僕の認識が正しければ、「個性」が流行ったくらいから
なんか変な感じになってきた感がある。
僕が思うに「個性」で得をしたのは、ヤンキーとかそんな人たちなんじゃないか。
社会が便利な言葉を定義してくれたもんだと。
まあ、こんな流れで「自己肯定感」も危ない予感。
尾木ママがNHKで自己肯定感が大事な話をしていた。
僕自身もそう思う。
ただ、その前提として、利他的に振る舞うための手段というか、通過点というか過程というか、そんな感じがあってこそなんじゃないかな。
自己肯定感を振り回して、自分を肯定するのは違う気がする。
僕が携わっている介護でもそうだが、自分が満たされていないと、相手を満足させられない。
相手を満足させるという目的のために、自分が満たされるわけ。
自分を満たすだけでは、よくわからなくなってくる。
ここをうまく理解しなければ、
私、病気だから・・・と言ってしまう人と、
自己肯定感って大切だよね、だから今日お休みしよう・・・の人はあまり違いがなくなってしまう。
自分を大切にするあまり、他人のことをイメージできなくなってしまう。
つーか、なんだこの文章。
なんか変な感じになってきた感がある。
僕が思うに「個性」で得をしたのは、ヤンキーとかそんな人たちなんじゃないか。
社会が便利な言葉を定義してくれたもんだと。
まあ、こんな流れで「自己肯定感」も危ない予感。
尾木ママがNHKで自己肯定感が大事な話をしていた。
僕自身もそう思う。
ただ、その前提として、利他的に振る舞うための手段というか、通過点というか過程というか、そんな感じがあってこそなんじゃないかな。
自己肯定感を振り回して、自分を肯定するのは違う気がする。
僕が携わっている介護でもそうだが、自分が満たされていないと、相手を満足させられない。
相手を満足させるという目的のために、自分が満たされるわけ。
自分を満たすだけでは、よくわからなくなってくる。
ここをうまく理解しなければ、
私、病気だから・・・と言ってしまう人と、
自己肯定感って大切だよね、だから今日お休みしよう・・・の人はあまり違いがなくなってしまう。
自分を大切にするあまり、他人のことをイメージできなくなってしまう。
つーか、なんだこの文章。
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