ありがままならきゅうりはぱぱだ、という子ども向けの歌がありましたが(笑)
最初に。
お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、私の文章には「~と思う」という表記がめちゃくちゃ多いのです。
なので、なるべく使わないようにするつもりです。
思うから、思ったからこうして書いているわけで。
人には色々な面があり、人との関りの中で、全部さらけ出せるって事は難しいし、さらけ出さない方がいい部分も、少なからず持っている。
周りからは憧れられたり、人望を得ている方でも、その方の普段をよく知る私から見れば、その方そんなにいい人じゃないよ、と言いたくもなるような人も少なからずいます。
変わり者で人づきあいもあまりなく、地域から浮いたり、孤立したりしている人が、陰でボランティア活動をしていたり、見えないところでよい行いをしていても、誰にも尊敬されない人もいます。
後者の場合は、それを苦に想わない強さというか、ありのままの自分が行うものであることが必要なのでしょう。
人にやさしく沢山の人に愛される方、それがありのまま、無理をしていない自分であればいいけど、周りを思うが故に、本意ではない言動を繰り返していると、いずれ疲れてしまうでしょう。
こうした方が相手は喜ぶだろうとか、これをしたら相手が傷つくかもしれないというような事ばかりを考えていれば、自分を生きる事が難しくなる。
でも、そういう自分がありのままの自分なのかもしれない。
自分はこうしたいんだけど、これをしたら人が傷つくとか、人にどう思われるかわからないからとか、あの人が心配するから、とかで、結局やめておくというのは、人が社会で生きる上では、ある程度必要な事でもある。
難しいですよね。社会の中で人と関わって生きるのは。
そういう事に意識を向けず、生きていけるのが「ありのまま」なのかなあ。
ぐたぐた考えている自分も「ありのまま」なんだし。
昨日、電車で嫌な思いをしたと書きましたが、だから外に出るのが嫌になるんです。
他人を気遣って、逆に嫌な思いをする、ダメな自分が露呈するから。
人のためじゃなくて、自分が気持ちよくなるためにした行動だったから、腹立つんじゃないの?
と自問自答して、いつまでも引きずる。相手はなんともおもっちゃいない。
高齢者が老害、と言われることもあるけど、私のような性格の人が、積もり積もって、老い先短くなった時に爆発して、自分本位や自己中、我がままになるのではないか。
でも、そんな高齢者もず~っと、図々しく生きてきた人かもしれないし、前頭葉の老化のせいかもわからない。
自分本位や自己中とありのままとは別物なのか。
一体どういう風に生きれば、自分が一番自分らしく生きられるのか。
こもりのおばあちゃんでいるのが一番ラク、となってしまうのに、こうしてあてもなくブログを書いている自分もいます。
あなたは、ありのままの自分でいきてます?
こういうことを考えずに日々を送れるのが一番なのでしょう。
ふと、どうしようもなくなって自死を選ぶよりも。
私は子育て卒業した頃かな、初めて読みました。
いままさに、こころにささるお話です。
これも考えようによって、ものすごく悲しいお話のような気もします。
今日も一輪、花を咲かせたいわたしです。
花さき山は、すべての人の心にある天国とか極楽の風景なのかも。
ご訪問いただきありがとうございます。
感謝をこめて
つる姫
*すべて私個人の見解です