[東京タワー。兜町と墨東と、ときどき、東京スカイツリー]
世の中には、
ギモンもキモンもウジャウジャある。
旧安田財閥はとりたてて好きというわけでもないが、
安めぐみ女史は好きである。たとえウサギを扶養してようとも。
キモオヤジぶりなら私だってリリー・フランキーに負けてない。
今週の月曜に、東京スカイツリーがウズベキスタンの
タシケントタワーの375mを抜いて、
"タワー・ランキング"世界トップテンにランク・インした、
んだそうである。
日本初の株式会社は坂本直柔(龍馬)の「亀山社中(海援隊)」でも、
旗本小栗忠順(上野介)の「兵庫商社」でもないらしい。
明治6年設立の「第一国立銀行」がそれにあたるそうである。いずれにせよ、
この「第一国立銀行」の前進は「三井小野組合銀行」で、
現在の日本橋兜町あたりに建てられた。
現在はそこに、
経営手腕の至らなさに金融庁からあきれ果てられてる「みずほ銀行」の
兜町支店があるが、もともとは、明治維新の論功行賞として、
西尾藩(大給)松平家(乗邑の家系)の上屋敷跡が三井組その他に下賜されて、
他に下賜された分も三井が買いあさった土地である。ちなみに、
この松平(和泉守)家の中屋敷は、現在、休業中の歌舞伎座を含めた
木挽町あたりにあった。
ともあれ、
このあたりが三井村になったとき、
将門や義家の故事から「兜町」と名付けられた。ときに、
明治6年に小野組とともに「第一国立銀行」を設立したのは、
三井の大番頭、三野村利左衛門である。が、同人は浪人から
小栗忠順の中間になった人物であり、当然に、
新政府への資金援助をしたのも小栗忠順の描いた絵に従ったもの、
なのだという。
が、
ダジャレオヤジな私には、その界隈に東京証券取引所が置かれたのは、
【兜】の故事にちなんだ土地であり、
維新後の金融経済は株式会社に依るものであるから、
【株と】は切ってもきれないエンがあるゆえに、
【かぶと→株と】
という江戸っ子が大好きだった語呂合わせに由来するのだと考える。
日本は敗戦国である。米国に従わなければ生きてけない。
日本が米国経済をずっと支えつづけなければならない。
かつては黒人奴隷を労働力として使ったが、
戦後は日本人を経済奴隷として使うのである。
♪ド~は奴隷のド~~~、レイ~は奴隷のレイ~~~♪
ジュリー・アンドレイズも歌ってる。
小栗忠順が開いた横須賀製鉄所(→横須賀造船所)が
日露戦争での日本海海戦の圧勝をもたらしたことが、
米国の日本への警戒心を煽り、それが、
日米戦争へとつながった、と解説するむきもある。
さて、
芝の東京タワーというのは、増上寺の敷地内に建てられたものである。
【増上寺の鬼門の方向に、兜町界隈】がある。そして、
【兜町界隈のさらに丑寅の方角に押上】がある。
つまり、
東京スカイツリーは兜町の鬼門封じ。
これほど科学が進歩して人類の認識も変わった、
はずなのに、やっぱり
風水なのである。
ちなみに、
丑寅とは方位に十二支をあてはめたものであり、
それが北東の位置にあるから丑寅なのであり、
八卦をあてはめたときの「艮」も
「うしとら」と読むようになったものである。
「艮(コン、ゴン)」という漢字は「目」に「小刀」を入れたもの、つまり、
小刀で目の回りに入れた入墨が消えずに痕となるのを示す、
と説明されてるが、私見では、
目を刳りぬくという意味である。
刳りぬかれた目はそのまま痕になる。
痕跡のコンである。
いっぽう、
「良(ロウ、リョウ)」という漢字は、
穀物を容器に入れて水で研ぐときのさま、つまり、
研ぐことで穀物の粒はきれいになるので、それは
「よいこと」をする作業でもある。
このように、「艮」と「良」は漢字の成り立ちが異なり、
意味もまったく違う。がしかし、
「似てる」ことはにてるのである。
「良」という「よきこと」を示す字から、
一画とれた形の「艮」は、
「よからぬこと」、
という読み替えが行われたのだというのが私見である。
寅年生まれの家康によって基礎が築かれた江戸は、
東京となった今もまだ風水という疑似科学によって
tradしてるのである。
押上あたりは、私がガキの頃は
「東京ゼロメートル地帯」と呼ばれてた。海抜0mである。
利根川その他の川がめちゃくちゃに流れ込んでた
このあたりは、昔は湿地帯だった。
川が運んできた砂でできた脆弱な土地である。
地震・氾濫などで地盤沈下が激しいこの中で、
局地的に相対的に地盤隆起した(押し上げられた)
ような場所だから「押上」なのである。ともあれ、
東京スカイツリーが立つ場所は、押上が本拠地である
東武鉄道グループの敷地である。東武鉄道といえば、
【日光】、
なのである。日光東照宮五重塔あたりは
標高が634mだという。畏るべし、
東証大権現様、イナ、東照大権現様!
