット(やティンパニ)を使った曲を演奏するには、
支配者が抱えてる奏者を使わなければならなかった。

1)宮廷のナチュラル・トランペットが特殊な目的で使われてたこと
2)一般に使われるときも宮廷の許可が要ること
3)その際には奏者を宮廷から借りなければならないこと
4)ティンパニもトランペットと同様な意味をもってたこと
5)ティンパニの皮の張り具合が[G<A<BとC<D<Es]のレインジに限られたこと
6)DはDeusあるいはDominae、CはChriste、という
 支配権の後ろ盾であるキリスト教の「主」の意味にとれること
この1)乃至6)の理由から、オーケストラの交響曲に使われるとしたら、
トランペットはD管とC管だけだったのである。時代が下がって、
フリートリヒ2世、ヨーセフ2世&マリア・テレズィアなどのいわゆる
啓蒙専制君主による国家近代化方針によって、
西欧の各宮廷が儀礼・式典への費用が削られる方向になったため、
特殊技能を持つナチュラル・トランペット奏者はリストラされた。ために、
トランペットの管もD管とC管だけである必要はなくなり、
オケ専用に奏者が使えるようにもなった。

しかしながら、
キリスト教の「三位一体」を表し、かつ、フリーメイスンの3でもある
3つのフラットのEs durの交響曲に、
物理的、機能的にD管に近いEs管のトランペットを
モーツァルトは使った。それが、1788年の「39番K543」である。つまり、
「40番ト短調」が「異例」だったのではない。異例というならば、
「第39番変ホ長調」こそが、いわば、
「掟破り」の音楽だったのである。そして、対仏・対西戦に加え、
米国の独立戦争に戦費がかかりトランペット奏者を抱えれなくなってた
王室とは逆に、産業革命で市民の財力が増した英国に招かれ、
モーツァルトの死のちょうどその年から5年にわたって、
ハイドンは93番乃至104番の計12曲の「ザーロモン・セット」で、
調性に関わらずすべてにトランペットとティンパニを使った。
ベートーヴェンは1番(1800年)と2番(1802年)では旧習どおり、それぞれ、
C管、D管を用いる調性を敷いた。が、
新時代を期待したナポレオンを想定して作った
「3」番(1804年)では、旧来の使用を打ち破ったEs管の
変ホ長調で書いた。そして、いわゆる
コルシカ島を暗示するために、モーツァルトの
「バスティアンとバスティエンヌ」序曲の主題を引用したのである。
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