父の若き日の写真が出てきたそうです。
これは父が20~21歳のころ、福岡の糸島郡で、著名な写真家の疋田晴久先生のもとで修行していた頃の写真だそうです。
写真の裏に、疋田先生のパールで撮影したものだろうと、書いてあります。
で、この写真を見て違和感を覚える人はおられますか?
感じた人はコメントよろしく。笑
父の髪型、これ今の若い人たちがやってますよね。
乗っているのは、1946年から68年に、富士産業(現スバル)が製造していたものだそう。
色々調べたんですが、型式が沢山あってよくわかりません。
多分これが一番近い。
ラビットスクーターは皇室にも献上され、昭和天皇が乗っている写真もありました。
これは型違いで、うしろにRabbitという文字が書かれていますね。
幼い頃から写真に興味を持っていた父は、山に行って、三脚になりそうな木を探してくるような子どもだったそう。
福岡に修行に行った経緯、詳しい事を話してくれたような気もしますが忘れてしまいました。
二十歳くらいの父が夢をいだいて九州に渡り、尊敬する先生のもとで修業。
そして、実家の町に戻って写真館を開業したのです。
私はふと思いついて、この写真を天然色にしてみました。
スクーターの色は、型番とは違うと思いますが、明るい色にしてみました。
顔は、だいぶデフォルメしていますが、これは下手だから似ない言い訳でございます。
父は顔がでかいのですが、そこは私が似ましたし、この絵は、私の息子に似てしまっていますが、息子はおじいちゃん似なので、まあいいかな。
背景はもう少し手を入れます。顔も修正はできます。
父が見たら、「ぜんぜん似とらん」と文句を言うでしょう。
なにをやってもあまり褒めてくれた記憶がないです(苦笑)
私は写真を撮るのは好きですが、構図とかを特に考えず直感でしか撮っていませんでした。
しかし、この写真を絵にしようと思った時に、この写真がとてつもなく完ぺきな構図で撮られている事がわかりました。
ネガをみてもトリミングなどはしていないそうです。
プロの方が見たらどう思われるかわかりませんが、同じ景色をとっても人それぞれ何かが違うのは、そういうことなんだろうな、衝撃を受けた感じです。
父の事を追及している時間は、私が生きている時間であり、このような作業ができることは素晴らしい宝物になる。
これが生きるって事だろうな、、って、父の死を前に想うのです。
父は点滴が入らなくなり、後は弱っていくばかりだそうです。
来月20日には誕生日を迎えるはずですが、そこまでは無理かもしれません。
最後までお付き合いいただきありがとうございます。
感謝をこめて
つる姫