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宗教の真実度 その2

80年代の初頭、私はイタリアを訪れる機会が度々あった。仕事がオフの日は地図を片手に史跡やミュージアムを訪れた。イタリアはキリスト教関連の史跡が多い。特に印象的だったのは「カタコンベ」(地下墓地)であった。4世紀初めにローマ帝国のコンスタンティヌス1世により公認されるまで、キリスト教は苦難の連続であった。ローマ帝国は多神教国家であったし、教義上、ローマ皇帝を崇拝しないキリスト教徒は国家に反逆する罪人として、何度かの大迫害を受けた。キリスト教受難の時代に秘密の礼拝所、あるいは隠れ家として利用されたのが「カタコンベ」であった。

紀元380年キリスト教はテオドシウス1世によってローマ帝国の国教となり、その勢力を拡大して異教を圧倒する。被害者のキリスト教徒は加害者へと変容した。十字軍の遠征をはじめ、キリスト教の異教徒への迫害のすさまじさは歴史が示す通りである。過去ログ『パードレの野望』でもご紹介したが、異端審問によるユダヤ教徒への迫害とイエズス会の軍隊と連動した海外布教は熾烈を極めた。植民地の原住民の虐殺に心を痛めたある提督が、時のローマ法王に手紙を送った。その内容は「異教徒は人であるやなしや」であった。ローマ法王からの返書には「異教徒は人にあらず」と書いてあったそうだ。つまり異教徒は皆殺しにしても構わないということである。

歴史を知ると、宗教は本当に人々を幸せにしているのだろうかという疑問がふつふつと沸いてくる。むしろ不幸の種を撒き散らしているかのように思えてならない。文化としての宗教や日常の生活規範としての宗教は、本来のプラス面が作用する。しかし一旦政治権力と結びつき、国家や権力者の支配原理に組み込まれてしまうと、とてつもなく残虐で果てしのない憎しみの連鎖を巻き起こす。洋の東西を問わず、またキリスト教に限らず、仏教、イスラム教しかりである。イデオロギーの相違はまだ話し合う余地もあるが、宗教の教義の違いは問答無用である。何故なら、教義とは信じるものにとってそれが唯一の真理であり、真実であるからだ。

閑話休題。カタコンベに続いて私はカトリックの総本山、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂を訪れた。聖ペテロの墓所に建立されたという聖堂の歴史は4世紀に始まる。後の中世に天才ミケランジェロが腕を振るった大聖堂は贅を尽くした華麗な建物であった。壁画、彫刻などカトリックの世界観が荘厳な宗教芸術として花開いたかの感があった。その時、私にはキリストの神性との遭遇への期待感があった。しかし、芸術への感動はあっても何故か魂の奥底に伝わってくる感動がないのである。その当時は今ほど宗教的な知識や霊的な知識もなかったが、若いだけに霊感は冴えていた。幼い頃から『人が尊ぶ神仏には必ず手を合わせよ』と親から教えられて育ったが、思わず手を合わせたくなるような魂の感動が沸いてこなかったのである。

不思議に思いながら辺りをもう一度見回したときに、私の視界に入ったものがあった。それは華麗な聖堂の雰囲気にそぐわない煤けた黒い箱であった。その違和感を例えて言うならば「清浄な伊勢神宮の内宮で、突然カラオケボックスを見たような」という感じであろうか。「神聖な場所で、人工的で世俗の垢にまみれたような物を見た感覚」と言えば分かりやすいかもしれない。その黒い箱とは懺悔室であった。キリスト教の知識に乏しい私であったが、突然「原罪」という言葉が浮かんだ。そして『ここには神様はいない・・・』私はそう思った。

次回へ続く

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