ちょっと気になる世間のこと、自分のこと

気になるアレコレ。自己満備忘録。
勝つか、負けるか、やるだけやるさ。

欲ってのは海の水と同じだ。

2012年10月31日 | 気になる言葉
欲ってのは海の水と同じだ。
喉が渇いたと言って飲み、

また喉が渇いたと言って
飲むと体を壊してしまう。

(ツイッターより)

うまいたとえですね。

昨日、我が家で、
鍋物を食べました。
おいしかったです。

ただ、しばらくすると、
なんとなく喉の渇きを
覚えてきました。
水を2回くらい、飲んだかな…


どうやら、ちょっと
味が濃かったようです。

海上で遭難した時に、
目の前にあれだけの水が
ありながら、喉が渇いても、
海水を飲んではいけない、
というのは、海の鉄則。

聞いた話では、
体を壊すどころでなく、
命にも関わるらしいから。

欲に渇いて、さらに、
また欲を飲み干せば、
次の欲が欲しくなる。
そして、それをくり返せば、
身も体も破滅に向かったりする…
これもまた真実。

海水の中に含まれている水分は、
悪くないもの。

それは、欲の中にある、
生きる力とか、向上心が
悪くないのと同じこと。

目の前にあるものの本質は何か、
本当に必要なものは何か、
それが分かっている必要って、
あるんですね。

広大無辺の大宇宙よりも 更に心は大きい。

2012年10月30日 | 気になる言葉
広大無辺の大宇宙よりも
更に心は大きい。

(中村天風)


本当にそうだと思います。
だって、見えないんですから…

見えない分、
何でも何でも入れられる。
知識も、考えも、
喜びも、苦しみも。

その大きさを邪魔しているのは、
ここにいる自分だけ。

中村天風は、
こんなことも言っています。

「酸いも甘いも噛みわけているはずの
 年配者の方が悟りが遅い。
 余計なこだわりが多くあるためである。」


これが、心という宇宙を
狭めている原因でしょうね。

余計なこだわりが、
入るものを限定しすぎている。

いや、たしかに、悪いものを
入れる必要はないけど、
人間は、妙なこだわりで、
いいものさえも受け付けていない
時があるでしょう、多分。

心の引き出し、という表現があります。

その引き出しがいくら無数にあっても、
それらがスルっと開け閉め
出来なければ、使いものにならない。

広いはずの心が、
狭いように見えるのは、
そういうことなんでしょうね。

過去をスルっと閉め、
未来をスルっと開けられる、
そんな心でありたいものです。

空の袋は まっすぐ立たない。

2012年10月28日 | 気になる言葉
空の袋は
まっすぐ立たない。

(英語)
An empty bag
cannot stand upright.

(ベンジャミン・フランクリン)

たとえば、
人間で言えば、
中身のない人に、
「しっかりしろ!」
と言われても、
そのしっかりが
よく分からないわけで…

しっかり立てるわけがないのです。

余計なものでも、
ダメな思いでも、
中に詰まっている方が
立っているように見えちゃう。

ただ、
袋の中に入っているものが
もにょもにょしていたり、
液体だったりすると、
時間が経てば、形が定まらず、
倒れることもあるのです。

それは、人間とて同じこと。

しっかりと自分をつくるものか。
それとも、一時しかもたないものか。

中に入れるときに分かれば、
一番いいのだけれど、
時間が経ってみないと
分からないものもあるから
立てるはずのつもりが
うまくいかないこともあるのです。

そうでなくても、
年をとると腰も曲がってきて、
まっすぐ立てなくなりますからね。

他人の幸不幸を見て、 自分の幸福感を確認したいだけなら、 精神衛生上いいことだとは言えない。

2012年10月27日 | 気になる言葉
『あのような家に住む者に幸福はない』
と思うのも、失礼ながら、
ひとつの傲慢だと思います。

(街の灯、北村薫)


自分より
いいものを持っている人を見ると、

劣等感から
「あんなものにお金を使う人は、
 きっと…」
なんて言い出す。

反対に、自分より
劣るものを持っている人を見ると、

優越感から
「あんなものしか買えない人は、
 きっと…」
みたいなことを言う。

自分と同じレベルのものにしか、
理解をもてない人というのは、
やはり、視野が狭いんだろう。

「そんなもので、
 人生は決まらない」
なんて、わざわざ言っている姿は、
かなり矛盾している。

わざわざ言いたいくらい、自分は、
気にしているというわけだから。

他人が幸せか、
そうじゃないかなんて、
自分のモノサシで
はかれるもんじゃない。

他人を幸せにしたい思いから、
他人の幸福に関心をもつのは、
いいことだろうけど、

他人の幸不幸を見て、
自分の幸福感を確認したいだけなら、
精神衛生上いいことだとは言えない。

それによって、
本当の意味で
幸せになれるもんじゃない。

自分の幸せと、
正しく向き合うっていうのは、
時間のかかることかもしれない。

もし 飛べないなら、 走りなさい。 走れないなら、 歩きなさい。 歩けないなら、 這っていきなさい。

2012年10月26日 | 気になる言葉
もし
飛べないなら、
走りなさい。
走れないなら、
歩きなさい。
歩けないなら、
這っていきなさい。

(マーティン・ルーサー・キング・Jr)

私ばかりじゃないと
思いますが、

ものすごーく
達成したい目標と、
嫌々ながら
飛び込んでくる問題(課題)と、
2タイプのものが、
目の前にあります。

それらに立ち向かおう、
としたときに、

結局のところ、
本当に達成したいか、
本当にそこから
逃れたいか、の本気度に
左右されるように思われる。

その思いが弱いうちは、
なかなか乗り越えられない。

1つのチャレンジをしてみて、
ダメだったら、
じゃあどうしよう…

よし、今度はこれだ!

うー、これもダメか、
それなら、あれでいこう!

え?また、ダメか。
んー、だったら…

と何度でも、
立ち向かわなければ、
きっと乗り越えられない。

その気持ちは、
自然に湧いてくるもんじゃなくて、
自分で育てないと、
なんの力にもつながらないだろう。

たとえ、ほかの人と
同じレベルで出来ないとしても、
やれることをやればいいのだ。
やれるところまで、あきらめず。

買い物の値段は たいそうむずかしい。

高いのか安いのか、 それとも妥当なのか。 買い物の値段は たいそうむずかしい。 それどころか 人生の永遠の課題でもある。 (野蛮な読書、平松洋子) お正月には、 ほとんどの売り場に、 「福袋」が並んでいます。 かなり以前には、 その中身は買ってからの楽しみ、 ということが多かったように思うが、 今は、最初から 分かっていることの方が多い。 福袋っていうより、 ふつうの買い物であり、 問題は、その値段で お得かそうじゃないか、 ってことになっている。 何を、いくらで買うか、 いくらだったから買わないのか、 っていうのは、生き様に通じる。 何かを買う、 っていうのは、 お金と交換するばかりでなく、 それに付き合う時間を作る、 っていうことも含めて 決めていることになりますからね。 逆に買わない、っていうのは、 今持っているものと付き合う時間の方を 大切にするってことだろうし。 お金が流通するようになってから、 買い物は、生きることと同じくらい、 大切なことになっちゃっている。 てきとうにやることもできないし、 逃げることも、 まかせっぱなしも、 できないことだろうなぁ~^^