「カヴァレリア・ルスティカーナ(田舎の騎士道)」というスィチーリア島の
悲劇オペラで知られるピエトロ・マスカンニの出身地である
イタリア・トスカーナ州の港町Livorno(リヴォルノ)の市場で先日、
50歳の女性客がスライスされたハムが厚すぎると文句をつけ、
店員と店員の父親、女性客の夫と2人の息子を巻き込んで、
大立ち回りとなったというニュースが報じられてた。その諍いはともかく、
食い物は「細かい」「薄い」ほうが「旨い」というのは事実である。
味より量な、味もへったくれもない田舎もんなどは、何でもかんでも
「大きく」「分厚い」のがいいと信じ込んでることが多い。が、
味覚は味蕾で感じるのだから、はなから細かく薄いほうが、
味わいが伝わる。「歯ごたえ」は「味覚」の本質ではない。私はとくに、
とんかつはフィレのものを正宗工芸美術製作所で買った包丁で
2mm幅に切って食べる。これがまたたまらなく旨い。
1939年の5月22日は、独伊鋼鉄協約(軍事同盟)が締結された日である。ときに、
ドイツの刃物の町といえばゾーリンゲンである。履き物の町ではない。20世紀初めに、
日本刀の切れ味の秘密を探るべく、刀身の成分を分析した。結果、
たまたま検査に使った刀にモリブデンが含まれてたことから、
これが「日本刀の切れ味」の秘訣であると取り誤った。
現在もゾーリンゲンの刃物類にはモリブデン鋼が使われてる。が、
日本刀の切れ味はその製造過程にある。昔の日本には、
炉心も含メルト洒落にならないが、炭素を含んだ鉄でも
完全に融解する燃料がなかった。つまり、
良質の鉄鉱石と石炭がなかったのである。木炭では
せいぜい1200度台にしかならない。完全に溶ければ、
鋳型に流し込めばいい。が、仮に石炭があったとしても、
知恵者である日本人はそうはしなかったはずである。
完全に溶ける手前のギリギリの温度にしかならない燃料である
木炭を採った。歴史にタラ・レバはない、と言われるが、
タタラ吹きの技術もあった。そこにこそ、日本刀の秘密があるのである。
砂鉄は酸素を含んでる。炉に砂鉄と炭をフイゴで吹きつければ、
[Fe3O4+2C→3Fe+2CO2]
炭がみごとに鉄から酸素を奪ってる。還元である。が、
二酸化炭素(炭酸ガス)が生じる。これでは、
温室効果ガス(つまり炭酸ガス)25パーセント削減大宣言をした
なりすまし日本人集団民主党の怒りをかう「技術」である。ともあれ、
それが第一の技だとすれば、第二の技は、
いわゆる「鍛え」である。これでさらに
鉄から木炭や不純物を叩き出すのである。が、
とことん叩き出すような愚は日本人は犯さない。
「いい按配」で叩くのを止めるのである。そして、第三の技。
芯金(心金)をそれより強度が高い皮金(側金)で挟むサンドウィッチに
刃となる刃金を加えたミルフィーユ構造である。
それぞれに硬度が異なる。さらに、炭素が抜けずかつ
反りをつけるために粘土を塗り、刃のところだけ落として焼く。そして、
「焼き入れ」である。このとき、
炭素を含んだまま鉄の構造が変わる。それが起きる温度を
「変態点」という。急激に冷やされることで鉄の結晶構造は、
面心立方格子のγ鉄から、硬さは増すが脆い
体心立方格子のα鉄に変態する。そうして、
鉄自体は隙間が生じるが、その隙間に炭素が入り込む。このときの
「変態点」は炭素含有量の多寡によって異なる。だから、
焼き入れ時の水の温度を刀工は秘伝にしたのである。
このように、
日本刀にはものすごい知恵が際限なく盛り込まれてるのである。
中国でも北宋時代にはすでに日本刀の価値が知られてた。金曜には、
東日本大震災後中断していた中国本土から東京周辺への
団体ツアーが復活したという。ときに、
脚本家の橋田壽賀子女史は、料理を作るときの
「作る」を「拵える」という語にことごとく置き換える拘りをみせる。が、
「拵える」という言葉は本来、人間関係で使われたものである。すなわち、
相手をなだめ、言いくるめ、自分の思うようにさせるさまを表す。そこから、
→取り繕う→組み立てる→仕度する、準備する→作る
というようになった。刀の「拵え」も同様に派生した意味である。だから、
食事を作るのを拵えるに替えることに執着するのは浅知恵である。
日曜はどうしても断れない用事ができてしまって、
オウクスを見れない。なので、久しぶりに前売りで買ってしまった。
15番馬の複勝である。
