暑い一日の暮れる頃 都会の風は 生ぬるく
煙草の吸い殻の捨て場所となった側溝の穴から
鼻を突くにおいが 流れ出している
アスファルトは 太陽の熱を抱え込み
家路を急ぐ人の足もとに どこまでも続いている
下界の不愉快に お構いなしの空の雲は 今日も赤く染まり
ちぎれたり つながったり さざめいたりして流れて行く
遠くに 美しい山の灰色のシルエット
こころのズームレンズを最大に伸ばし
山の頂に ピントを合わせれば
こめかみに さわやかな風を感じる
ふと 山の右に目をやると
沈む太陽の代わりに
石炭を燃やしたような黒い雲が じわじわと上ってくる
すると その中から ゆっくりと
巨大な赤い手が現れた
右手である
親指と人差し指で摘まんだ 今日という日の些細な憂鬱や
小さな喜びや 少しの涙を
西の彼方へ 次々にはじいて飛ばしているようだ
西に向けられた その掌を返したら
この街が 暗黒に支配されてしまうに違いない
あれほどの巨大な手にみあう魔物は 一体何者なのだろう
すでに ごくりと飲み込む固唾も残っていない乾いた喉が
ひりひりと 蠕動している
つい先ほど さわやかな風を感じていたこめかみが
ぴくぴくと 弱弱しい脈を浮かべる
両の目に映りこんで ふたつになった赤い右手が
その掌を ぐっと握りしめて 雲の中にもぐりこむと
まばたきもできない私の眼に いつもの夕暮れが広がる
夜が明けるとき 東の空であの掌が開かれる
その時に 出てくるのは
希望かそれとも絶望か
それを選ぶのは 魔物ではない
今日一日を生きた 自分自身
漸く閉じる事が出来た 瞼の裏側で
巨大な赤い手が もう一度沈んでいく
明日も今日も 笑顔で過ごせますように
感謝をこめて つる姫