チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「もしもピアノが弾けたなら(幻想交響曲)/指揮者コリン・デイヴィスの死にあたって」

2013年04月16日 17時04分39秒 | 説くクラ音ばサラサーデまで(クラ音全般
英国のクラ音指揮者、
"(Sir) Colin Davis、(サー・)コリン・デイヴィス(1927-2013)"が14日に
85歳で死んだそうである。ドーナトやボニーといった
真っ当な歌手との顔合わせが多かった指揮者なので
それなりにCDは買ったが、実演も聴いたことがない。とはいえ、
「チャイコフスキーのオペラの中のバレエ音楽」といった、
巷に誤解を生じさせてしまうタイトルのCDは、たとえ
一部にしてもチャイコフスキーの有名でないオペラの中の曲が
まだ普通には聴くことができなかった時代の貴重な録音として
役立ったことは確かである。

デイヴィスはこりん星でも千葉県茂原市でもなく、
英国サリー州ウェイブリッジに生まれた。この
デイヴィスの噺として有名なのは、
子供の頃から父親の影響でクラ音に親しんだが、家は
ピアノを買って子供に習わせるほどには裕福でなかったために、
クラリネットで奨学金を得て王立音楽大に学んだ、
というものがある。クラリネットでなく、
「ベト8」を聴いたときから指揮者になりたかったらしい。が、
音大でもピアノがまともには弾けないために、
指揮科の履修が許されなかった、
というものである。

デイヴィスが得意としたレパートリーに、
19世紀フランスの作曲家エクトル・ベルリオーズがある。
デイヴィスはベルリオーズをエキセントリックな作曲家としてとらえる
指揮者が巷には多いが、至極真っ当な作曲家であり、
他の大作曲家の中でもごく普通に優れてた、
という持論を展開してたらしい。が、
ベルリオーズもまた名が残ってる古今の大作曲家としては
ピアノが弾けない稀有な存在だったのである。そこに、
デイヴィスのベルリオーズに対するシンパシーがあったのだろうと
私は推測してる。ただ、
ベルリオーズはデイヴィスと違って医者の倅だったので
金銭的にピアノが買えない家に生まれたわけではない。
ベルリオーズの父親も音楽に親しんだようだが、
倅も医者にするという強固な意志が働いてたのである。実際、
ベルリオーズは医科大への進学試験に受かってパリに出た。が、
解剖実検で医師に嫌気がさして、
好きだった音楽への道に傾いてくのである。

デイヴィスはことかようにベルリオーズの音楽に共感し、その
代表作である「幻想交響曲」を好んで取り上げたということである。
無名のベルリオーズは英国のシェイクスピア女優ハリエット・スミッソンにゾッコンとなって
有名な顛末の中で「幻想交響曲」を生み出した。この作品を
仕上げたのは1830年のことだった。がしかし、
そのいっぽうでピアニストのキャミーユ・モークと付き合い、
婚約までしてたのである。が、
そのエキセントリックな人格によからぬものを感じたモークの母親が
娘をベルリオーズから引き離すべく、
他の"マトモ"な男と結婚させてしまおうという計画を練ったのである。
ローマ大賞受賞のご褒美でイタリア滞在中だったベルリオーズは
それを知って怒り心頭に発し、モーク母娘を殺すべく、
ピストルと犯行遂行用の女装衣装を買い込み、一路、
フランスに向かったのである。が、途中、
怪しまれて足止めされてるうちにバカらしくなったベルリオーズは
ローマに引き返し、モーク嬢を諦めたのである。

モーク嬢が結婚した相手は、オーストリア出身の作曲家、
イグナッツ・プライエルの倅、キャミーユだった。
キャミーユとキャミーユという同名同士の夫婦が誕生したのである。ともあれ、
フランスに帰化した父親はプレイエルとフランス語ふうに名乗った。
やがて、音楽家を捨てて企業家となった。
楽譜商、そして、楽器製造業者として成功を収めたのである。
20世紀後半に経営破綻するまで続いた、あの有名なピアノ製造業者
「プレイエル」である。つまり、
ピアノが弾けなかったベルリオーズは、
ピアノ製造業者の御曹司に婚約者を奪われた、
というオヂでついてる変り種作曲家なのである。

「幻想交響曲」の成功で世に認められたベルリオーズを、
スミッソン女史は今度は相手にした。そして、
曲折を経て結婚することになったのである。このときも、
ベルリオーズの父親は反対した。
ベルリオーズ夫妻には男子が誕生した。そうして、
ベルリオーズは凡人への道を歩むことになったのである。
父親の杞憂が当たり、ベルリオーズとスミッソンの間はじきに冷めてった。
別居状態のスミッソンは脳溢血で倒れ、数年の闘病ののちに死んだ。
後妻にも先立たれたベルリオーズは、スミッソンとの間にもうけた
倅にも死なれ、第二帝政がじきに終焉する
1869年(日本は明治2年)、孤独の中で65年の生涯を終えた。

ベルリオーズはピアノが弾けなかったが、逆にもし弾けてたら、
「幻想交響曲」を生みだすような、クラ音界の
イノヴェイターにはなってなかったかもしれない。
その最終楽章(第5楽章)でグロテスクに様変わりしたイデ・フィクス、
"ハリエットの主題"を、ベルリオーズはEs管クラリネットに吹かせてる。
クラリネット(族)の巧妙な使いかたである。
稚拙な中にも光る管弦楽法の才が充分に発揮された好例である。

(「幻想交響曲」第1楽章の序奏の、
第27-35小節を、クラリネットとピアノにアレンジしたものを
TwitSoundにアップしておきました。
http://twitsound.jp/musics/tsmiX8E1J
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