悲劇オペラで知られるピエトロ・マスカンニの出身地である
イタリア・トスカーナ州の港町Livorno(リヴォルノ)の市場で先日、
50歳の女性客がスライスされたハムが厚すぎると文句をつけ、
店員と店員の父親、女性客の夫と2人の息子を巻き込んで、
大立ち回りとなったというニュースが報じられてた。その諍いはともかく、
食い物は「細かい」「薄い」ほうが「旨い」というのは事実である。
味より量な、味もへったくれもない田舎もんなどは、何でもかんでも
「大きく」「分厚い」のがいいと信じ込んでることが多い。が、
味覚は味蕾で感じるのだから、はなから細かく薄いほうが、
味わいが伝わる。「歯ごたえ」は「味覚」の本質ではない。私はとくに、
とんかつはフィレのものを正宗工芸美術製作所で買った包丁で
2mm幅に切って食べる。これがまたたまらなく旨い。
1939年の5月22日は、独伊鋼鉄協約(軍事同盟)が締結された日である。ときに、
ドイツの刃物の町といえばゾーリンゲンである。履き物の町ではない。20世紀初めに、
日本刀の切れ味の秘密を探るべく、刀身の成分を分析した。結果、
たまたま検査に使った刀にモリブデンが含まれてたことから、
これが「日本刀の切れ味」の秘訣であると取り誤った。
現在もゾーリンゲンの刃物類にはモリブデン鋼が使われてる。が、
日本刀の切れ味はその製造過程にある。昔の日本には、
炉心も含メルト洒落にならないが、炭素を含んだ鉄でも
完全に融解する燃料がなかった。つまり、
良質の鉄鉱石と石炭がなかったのである。木炭では
せいぜい1200度台にしかならない。完全に溶ければ、
鋳型に流し込めばいい。が、仮に石炭があったとしても、
知恵者である日本人はそうはしなかったはずである。
完全に溶ける手前のギリギリの温度にしかならない燃料である
木炭を採った。歴史にタラ・レバはない、と言われるが、
タタラ吹きの技術もあった。そこにこそ、日本刀の秘密があるのである。
砂鉄は酸素を含んでる。炉に砂鉄と炭をフイゴで吹きつければ、
[Fe3O4+2C→3Fe+2CO2]
炭がみごとに鉄から酸素を奪ってる。還元である。が、
二酸化炭素(炭酸ガス)が生じる。これでは、
温室効果ガス(つまり炭酸ガス)25パーセント削減大宣言をした
なりすまし日本人集団民主党の怒りをかう「技術」である。ともあれ、
それが第一の技だとすれば、第二の技は、
いわゆる「鍛え」である。これでさらに
鉄から木炭や不純物を叩き出すのである。が、
とことん叩き出すような愚は日本人は犯さない。
「いい按配」で叩くのを止めるのである。そして、第三の技。
芯金(心金)をそれより強度が高い皮金(側金)で挟むサンドウィッチに
刃となる刃金を加えたミルフィーユ構造である。
それぞれに硬度が異なる。さらに、炭素が抜けずかつ
反りをつけるために粘土を塗り、刃のところだけ落として焼く。そして、
「焼き入れ」である。このとき、
炭素を含んだまま鉄の構造が変わる。それが起きる温度を
「変態点」という。急激に冷やされることで鉄の結晶構造は、
面心立方格子のγ鉄から、硬さは増すが脆い
体心立方格子のα鉄に変態する。そうして、
鉄自体は隙間が生じるが、その隙間に炭素が入り込む。このときの
「変態点」は炭素含有量の多寡によって異なる。だから、
焼き入れ時の水の温度を刀工は秘伝にしたのである。
このように、
日本刀にはものすごい知恵が際限なく盛り込まれてるのである。
中国でも北宋時代にはすでに日本刀の価値が知られてた。金曜には、
東日本大震災後中断していた中国本土から東京周辺への
団体ツアーが復活したという。ときに、
脚本家の橋田壽賀子女史は、料理を作るときの
「作る」を「拵える」という語にことごとく置き換える拘りをみせる。が、
「拵える」という言葉は本来、人間関係で使われたものである。すなわち、
相手をなだめ、言いくるめ、自分の思うようにさせるさまを表す。そこから、
→取り繕う→組み立てる→仕度する、準備する→作る
というようになった。刀の「拵え」も同様に派生した意味である。だから、
食事を作るのを拵えるに替えることに執着するのは浅知恵である。
日曜はどうしても断れない用事ができてしまって、
オウクスを見れない。なので、久しぶりに前売りで買ってしまった。
15番馬の複勝である。
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