日々の心の記録

私の日々の心のつぶやきを気の向くままに綴っていきます。

不調

2017年09月25日 23時36分29秒 | Weblog
この日記見てくれている人、男性もいるのかなあ・・・。
わたしは生理前のうつ状態がひどい。それ以外の時も、波が激しい。
20代で付き合った人は波が激しすぎると責めてきた。女性経験の少ない人だったから、女性がどんなにデリケートで、生理が大変なのかというのが理解できなかったみたい。いつもそれで責められた。その人とは別れてよかったと思う。いまだひとり身ではあるけれど。
今生理になりそうでならない。うつっぽいしんどい。
早くきて、はやく終わってほしい。
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お彼岸

2017年09月24日 01時59分25秒 | Weblog
お墓参りに行ってきた。

やたらとこちらに話しかけようとしてくる、おっさんがまたいたので、早々に切り上げざるをえなかったけど。豆大福とおはぎ、お母さんが好きだったから、お墓に一瞬供えて持って帰ってきた。そして、自分で食べた。お母さんが大好きだった和のお菓子。

お花は仏花のなかで一番安いのしか買えないけど、お彼岸価格で100円ぐらい値段が上がっている。もうすぐ命日だから、その時はちょっとふんぱつしようかな。

お母さん、お墓で待ってくれていると思うけど、時々、部屋に来てくれているのかなと思うこともある。

部屋がちらかっているお部屋だけど、お母さんよくお土産もってきてくれた。一緒にご飯を食べ、お茶を飲んだり、コーヒーを飲んだりした。

今はお母さんがしてくれたことを自分でしている。
日本茶を入れてくれたり、紅茶を飲んだり。

お母さん、本当にわたしが好きだったんだなといつも思う。1番目に産まれた子だから特別にかわいかったのだろうか。大きな愛を失って早1年になろうとしている。
毎日、お母さんのことを思い出さない日はない。

異性とは縁がなかったけど、お母さんが深く愛してくれたから、愛された自信がわたしに力をくれる。こんなに心の底からの無償の愛情を受けられたことは本当に幸せだった。

ひとりの週末も慣れてきた。

20代、悲しい失恋や、さみしいひとりぼっちの時間あったけど、あれはお母さんがいなくなる時への演習だったとさえ思える。

もう大丈夫と思ってお母さんも旅立ったのだろう。
でも、もっと一緒にいたかった。
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契機に

2017年09月23日 22時20分21秒 | Weblog
お母さんの死を契機にして、自分のお金の使い方を再点検した。
恐ろしいことに、知らないうちにお母さんからもらったお金を使い込んでいた。
貯金しているつもりだったのだが、満期を契機に普通口座に一部を移していたのだ。
恐ろしい。お母さんが亡くなっていなければそのまま気づかず使い込み続けていただろう。
お金を、意識して、限られた範囲で使う習慣を取り戻さなければと思った。
20代で高給取りだったので、その時期に使い込むくせがついた。
それまでは、スーパーで買い物するときも頭の中で合計金額を計算しながら買っていたのに、それもしなくなっている。今も計算してない。ただ、大雑把に今週はこのお金の範囲内で暮らそうとか、お弁当で過ごすということは始めた。
お母さんが亡くなったことで、職場でも窮地から救われたし、お母さんが助けてくれているのかと思うくらい、わたしにとって害のある人が目の前から消えて行っている。
後は自分を救うのは自分しかいない。

しっかりしよう。

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ある女性

2017年09月16日 02時05分29秒 | Weblog
何日か前、電車がある駅に着いた。そこから乗ってきたアラフィフくらいの女性がハンドタオルを取り出して、目に押し当てた。号泣しているようだった。
その駅というのは、別の線に乗り換える駅で、わたしのお母さんが入院していた病院まで乗り換えて一駅なのだ。去年の9月、わたしもお母さんを見舞った帰りに、この駅で自分の帰る電車に乗り換えてから、電車の席で号泣したことを思い出した。わたしもハンドタオルで目を押さえて声を出さずに泣いた。
だから、直感的に、ああこの女性も大切な人を失いかけているのかもしれないと思った。話しかけたりもできないから、その女性がどこの駅で降りて行ったかも覚えてないけど。

本当にあの頃はつらかった。お母さんが死んでしまうと思い本当につらかった。

そのことをただ、思い出した。

今は心が麻痺してきたのか、忘れてはないけど、つらさはやわらいできた。

もうお母さんが亡くなってから1年になろうとしているから、傷がいえてきているのだろうか。

今も思い出して泣くけど、家で泣いている。電車では涙ぐむくらいのときはあるだけになった。

お母さんに会いたいなと今でも思う。この前、夢に出てきてくれて会話ができた。
ほぼ1年ぶりの会話だ。うれしかった。
また、出てきてくれるかな。


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きょうもお墓に

2017年09月10日 18時01分21秒 | Weblog
 わたしのお母さんが眠っている霊廟では、供養祭というのが開かれる。
 お母さんが少しでも、あの世で安らげるようにと思って、出かけてきた。
 お坊様がきて、一緒に読経する。なんだかいかにも供養ができている気がするので、この行事にはできるだけ参加したい。送迎バスで行くので、混むのが嫌で途中で帰ってきてしまうのだけど。お母さんのお墓に新しいお花も供えてきたので満足だ。

