
昨夜は新月でしたから、どちらにしてもお月さまの姿は見えない日でしたけれど...
そう思っても...霧に包み込まれたような空...寂しい夜空のように見えました。
一昨夜は、お月さまは見えなくても星々は煌めいていました・,。・:*:・゜'・
あるのに見えない...いるはずなのに見えない...星の王子さまの世界のようです...
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えない。かんじんなことは、目に見えないんだよ。」
我が家のささやかな庭の片隅に咲く白い彼岸花。
お彼岸の入りを待っているかのように...たくさんのつぼみが待機中です。
暑さを言い訳にして、庭の手入れをさぼりがちな私なのに、彼岸花さんは健気で律儀ですね...
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![]() せっかちさんが開花を始めていますよ♪ | ![]() |
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薄闇の夜明け...あぁ、これが小糠雨ね...傘をさすほどには感じないけれど、傘なしで歩き続けると
全身くまなく、しっとりと濡れてしまいそうな雨...繊細で淡いミストシャワーのような雨.。.:*・゜
「小糠雨」という言葉を、はっきりと意識して聞いてから...半世紀とプラスαの年月が過ぎて行きました。
それほど明確に覚えているのは不思議ですね。
まだ高校生だった私...ある日たまたまTVで...欧陽菲菲という名前のエキゾティックな女性が
不思議なイントネーションで「小糠雨降る御堂筋...」と歌う姿を観ました。
「小糠雨」という言葉が新鮮で...すぐに辞書で調べてみたりしましたよ。
今なら、当然PCかスマホで検索...でしょうか...
なるほど...と、思いがけない学習をした私でした。
そして...東京で生まれ育った私は、「御堂筋」のことも何も知りませんでした。
未だに大阪を訪れたことが1度もない私です。
「小糠雨」は、私の脳内なのか心の中なのか...アンテナが感知して、気になるワードの1つになりました。
国語の教師や地学の教師に、機会があるとすかさず質問してみたり...
その頃に私が得た小糠雨情報は...
霧雨は気象用語であり、雨粒のサイズの指定もある。見た目は、霧雨と小糠雨にはほとんど違いはない。
ある意味、小糠雨は情緒的もしくは文学的表現。:地学教師
精米をすると米粒の表皮が剥がれて、微細な粉状になり糠と呼び、払っても払っても取れない
糠の細かさを、霧のように降る雨を表現するときに使う。
霧雨が降る状況を、何かしらの心情を表すために「小糠雨」の言葉を使う場合がある。:国語教師
なるほど...とは、思ったのでしょうが、まだ半分くらいかそれ以上に「子ども」でしかない私には、
「小糠雨」という言葉を、話す時にも文章を綴る時にも使ってみる機会はありませんでした。
高校生女子が「小糠雨」などと、日常的に使っていたら奇妙ですよね。
それは、奇妙でしょう...そう感じる冷静さは保っていたようです。
おとなになってからも...小糠雨が...というような会話を交わした記憶も文章に綴った記憶もありません。
御堂筋を訪れたことがないのも...あの頃と同じ...





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