金融庁も芙蓉グループを不要と侮ってはいけない?
世の中には、
ギモンもキモンもウジャウジャある。
旧安田財閥はとりたてて好きというわけでもないが、
安めぐみ女史は好きである。たとえウサギを扶養してようとも。
キモオヤジぶりなら私だってリリー・フランキーに負けてない。
今週の月曜に、東京スカイツリーがウズベキスタンの
タシケントタワーの375mを抜いて、
"タワー・ランキング"世界トップテンにランク・インした、
んだそうである。
日本初の株式会社は坂本直柔(龍馬)の「亀山社中(海援隊)」でも、
旗本小栗忠順(上野介)の「兵庫商社」でもないらしい。
明治6年設立の「第一国立銀行」がそれにあたるそうである。いずれにせよ、
この「第一国立銀行」の前進は「三井小野組合銀行」で、
現在の日本橋兜町あたりに建てられた。
現在はそこに、
経営手腕の至らなさに金融庁からあきれ果てられてる「みずほ銀行」の
兜町支店があるが、もともとは、明治維新の論功行賞として、
西尾藩(大給)松平家(乗邑の家系)の上屋敷跡が三井組その他に下賜されて、
他に下賜された分も三井が買いあさった土地である。ちなみに、
この松平(和泉守)家の中屋敷は、現在、休業中の歌舞伎座を含めた
木挽町あたりにあった。
ともあれ、
このあたりが三井村になったとき、
将門や義家の故事から「兜町」と名付けられた。ときに、
明治6年に小野組とともに「第一国立銀行」を設立したのは、
三井の大番頭、三野村利左衛門である。が、同人は浪人から
小栗忠順の中間になった人物であり、当然に、
新政府への資金援助をしたのも小栗忠順の描いた絵に従ったもの、
なのだという。
が、
ダジャレオヤジな私には、その界隈に東京証券取引所が置かれたのは、
【兜】の故事にちなんだ土地であり、
維新後の金融経済は株式会社に依るものであるから、
【株と】は切ってもきれないエンがあるゆえに、
【かぶと→株と】
という江戸っ子が大好きだった語呂合わせに由来するのだと考える。
日本は敗戦国である。米国に従わなければ生きてけない。
日本が米国経済をずっと支えつづけなければならない。
かつては黒人奴隷を労働力として使ったが、
戦後は日本人を経済奴隷として使うのである。
♪ド~は奴隷のド~~~、レイ~は奴隷のレイ~~~♪
ジュリー・アンドレイズも歌ってる。
小栗忠順が開いた横須賀製鉄所(→横須賀造船所)が
日露戦争での日本海海戦の圧勝をもたらしたことが、
米国の日本への警戒心を煽り、それが、
日米戦争へとつながった、と解説するむきもある。
さて、
芝の東京タワーというのは、増上寺の敷地内に建てられたものである。
【増上寺の鬼門の方向に、兜町界隈】がある。そして、
【兜町界隈のさらに丑寅の方角に押上】がある。
つまり、
東京スカイツリーは兜町の鬼門封じ。
これほど科学が進歩して人類の認識も変わった、
はずなのに、やっぱり
風水なのである。
ちなみに、
丑寅とは方位に十二支をあてはめたものであり、
それが北東の位置にあるから丑寅なのであり、
八卦をあてはめたときの「艮」も
「うしとら」と読むようになったものである。
「艮(コン、ゴン)」という漢字は「目」に「小刀」を入れたもの、つまり、
小刀で目の回りに入れた入墨が消えずに痕となるのを示す、
と説明されてるが、私見では、
目を刳りぬくという意味である。
刳りぬかれた目はそのまま痕になる。
痕跡のコンである。
いっぽう、
「良(ロウ、リョウ)」という漢字は、
穀物を容器に入れて水で研ぐときのさま、つまり、
研ぐことで穀物の粒はきれいになるので、それは
「よいこと」をする作業でもある。
このように、「艮」と「良」は漢字の成り立ちが異なり、
意味もまったく違う。がしかし、
「似てる」ことはにてるのである。
「良」という「よきこと」を示す字から、
一画とれた形の「艮」は、
「よからぬこと」、
という読み替えが行われたのだというのが私見である。
寅年生まれの家康によって基礎が築かれた江戸は、
東京となった今もまだ風水という疑似科学によって
tradしてるのである。
押上あたりは、私がガキの頃は
「東京ゼロメートル地帯」と呼ばれてた。海抜0mである。
利根川その他の川がめちゃくちゃに流れ込んでた
このあたりは、昔は湿地帯だった。
川が運んできた砂でできた脆弱な土地である。
地震・氾濫などで地盤沈下が激しいこの中で、
局地的に相対的に地盤隆起した(押し上げられた)
ような場所だから「押上」なのである。ともあれ、
東京スカイツリーが立つ場所は、押上が本拠地である
東武鉄道グループの敷地である。東武鉄道といえば、
【日光】、
なのである。日光東照宮五重塔あたりは
標高が634mだという。畏るべし、
東証大権現様、イナ、東照大権現様!
金融庁も芙蓉グループを不要と侮ってはいけない?
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