 妹とは連絡をとっておらず、お墓にも来ていないようだ。3週間前に行ったときは、わたしが供えたのじゃない線香が置いてあったので、ああお参りにきたのだなと思ったけど。

 お母さんへの思いを書きたくてSNSのとあるコミュニティでいつも書き込みする。お母さんを亡くして偲ぶ人が集うコミュニティだ。そこで、この人大丈夫かな?という人がいて心配しているけど、あかの他人の心配をするより、妹の心配をしてあげるのが先ではないかと思う。けど、妹にはラインをブロックされ、連絡は全くない。いろいろ怒りが湧いてくる出来事などもあり、連絡はしてない。心配する気持ちと、忌々しく思う気持ちがあり、連絡を取るといい結果にならないと思い連絡していない。元気にしているのだろうかとは思うし、心配になったりもするが。連絡できずにいる。

 もうすぐお母さんが亡くなって1年になる。まだ、傷は癒えないが、お母さんのいない休日には慣れた。とにかくひたすらお墓参りに行っている1年だった。生きていく中で、お母さんがあの世から助けてくれているのかと思うような出来事ばかりが起こった気がする。お母さんが助けてくれているに違いないと思っている。お母さんはもう仏様だから。

 金曜日の夜見た夢にお母さんが出てきた。今までお母さんが出てきても会話できることがなかったが、初めて会話ができた。お墓を買わないように言うてたのに、買ったことをお母さんに謝る夢だった。目が覚めたとき、とにかくお母さんとしゃべれたことがうれしかった。

 また、夢に出てきてくれるといいな。

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ルーティン

2017年09月03日 23時36分45秒 | Weblog
 先週まで仕事が暇で楽だった。今週からまた忙しくなり、体調維持ができるか心配だ。仕事多く割り振られるのにはなれてる。

 来週からの1週間をこなし、また、同じような1週間を過ごし、残りの契約期間まで働く。その間、少しでも嫌なことがないように祈るのみだ。

 いいように考えよう。イメージトレーニングは毎日してるし、乗り切れると思おう。来月はお母さんの命日に有休をとった。今月は何とかやりすごして過ごそう。

 今までお金どんどん使って贅沢してたけど、計算したらお母さんがくれたお金使いこんでいた。もう1円も無駄にできない。Amazonで気軽に買い物したり、やめなければいけない。いまだって読んでない本が家に山積みなんだから。

 お母さんが残してくれたお金。きっと必要な時が来る。置いておかないといけない。

 もう、これからの人生お金をくれる人なんていない。

 SNSで知り合った子がすごく苦労している。その子に比べたらわたしは贅沢三昧だと思う。収入少ないのにそれ以上の生活をしてた。そして、そのことに気づかずお母さんのくれたお金を使い込んでいた。情けない。お母さんの病気をきっかけにそのことに気づいた。本当にバカだった。

 いろいろなものを手放した。かなわなかった願いもある。やぶれかぶれの人生だけど、また、立ち上がって頑張ろう。そこにお母さんがいてくれたら・・・。どんなによかっただろう。
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1日もない

2017年09月03日 00時33分16秒 | Weblog
お母さんが1年近く前に亡くなってから、お母さんのことを考えない日は1日もない。毎日何らかの形で思い出す。
それほど大切なら、もっと大事にしてあげたらよかったのにと自分でも思う。
それができなかった。健康を気遣ってあげればよかった。
具合悪そうだったから、あの日送ってあげればよかったとか考える。
親孝行すべきだった。
お母さん・・・。
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人生は選択の連続

2017年09月02日 01時44分16秒 | Weblog
お母さんが亡くなる3年前に、転んで頭を強く打って救急車で運ばれた。
たまたま日曜日だったのだけど、病院へ向かう間、買っている宝くじ当たらなくていいから、お母さんを助けてと神様にお願いした。
そのときは、頭を強く打ったのに奇跡的に何事もなかった。
今思い返して思うのはお母さんとの3年間と引き換えに宝くじ当たらなかったのではないかということだ。神様と取引になったのだと思った。お母さんが3年一緒にいてくれる人生とお母さんなしの3年では大きく未来が変わったと思う。
お母さんは本当に親身になってくれるよき相談相手で、わたしのことをいつも一番に考えてくれるかけがえのない人だった。
もうこの先、宝くじは当たらないかもしれないけど、夢は見たいから買い続ける。宝くじ当たって悠々自適の生活を送りたいという気持ちはやっぱりある。
お金は欲しい。人生なかなかうまく生きられないからお金があったら幸せになれるのにと思ってしまう。

お母さんの亡くなった時期がなにもかもが好転する時期に重なる。
ここには詳しく書けないけど、敵が周りからいなくなった。
少し精神的に楽になった。
だから、お母さんが死ぬ時期を神様と相談して選んだんじゃないかと思えるぐらいのタイミングだ。わたしを心から愛してくれた母。もうこの世であれほど愛してくれる人に出会えることははないだろう。

お母さん、本当にありがとうと直接言えないのがつらい。

お母さんとばかり一緒にいた週末。亡くなる前の数年間は特に一緒にいた。
それでも、あと10年は一緒にいられると信じて疑っていなかった。
のんきすぎてお母さんの危機を救えなかった。

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