おじいちゃんは、田舎の小さな町の
和菓子も洋菓子も作るお菓子職人だった。
町で一番大きなお菓子屋さんで、
歩いて5分程のおじいちゃんのお店に遊びに行くたび
その辺にあるお菓子やジュースを、お土産に持たせてくれた。
私の名前はおじいちゃんがつけてくれた。
初孫である私が生まれた時は、
親戚が集まったお祝いの席で、得意の三味線を弾いて、歌を歌ってくれたりしたそうだ。
だが、いろんな大人の事情があり
私は、おじいちゃんに甘えた記憶がなく
どちらかと言えば、怖い存在だった。
物ごころが付いた頃には、嫌いだった。
そんなおじいちゃんは、私が高校3年の時病気になった。
東京に行くことが決まって、最後におじいちゃんのお見舞いに行った時は
おじいちゃんは、もう治らないのだと聞いた。
嫌いだったおじいちゃんは、長い入院生活で痩せて
顔が白くて、気持ちが悪かった。
そのおじいちゃんが、帰ろうとする私に握手を求めてきた。
嫌だなぁと思いながら、しかたなく
恐る恐るおじいちゃんの手を握った。
爪の伸びた細長い白い指は、とても冷たかった。
その時のおじいちゃんの顔を覚えていない。
目を合わせた記憶がない。
上京して、大学の寮に入った。
入学式が終わって数日が過ぎたある夜
おじいちゃんが、嬉しそうに笑いながらお茶を飲んでいる夢を見た。
当時は、携帯などもちろんなく
寮には電話室があり、数台の公衆電話が備え付けてあった。
夜になると、故郷や彼氏に電話する寮生達で込み合い
また、先輩達が優先的に占領しているので
なかなか順番が回ってこない。
おじいちゃんの夢から2,3日たった頃
どうしても気になって、
10円玉を沢山握りしめ、寮の近くのタバコ屋さんの前の赤電話から
実家に電話をした。
おじいちゃんは亡くなって、お葬式も終わったという。
私は東京に行ったばかりだったし、最後のお別れも済んでいたし
精神的にも負担をかけないようにと、あえて連絡をしなかったという。
おじいちゃんは嫌いだったが、家族や親せきがみんな集まって
おじいちゃんを見送るときに、そこに自分が居なかった事が嫌だった。
のけ者にされたような、そんな子供じみた想いだったのだろう。
短大を卒業して、必死で生きていた頃
東京でも、まだ炬燵が欲しい位、肌寒い春の夜の事。
久々に電気を入れた炬燵の中でうとうとして、はっと目が覚めた。
身体を起こして前を見たら
炬燵の向こう側に、おじいちゃんが笑顔で座っていた。
それが、最初だった。
それから、毎年その時期になると
おじいちゃんが来た。
ある時は、天上の隅がテレビの放送の終了した時の、
ザーッという砂嵐の画面になって
そこにおじいちゃんが浮かんでいる。
またある時は、眠っている枕元をさっと通り過ぎて行く。
よく着ていた、浴衣か着物の裾から、細くて白い足首がみえる。
何故だか、一度も怖いと思わなかった。
何度かそんなが事あって、ふと思い出した。
「おじいちゃんの命日だ」
呼ばれもしないので
一周忌にも、三回忌にも、七回忌にも、一度も出席しなかったが
時は、あるバブルの春。
金銭的にも余裕が出来た私は
おじいちゃんの一三回忌の法要に出席した。
価格破壊のしていない当時は、まだ何万もする礼服を買って故郷に凱旋し
おじいちゃんの遺影の前に座った。
その年から、おじいちゃんは二度と私のところに来なくなった。
大嫌いだったおじいちゃん。
もしかして、私の事を気にかけてくれていたのかな。
一三回忌に来てくれたから、赦してくれたのかな。
怖い嫌いと思っていたおじいちゃんを想う時
その顔は、いつも笑顔なのである。
でも、天井に浮かんでいた時は、ちょっとだけびびったよ。
大人の都合など、なにも気にしなくていい幼い頃
おじいちゃんの膝に、とっとと入っておけばよかった。
お菓子の作り方を、教えてもらえばよかった。
おじいちゃんがお菓子作ってるときの顔は、今でも覚えている。
ガラス越しの仕事場に、冒してはいけない神聖な空気があった。
それを、怖いと感じたのかもしれない。
そうそうおじいちゃんも、猫が大好きだったよね。
今年のお盆もお墓参りに行けなかったけど
ごめんなさい。
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いや~残暑が厳しいですね。
ご自愛ください。
感謝をこめて つる姫