5時の朝空。
最近珍しくよく眠れていたのですが、昨夜はクーラーが切れて暑くて目が覚め、2時半ころから明け方まで眠れませんでした。
4時過ぎに少し寝たようで、目が覚めたら5時でした。
なので、今朝は久々に朝ん歩はお休み。
こたろうくんは、今日はお散歩なし?とでも思っているかのように、私の行動を逐一観察しておりました。
それにしても、朝からι(´Д`υ)アツィー。
日曜日の朝の番組を録画して観ているのですが、先日爬虫類や両生類を飼育しておられる方の話を聞きました。
その中に「環世界」という言葉が出てきました。
その方は、思春期の頃、人と関わることをほとんどしない子どもだったようです。
ある時、トカゲか何かに興味を持ち、自ら繁殖を試み、その道のプロになられたような方でした。
環世界とは
環世界(=Umwelt:ウンベルト)とは、ドイツの生物学者であり哲学者であるユクスキュルさん(1864〜1944)が唱えた考え方で、すべての生物は自分自身が持つ知覚によってのみ世界を理解しているので、すべての生物にとって世界は客観的な環境ではなく、生物各々が主体的に構築する独自の世界である、というものです。
ユクスキュルさんは、客観的なものではなく、生物ごとに自分の知覚を中心に感じるもの=主体的なものであると考えた。
すべての生物に等しく存在するものが環境ではなく、個々の生物が主体的に捉え構築した独自の世界としての環境が無数にある、ということ。
なのだそうですが、まあ漠然と理解はできるし、まさに、私の考えている事と共通するところがあるような気もします。
世界は自分の周りにではなく、自分の中に在る、というような。
ちょっとニュアンスを違えていえば、外の世界を自分だけのフィルターを通して見る(感じる)、という事なのかもしれません。
ちがう言葉でいえば、自分の周りにある世界は、自分自身が創ったもの、というような。
まあこれは、環世界から離れて私の持論となってしまいますが。
ちょっとうまく言えませんが、例えば一つの環境、例えば一本の木が立っているとして、人それぞれ、そして他の生き物が感じるものは違う。
人である私が、視覚から感じて、緑が綺麗だなと思って見上げる木に、鳥は虫や花の蜜を求めて止まり、セミは命の叫びをあげる。
こたろうは、木の存在など気にも留めない。
人間は視覚から得る情報がメインともいえるけど、視覚が不自由な方なら聴覚や嗅覚を頼りに環境を感じるのでしょう。
そんなような。
こたろうくんは、嗅覚や聴覚を頼りにすることが多いですよね。
人間なら、感受性とか価値観の違い、とか、そんな話になってくるのかもしれません。
私が一瞬聞きかじっただけの言葉の、薄っぺらの解釈。
間違っているかもしれませんが、目の前の木を動かしたり消したりはできなくても、受け止め方が変われば、邪魔者にもなるし、夏に木陰を作ってくれて、小さな命たちを育む大切な植物にもなる。
その木だって、命を繋ぐことを意図して生きているのでしょうし。
また朝から難しい事を考えて、勝手に暑苦しくなった。
先日も載せた絵ですが、こう暑いので、海とか水に関わる物を描きたくて、
ヤシがしょぼくて失敗。
爽やかな絵にはならんかった。さら~~っと描けないんですよね。性格が出ます^^;
一応、子ガメが海面に顔を出している様子なんですけど、海に動きが無くて、残念な事に。
もう少し描きこんでみます^^;
描きこみ過ぎると失敗するし、難しい。
水彩画に限界を感じて久しく、今日は違う画材で描いてみようかなとも思っています。
まあ、画材を変えたところで、腕が上がるわけじゃないけども。
今日も朝から暑いです。
心頭滅却すれば火もまた涼し、とはいかない、凡人のワタシ。
最後までお読みいただきありがとうございます。
感謝をこめて
つる姫