いらっしゃいませ~
yukinnkoママデス
ご訪問、有難うございます
トンネルを抜けると。。そこは 北国。。 ではなくて。。
瀬戸中央自動車道を走って、あっという間に四国にやってきました~~ (撮影日11月24日)
この日の天候は全国的な晴れの予報 でも、何とな~~~く 春がすみのようにモヤモヤ~っとしておりまして、
瀬戸大橋から見える景色がハッキリしておりませんでした(通過時刻は午前9時過ぎ~)
昨年より「逆打ち」を始めていました四国遍路 一年ぶりに再開です
お遍路巡りは 「一番から順番に巡る基本的な巡拝方法の順打ち」「88番から逆に1番へと巡拝する逆打ち」
「88箇所を何回かに分けて巡拝したり、県ごとに巡拝する事を区切り打ち」などの巡拝方法があるようです
一巡目は既に88箇所と高野山へのお参りで満願しておりますので 2巡目は 少しゆっくりと時間のある時に巡拝することになりそうです
「國分寺(白牛山 千手院)」第80番札所
(香川県綾歌郡国分寺町国分)
「天平13年(741年)、聖武天皇(在位724~749年)は、諸国に国分寺を建立することを勅願しました。
その国分寺のひとつがこの讃岐の国分寺です。
寺の創建は聖武天皇の時代。勅命を受けた行基菩薩が巨大な十一面千手観音像を刻み、本尊としました。
その後、弘仁年間(810〜823)に弘法大師が霊場に定めますが、「天正の兵火」で堂塔のほとんどを焼失。
藩主・生駒氏や松平氏によって再興され、今に至ります(四国八十八箇所公式HPより参照)」
山 門
仁王門を入ったところには、今回写真はありませんが、四国八十八ヶ所の石仏が並ぶミニ八十八ヶ所巡りがあります
お迎え弁財天
本堂
鎌倉時代、旧講堂後に再興された国の重要文化財
銅鐘(梵鐘 創建当時から残る四国最古の鐘)
梵鐘の伝説
(当時の藩主・生駒一正公は、当時この鐘を高松城の鐘にしようと、田1町(ちょう)と引き換えに手に入れます。
ところが、城へ運ぼうとすると思ったより重く、ひと苦労。しかも、城についた途端音がならず、おまけに城下では悪病が流行。
そして、自身も病に倒れた 一正公の枕元に毎夜鐘が現れ「もとの国分へ帰りたい」と泣くのです。
そこで結局、鐘は国分寺へ返すことに。城に運んだ時と違い、今度はなぜか軽々と運べた上、
鐘が国分寺へ戻った途端悪病は治まり、再び美しい音色を聞かせるようになったという伝説が残っています 四国八十八箇所公式HPより参照)
千体地蔵堂
明日も國分寺続きます
今日も最後までお付き合い頂いて有難うございました
いつも嬉しいコメントやメッセージを有難うございます 大切に読ませて頂いております
ブログは予約投稿にて何とか更新しておりますが、只今多忙の為、頂きましたコメントへのお返事が出来ませんので
勝手ながらコメント欄は閉じておりますので宜しくお願い致します
数あるブログの中から、御縁を頂いてブログを通して繋がって、いつも温かく見守って頂いて 感謝です
yukinnkoママデス
ご訪問、有難うございます
トンネルを抜けると。。そこは 北国。。 ではなくて。。
瀬戸中央自動車道を走って、あっという間に四国にやってきました~~ (撮影日11月24日)
この日の天候は全国的な晴れの予報 でも、何とな~~~く 春がすみのようにモヤモヤ~っとしておりまして、
瀬戸大橋から見える景色がハッキリしておりませんでした(通過時刻は午前9時過ぎ~)
昨年より「逆打ち」を始めていました四国遍路 一年ぶりに再開です
お遍路巡りは 「一番から順番に巡る基本的な巡拝方法の順打ち」「88番から逆に1番へと巡拝する逆打ち」
「88箇所を何回かに分けて巡拝したり、県ごとに巡拝する事を区切り打ち」などの巡拝方法があるようです
一巡目は既に88箇所と高野山へのお参りで満願しておりますので 2巡目は 少しゆっくりと時間のある時に巡拝することになりそうです
「國分寺(白牛山 千手院)」第80番札所
(香川県綾歌郡国分寺町国分)
「天平13年(741年)、聖武天皇(在位724~749年)は、諸国に国分寺を建立することを勅願しました。
その国分寺のひとつがこの讃岐の国分寺です。
寺の創建は聖武天皇の時代。勅命を受けた行基菩薩が巨大な十一面千手観音像を刻み、本尊としました。
その後、弘仁年間(810〜823)に弘法大師が霊場に定めますが、「天正の兵火」で堂塔のほとんどを焼失。
藩主・生駒氏や松平氏によって再興され、今に至ります(四国八十八箇所公式HPより参照)」
山 門
仁王門を入ったところには、今回写真はありませんが、四国八十八ヶ所の石仏が並ぶミニ八十八ヶ所巡りがあります
お迎え弁財天
本堂
鎌倉時代、旧講堂後に再興された国の重要文化財
銅鐘(梵鐘 創建当時から残る四国最古の鐘)
梵鐘の伝説
(当時の藩主・生駒一正公は、当時この鐘を高松城の鐘にしようと、田1町(ちょう)と引き換えに手に入れます。
ところが、城へ運ぼうとすると思ったより重く、ひと苦労。しかも、城についた途端音がならず、おまけに城下では悪病が流行。
そして、自身も病に倒れた 一正公の枕元に毎夜鐘が現れ「もとの国分へ帰りたい」と泣くのです。
そこで結局、鐘は国分寺へ返すことに。城に運んだ時と違い、今度はなぜか軽々と運べた上、
鐘が国分寺へ戻った途端悪病は治まり、再び美しい音色を聞かせるようになったという伝説が残っています 四国八十八箇所公式HPより参照)
千体地蔵堂
明日も國分寺続きます
今日も最後までお付き合い頂いて有難うございました
いつも嬉しいコメントやメッセージを有難うございます 大切に読ませて頂いております
ブログは予約投稿にて何とか更新しておりますが、只今多忙の為、頂きましたコメントへのお返事が出来ませんので
勝手ながらコメント欄は閉じておりますので宜しくお願い致します
数あるブログの中から、御縁を頂いてブログを通して繋がって、いつも温かく見守って頂いて 感謝です