ちょっと気になる世間のこと、自分のこと

気になるアレコレ。自己満備忘録。
勝つか、負けるか、やるだけやるさ。

粗末な道であればあるほどおもしろい。 思わぬ世界に導いてくれたりする。

2014年02月09日 | 気になる言葉
道はおもしろい。
どこに繋がるかわからない
粗末な道であればあるほどおもしろい。
思わぬ世界に導いてくれたりする。

(くじら坂で、あさのあつこ)




いろんな道があって、
いろんな人生、生き方がある。

そして、
本当におもしろいと思える道は、
他人から
「おもしろい」と教わった道よりも、
自分で思いがけずに見つけた道
だったりする。

だから、本当は、
人の数だけ道があるのに、

そういうことに気づくまでは、
他人の歩んでいる道の
コンディションばかりがいいように
見えてしまうんです。

誰もがうらやむ、
ピッカピッカに光っている道は、
きっと、競争率が激しくて、
その先には、もう何もないかもしれない。

だから、粗末な道を見つけてみる。
とは言っても、
その道が必ずしも面白いとも限らない。

粗末な道だからこそ、
めげずに手入れをしてあげないと、
すぐに、道の姿さえなくなる。

ということだから、
思いがけずに見つける面白い道は、
なかなかないのが現実だけれど、
毎日毎日を生きている限り、
どこかで踏み入れるかもしれない。

私の歩いているこの道の先には、
どんな道があるんだろう、
ワクワクしながら歩きたいもんです。

寄り道、戻り道、迷い道、
なんでもあるでしょうけどね。

たくさんの人間が噂をすればさ、 それは大勢で繰り返し 呪文を唱えるようなものだろ?

2014年02月08日 | 気になる自分
たくさんの人間が噂をすればさ、
それは大勢で繰り返し
呪文を唱えるようなものだろ?

それはだんだん「真実」に、
「本当」になっていくのさ。
それって凄く怖いことだよね。

(球形の季節、恩田陸)



言葉にして
聞かされると、
文字になったものを
読まされると、
心に残ることが多くなります。

時には、
残って欲しくないものが
残ってしまうことも
あるかもしれません。

言葉の力って、
良くも悪くも、
思っている以上に
心に来るんだなって思います。

退屈な心には
噂話がたまらない、

落ち込んだ心には
共感の言葉がしみてくる、

やる気の湧いた心は
抑止される言葉に
怒りがこみ上げてくる。

フラフラした心は、
いろんな雑音な言葉に
なおさらフラフラしてしまう。

人は、言葉を簡単に
信じてしまうのでしょう。

ある意味、「見える」ものだから。

心の中に蓄積されたものが、 顔に現れてくるのだ。

2014年02月08日 | 気になるニュース
心の中に蓄積されたものが、
顔に現れてくるのだ。否応なく、
それまでどのような生き方を
してきたかということが、
隠しようがなくなる。...

卑しいものの考え方をするものは
卑しい顔に、
余裕のないものの考えの人は、
せわしない顔として刻みこまれる...。
その蓄積とは、生き方やら、
心に残るおもいでやら。

(メモリー・ラボへようこそ、梶尾真治)




生き方は、
心のどこかに
積み重なっていく・・・

心にあるものは、
顔に現れてくる・・・

ふつうであれば、
どちらも隠しようがないと思います。

隠そうとすると、
無理が出てくる。
歪んでくる。

生き方を
振り返りながら、
積み重なったものを
時には、取り除けながら、
また生きていく。

そんなことが出来たらなぁ~






迷信を信じている輩の 身勝手な思い込みに うんざりする。

2014年02月07日 | 気になる言葉
迷信は嫌いである。
否、迷信そのものが嫌い
というわけではない。

迷信を信じている輩の
身勝手な思い込みに
うんざりするだけだ。

(蛇と月と蛙、田口ランディ)




迷信そのものは、
なにも悪さはしない。
へぇー、そんな迷信があったんだ、
と受け流されれば、それまでのこと。

占いや予言にも、
それに似た反応で
済ませられることも少なくない。

「おひつじ座のあなたの今日は、
 人間関係で嫌なことが…」
とか言われても、

そんなことは、
「しし座のあなた…」
「さそり座のあなた…」
「ふたご座のあなた…」
に置き換えても通用することであって、

ちょっと気をつけようとか
思えばいいだけのこと。

それに敏感になりすぎて、
感情がしばられたり、
自分や他人に対して
強迫観念みたいなことを思い、
迷惑をかける必要など
まったくないと思う。

迷信も、占いも、予言も、
それ自体が悪さを
しているわけじゃない。

それに縛られ、
狂信的に行動する人間が
乱す要因となるだけのこと。

未来は、ある程度
予想できることかもしれない。
そうだとしても、変わることもある。

残念ながら、 いつも顔を合わせる相手には、 ダメなところがよく見えます。

2014年02月06日 | 気になる自分
残念ながら、
いつも顔を合わせる相手には、
ダメなところがよく見えます。

自分の家族、
仕事の同僚、上司、
とにかく、ふれあう時間が
長くなってきた相手には、
ダメなところしかないんじゃないか、
っていうくらいに思えてくる。

ちょっとした仕草が
ゆるせなかったりするんですよねぇ。


一方、
顔を合わせる機会が少なくても、
自分とは意見を異にする人についても、

今度は何を?

みたいに注目しているので、
矛盾している意見とか、
ダメなところがよく見えてきます。

身内にも、外でも、
ダメなところしか
見つけられないっていうのは、
人生として、ちょっと寂しい。

できれば、
ほかの人のダメなところを
見つけるのは、
それが得意な誰かに
まかせましょう。

自分がそれを上手になっても、
あんまり得はないし。

それよりだったら、
自分ができることを一生懸命探して、
それに集中し、コツコツでも、
バリバリでも行動を始めることがベスト。

世の中全体を見る目は
失わないとしても、
そういうことが大切な気がします。

買い物の値段は たいそうむずかしい。

高いのか安いのか、 それとも妥当なのか。 買い物の値段は たいそうむずかしい。 それどころか 人生の永遠の課題でもある。 (野蛮な読書、平松洋子) お正月には、 ほとんどの売り場に、 「福袋」が並んでいます。 かなり以前には、 その中身は買ってからの楽しみ、 ということが多かったように思うが、 今は、最初から 分かっていることの方が多い。 福袋っていうより、 ふつうの買い物であり、 問題は、その値段で お得かそうじゃないか、 ってことになっている。 何を、いくらで買うか、 いくらだったから買わないのか、 っていうのは、生き様に通じる。 何かを買う、 っていうのは、 お金と交換するばかりでなく、 それに付き合う時間を作る、 っていうことも含めて 決めていることになりますからね。 逆に買わない、っていうのは、 今持っているものと付き合う時間の方を 大切にするってことだろうし。 お金が流通するようになってから、 買い物は、生きることと同じくらい、 大切なことになっちゃっている。 てきとうにやることもできないし、 逃げることも、 まかせっぱなしも、 できないことだろうなぁ~^^