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*ボクノニッキ*
安心・安全 編

コントラストや触れ幅といったもの。

2013年11月24日 | Weblog
人間の進化を語る場合、さまざまな要素や説があるが、

いま僕が興味のあるもののひとつに、「次元」がある。

ここ70年くらいの話かもしれないし、哲学というものがこの世の中に湧き出た瞬間から、かもしれないが、

「次元」つまり認識できる次元数の増加を人間の進化、特に、認識機能の進化と考えてここに記すことにする。

はじめ、私は私しか認識できなかった。

それは、「生きる」ことの比重が、認識という入れ物において占める割合が高かったから。

トリアージ的な感覚の割合が高かったとも言えるでしょうか。

これが、文明の進化等により物質的に満たされていくのとの同時に、社会システムが構築され、「生きる」が自然なものとなっていく。

認識のなかで「生きる」が割合を低下させていくと、空間となったその部分を埋めるために「他人」の存在を意識しだす。本来、「生きる」が最も重要な目的であったときには、「敵」として存在していた「他人」を認識する。他人を深く分析する。理解しようとする。しかし、私の理解は、あなたの存在には収まらず、いつもはみ出していく。

この段階で比較検討することを知る。

比較により自分を認識する。

自分と他人というわかりやすい指標が、そのまま[yes][no]や「白」「黒」となる。

いわゆる2者択一。

「相手の立場に立つ」もこの段階。

この時点で2次元。

で、これからの状態は、3次元ということになるんだが、

それってどんな状態?

人間の進化的にいうとレイヤーみたいな感じか。

可能性の認識というか?

個人を考えた場合、それは「点」ではなく「線」か?

過去から続く「線」

線と線なら交わるのは容易か。

なぜそこにいるのか、「線」をたどればわかるのか。

2次元であれば交わらないのは平行状態のみ。

3次元なら?

交わらない線を認識するには?





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