[17 players have hit 49 home runs in a season]
おもにいわゆるミネソタ・ツインズで
一塁手、三塁手、左翼手として活躍した
Harmon Killebrew(ハーマン・キルブルー、1936-2011)
が食道癌で死んだ。74歳だった。
歴代11位の通算573本のホウムランを打ったが、
一度たりとも1スィーズン50本以上を放ったことはない。
1スーズンの本塁打50本越えを達成した選手は、昨スィーズンの
Jose Bautista(ホウセイ・バーティースタ、右打ち)を含めて過去に26人がいる。が、
50本に届かず、49本に終わったスィーズンを送った選手は、
2010年スィーズン現在、過去に17人いる。
(以下、●=その49本で本塁打王になった選手、▲=さにあらず。
記録として残されてる以上、筋肉増強剤選手も含める)
●Babe Ruth(ベイブ・ルース、左打ち)は、すでにすべてニューヨーク・ヤンキーズで、
1920年に54本、1921年に59本、1927年に60本、1928年に54本、と
4度50本越えを達成してるが、1930年には49本を記録した。
●Willie Mays(ウィリー・メイズ、右打ち)はすでに
1955年にニューヨーク・ジャイアンツで51本を放ったが、
球団自体がサンフランスィスコウに移転して5年めの1962年に49本を記録した。
ちなみに、1965年には自己最多の52本を放った。
●Mark McGwire(マーク・マグワイア、右打ち)も1987年のルーキー・スィーズンに
オウクランド・アスレティクスで49本に終わったが、他の4スィーズンで50本越えをした。
▲Albert Belle(アルバート・ベル、右打ち)はすでに
1995年にクリーヴランド・インディアンズで50本を放ったが、
その翌年には同球団で48本、そして、
1998年にシカ-ゴウ・ホワイトソックスで49本を記録した。
▲Ken Griffey, Jr(ケン・グリフィー・ジュニア、左打ち)は
1996年にスィアトル・マラナーズで49本に終わったが、同球団で、
翌1997年、そして1998年と、2スィーズン連続でそれぞれ56本を放った。
●Sammy Sosa(サミー・ソウサ、右打ち)は、1998年から2001年までの4スィーズン連続、
すべてシカーゴウ・カブズでそれぞれ、66、63、50、64本を放ったが、
2002年に同球団で49本を記録した。ちなみに、
60本越えをした3スィーズンは本塁打王になれなかったが、
50本と49本のときにはタイトルを手にした。
▲Barry Bonds(バリー・ボンズ、左打ち)は、
2000年にサンフランスィスコウ・ジャイアンツで49本に終わったが、
翌2001年に73本を放った(これが記録上はMLB史上1スィーズンの最多本塁打)。
ちなみに、ピンクレディは、わーたしピンクの「サウスポー」を歌ったが、
野球に関しては「透明人間」は歌ってない。それはともあれ、
▲Jim Thome(ジム・トウメイ、左打ち)は2001年に
クリーヴランド・インディアンズで49本に終わった。が、
翌2002年には同球団で52本を放った。ともに本塁打王ではなかったが、
フィラデルフィア・フィリーズ時代の2003年に47本でタイトルを手にした。
(以上の8人は別のスィーズンに50本越えもしてる選手である)
●Lou Gehrig(ルー・ゲーリッグ、左打ち)は、
ともにニューヨーク・ヤンキーズで1934年と1936年に49本を放った。
●Ted Kluszewski(テッド・クルゼウスキ、左打ち)は、
1954年にスィンスィナーティ・レッズで自己最高の49本を放った。
●Andre Dawson(アンドレイ・ドースン、右打ち)は、
1987年にシカーゴウ・カブズで生涯最多の49本を放った。
●Harmon Killebrew(ハーマン・キルブルー、右打ち)は、
ミネソウタ・トゥウインズで1964年と1969年にそれぞれ
自身最高の49本を打った。ちなみに、
40本台は通算8スィーズンあった。
●Frank Robinson(フランク・ロビンスン、右打ち)は、
1966年にボーティモー・オウリオウルズで生涯最多の49本を打った。ちなみに、
同人は40本越えもこのスィーズンだけだったが、このスィーズン、
3冠王に輝いてる。さらにちなみに、同人はのちに
初の黒人監督になった。
●Larry Walker(ラリー・ウォーカー、左打ち)は、コロラード・ロッキーズ時代の
1997年に49本を放って生涯唯一の本塁打王を獲得した。
▲Todd Helton(トッド・ヘルトン、左打ち、現役コロラード・ロッキーズ)は、
2001年に49本を放ってる。
▲Shawn Green(ショーン・グリーン、左打ち)は、ロースアンジリーズ・ドヂャーズ時代の
2001年に生涯最高の49本を打った。
▲Albert Pujols(アルバート・プーホウルズ、右打ち、現役セントルーイス・カーディナルズ)は、
2006年に49本を放った。同人は昨年までに6度の40本越えをしてるが、
本塁打王に輝いたのは2009年の47本と翌2010年の42本でである。
