人間の進化を語る場合、さまざまな要素や説があるが、
いま僕が興味のあるもののひとつに、「次元」がある。
ここ70年くらいの話かもしれないし、哲学というものがこの世の中に湧き出た瞬間から、かもしれないが、
「次元」つまり認識できる次元数の増加を人間の進化、特に、認識機能の進化と考えてここに記すことにする。
はじめ、私は私しか認識できなかった。
それは、「生きる」ことの比重が、認識という入れ物において占める割合が高かったから。
トリアージ的な感覚の割合が高かったとも言えるでしょうか。
これが、文明の進化等により物質的に満たされていくのとの同時に、社会システムが構築され、「生きる」が自然なものとなっていく。
認識のなかで「生きる」が割合を低下させていくと、空間となったその部分を埋めるために「他人」の存在を意識しだす。本来、「生きる」が最も重要な目的であったときには、「敵」として存在していた「他人」を認識する。他人を深く分析する。理解しようとする。しかし、私の理解は、あなたの存在には収まらず、いつもはみ出していく。
この段階で比較検討することを知る。
比較により自分を認識する。
自分と他人というわかりやすい指標が、そのまま[yes][no]や「白」「黒」となる。
いわゆる2者択一。
「相手の立場に立つ」もこの段階。
この時点で2次元。
で、これからの状態は、3次元ということになるんだが、
それってどんな状態?
人間の進化的にいうとレイヤーみたいな感じか。
可能性の認識というか?
個人を考えた場合、それは「点」ではなく「線」か?
過去から続く「線」
線と線なら交わるのは容易か。
なぜそこにいるのか、「線」をたどればわかるのか。
2次元であれば交わらないのは平行状態のみ。
3次元なら?
交わらない線を認識するには?
いま僕が興味のあるもののひとつに、「次元」がある。
ここ70年くらいの話かもしれないし、哲学というものがこの世の中に湧き出た瞬間から、かもしれないが、
「次元」つまり認識できる次元数の増加を人間の進化、特に、認識機能の進化と考えてここに記すことにする。
はじめ、私は私しか認識できなかった。
それは、「生きる」ことの比重が、認識という入れ物において占める割合が高かったから。
トリアージ的な感覚の割合が高かったとも言えるでしょうか。
これが、文明の進化等により物質的に満たされていくのとの同時に、社会システムが構築され、「生きる」が自然なものとなっていく。
認識のなかで「生きる」が割合を低下させていくと、空間となったその部分を埋めるために「他人」の存在を意識しだす。本来、「生きる」が最も重要な目的であったときには、「敵」として存在していた「他人」を認識する。他人を深く分析する。理解しようとする。しかし、私の理解は、あなたの存在には収まらず、いつもはみ出していく。
この段階で比較検討することを知る。
比較により自分を認識する。
自分と他人というわかりやすい指標が、そのまま[yes][no]や「白」「黒」となる。
いわゆる2者択一。
「相手の立場に立つ」もこの段階。
この時点で2次元。
で、これからの状態は、3次元ということになるんだが、
それってどんな状態?
人間の進化的にいうとレイヤーみたいな感じか。
可能性の認識というか?
個人を考えた場合、それは「点」ではなく「線」か?
過去から続く「線」
線と線なら交わるのは容易か。
なぜそこにいるのか、「線」をたどればわかるのか。
2次元であれば交わらないのは平行状態のみ。
3次元なら?
交わらない線を認識するには?
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