情報が簡単に入り、それに
埋もれて溺れそうな私たちは、
いろんな情報に
首を突っ込む前に
知らなくてもいいことなら、
知ろうとしない。
そして、知らせることで、
ただ不安がらせるだけの情報なら
発信することも考えた方がいい。
という判断が必要になる時も
あるように思います。
自分の家族が亡くなり、
その時の様子を知らせ、
さらに知人へ感謝を伝える文章を
Facebookに投稿された方がいました。
知人一人一人に電話をしたり、
ハガキを出したりすることに比べれば、
遺族としては労力が少なく、
とても助かることかもしれません。
ただ、知人らのお悔やみの言葉が、
コメントとして、遺族ばかりでなく、
他の方々に見せられる状態や
そこに「いいね!」が
たくさん寄せられている状態に
少し違和感を感じました。(´-ω-`)
なんていうか、
遺族と同じ視点になって受けとれる人
ばかりが読むわけでない場所に
置かれている、その言葉の大切さが、
なんだか薄れてしまうようで。
また、病気の苦しみから
解放されたことは
「いいね!」かもしれませんが、
やはり、他人の死にかかわることを
「いいね!」にしてしまうのに
居心地の悪さを感じました。
自分だったらと考えると、
どうしても「いいね!」とは言えません。(T_T)
埋もれて溺れそうな私たちは、
いろんな情報に
首を突っ込む前に
知らなくてもいいことなら、
知ろうとしない。
そして、知らせることで、
ただ不安がらせるだけの情報なら
発信することも考えた方がいい。
という判断が必要になる時も
あるように思います。
自分の家族が亡くなり、
その時の様子を知らせ、
さらに知人へ感謝を伝える文章を
Facebookに投稿された方がいました。
知人一人一人に電話をしたり、
ハガキを出したりすることに比べれば、
遺族としては労力が少なく、
とても助かることかもしれません。
ただ、知人らのお悔やみの言葉が、
コメントとして、遺族ばかりでなく、
他の方々に見せられる状態や
そこに「いいね!」が
たくさん寄せられている状態に
少し違和感を感じました。(´-ω-`)
なんていうか、
遺族と同じ視点になって受けとれる人
ばかりが読むわけでない場所に
置かれている、その言葉の大切さが、
なんだか薄れてしまうようで。
また、病気の苦しみから
解放されたことは
「いいね!」かもしれませんが、
やはり、他人の死にかかわることを
「いいね!」にしてしまうのに
居心地の悪さを感じました。
自分だったらと考えると、
どうしても「いいね!」とは言えません。(T_T)