10月にはお母さんの命日がやってくる。
暑い、ギラギラした日差しが照り付ける夏が終わったらお母さんの命日が来る。
さみしいというのか、ひとりの部屋で疲れて体を横たえていると、お母さんに会いたいなという思いがふつふつと湧き上がってくる。親に恵まれない方々もいるなか、うちはお母さんには恵まれた。
まだ、子どもの頃はお母さんともいろいろあったが、わたしたち姉妹が経済的に独立してからは、幸せな日々が続いたと思う。
わたしが好条件の職場をやめてしまってからは、常にお母さんが支えてくれた。
何げなくしてくれることすべてがわたしを助ける行動だった。
うちにラップやアルミホイルをいつも持ってきて置いていってくれたり、トイレ用洗剤とかカビキラーを置いていってくれたり、小さなことのようでいて、積もり積もって助かっていた。
お母さんが〇〇してあげるからねというのが口癖だった。実際助けられることばかりだった。
お母さんには何もしてあげられなかった。今になって、これもしてあげられたのに、あれもしてあげられたのにと思うし、お母さんがこぼしていた言葉の意味がわかって、それならこうしたらよかったと後悔ばかりだ。
今、ハマっている漫画、呪術廻戦の中で、どうしようもない社会のゴミみたいな男が呪いに殺される場面がある。その時、その男のお母さんが、息子の心配をして現場で泣き崩れるシーンがあった。結局男は呪いに切り刻まれていたが、事件後遺品を持って実家に伏黒という登場人物が行くとお母さんが泣きながら「あの子が死んで悲しむのは私だけですから」というセリフを言う。作者の芥見先生はまだ30歳ぐらいなのに、なんでこんなに親の気持ちがわかるのだろうと思った。鬼滅の刃を読んだ時も思ったが、漫画家さんは人の心の機微をわかっており、それを漫画で表現していて、それが感動を呼ぶ。年若くしてそういうのがわかるのも才能なんだろうな。
親の気持ちさえわからなかったわたしは情けない。
お母さんがわたしの人生を助けようといつも考えてくれていたように、わたしもお母さんの人生を考えてあげられていたら、お母さんはもうちょっと長生きできた。お母さんを優先しているつもりだったけど、もっともっと深く考えるべきだった。お母さんに会いたい、会って親孝行させてもらいたい。