おもにいわゆるミネソタ・ツインズで
一塁手、三塁手、左翼手として活躍した
Harmon Killebrew(ハーマン・キルブルー、1936-2011)
が食道癌で死んだ。74歳だった。
歴代11位の通算573本のホウムランを打ったが、
一度たりとも1スィーズン50本以上を放ったことはない。
1スーズンの本塁打50本越えを達成した選手は、昨スィーズンの
Jose Bautista(ホウセイ・バーティースタ、右打ち)を含めて過去に26人がいる。が、
50本に届かず、49本に終わったスィーズンを送った選手は、
2010年スィーズン現在、過去に17人いる。
(以下、●=その49本で本塁打王になった選手、▲=さにあらず。
記録として残されてる以上、筋肉増強剤選手も含める)
●Babe Ruth(ベイブ・ルース、左打ち)は、すでにすべてニューヨーク・ヤンキーズで、
1920年に54本、1921年に59本、1927年に60本、1928年に54本、と
4度50本越えを達成してるが、1930年には49本を記録した。
●Willie Mays(ウィリー・メイズ、右打ち)はすでに
1955年にニューヨーク・ジャイアンツで51本を放ったが、
球団自体がサンフランスィスコウに移転して5年めの1962年に49本を記録した。
ちなみに、1965年には自己最多の52本を放った。
●Mark McGwire(マーク・マグワイア、右打ち)も1987年のルーキー・スィーズンに
オウクランド・アスレティクスで49本に終わったが、他の4スィーズンで50本越えをした。
▲Albert Belle(アルバート・ベル、右打ち)はすでに
1995年にクリーヴランド・インディアンズで50本を放ったが、
その翌年には同球団で48本、そして、
1998年にシカ-ゴウ・ホワイトソックスで49本を記録した。
▲Ken Griffey, Jr(ケン・グリフィー・ジュニア、左打ち)は
1996年にスィアトル・マラナーズで49本に終わったが、同球団で、
翌1997年、そして1998年と、2スィーズン連続でそれぞれ56本を放った。
●Sammy Sosa(サミー・ソウサ、右打ち)は、1998年から2001年までの4スィーズン連続、
すべてシカーゴウ・カブズでそれぞれ、66、63、50、64本を放ったが、
2002年に同球団で49本を記録した。ちなみに、
60本越えをした3スィーズンは本塁打王になれなかったが、
50本と49本のときにはタイトルを手にした。
▲Barry Bonds(バリー・ボンズ、左打ち)は、
2000年にサンフランスィスコウ・ジャイアンツで49本に終わったが、
翌2001年に73本を放った(これが記録上はMLB史上1スィーズンの最多本塁打)。
ちなみに、ピンクレディは、わーたしピンクの「サウスポー」を歌ったが、
野球に関しては「透明人間」は歌ってない。それはともあれ、
▲Jim Thome(ジム・トウメイ、左打ち)は2001年に
クリーヴランド・インディアンズで49本に終わった。が、
翌2002年には同球団で52本を放った。ともに本塁打王ではなかったが、
フィラデルフィア・フィリーズ時代の2003年に47本でタイトルを手にした。
(以上の8人は別のスィーズンに50本越えもしてる選手である)
●Lou Gehrig(ルー・ゲーリッグ、左打ち)は、
ともにニューヨーク・ヤンキーズで1934年と1936年に49本を放った。
●Ted Kluszewski(テッド・クルゼウスキ、左打ち)は、
1954年にスィンスィナーティ・レッズで自己最高の49本を放った。
●Andre Dawson(アンドレイ・ドースン、右打ち)は、
1987年にシカーゴウ・カブズで生涯最多の49本を放った。
●Harmon Killebrew(ハーマン・キルブルー、右打ち)は、
ミネソウタ・トゥウインズで1964年と1969年にそれぞれ
自身最高の49本を打った。ちなみに、
40本台は通算8スィーズンあった。
●Frank Robinson(フランク・ロビンスン、右打ち)は、
1966年にボーティモー・オウリオウルズで生涯最多の49本を打った。ちなみに、
同人は40本越えもこのスィーズンだけだったが、このスィーズン、
3冠王に輝いてる。さらにちなみに、同人はのちに
初の黒人監督になった。
●Larry Walker(ラリー・ウォーカー、左打ち)は、コロラード・ロッキーズ時代の
1997年に49本を放って生涯唯一の本塁打王を獲得した。
▲Todd Helton(トッド・ヘルトン、左打ち、現役コロラード・ロッキーズ)は、
2001年に49本を放ってる。
▲Shawn Green(ショーン・グリーン、左打ち)は、ロースアンジリーズ・ドヂャーズ時代の
2001年に生涯最高の49本を打った。
▲Albert Pujols(アルバート・プーホウルズ、右打ち、現役セントルーイス・カーディナルズ)は、
2006年に49本を放った。同人は昨年までに6度の40本越えをしてるが、
本塁打王に輝いたのは2009年の47本と翌2010年の42本でである。
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