昨日は、一人でこそこそ豆を撒きましたよ。
皆さんはどんな鬼を外に出しましたか?
私?私は最近腹が立つことが多いので、腹立ち鬼を追い払いました。
戻ってくるなよ・・。
今日は立春ですが、しばらくはまだ冬の寒さが続くようです。
10数年前に亡くなった叔父さんの事を、ふと思い出したのも何かの思し召し。
書きとめておきます。
長くなるので、他人のおじさんの事などどうでもいい人はスルーしてください。
今日書かせてもらう叔父さんは、父のお兄さん。
父が生まれて9ヶ月の時に母親が病気で亡くなりました。
叔父さんも3歳とかそのくらいだったはずです。
新しいお母さんがいつ来たのかは知りませんが、お兄さんの方を贔屓していたようです。
ここにはちょっと書けませんが、父から悲しい話を聞いたこともありました。今思い出しても涙が浮かびます。
叔父さんは当時の国鉄に入り、青函連絡船の乗務員となり、船長にまでなった人です。
ちょっと勉強不足ですが、なにか国家試験を受けるようですね。
叔父さんは幼い頃から成績優秀な人で、一発で合格したそうです。
その後叔父さんは、結婚して函館に住んでいましたが、年に一度や二度、盆や正月などに実家に帰省してきました。
叔父さん達が来ると、うちの家族も集まって会食をするのですが、幼い私にはこれが年に一度や二度の苦痛の時間。
もともと叔父さんを贔屓していた継母は、今度は孫の贔屓。
叔父さんの孫ばかりかわいがって、幼心に肩身の狭い思いをしました。
年に一度や二度しか来ないから特別だったのかも、と大人になってからは思えますが、私は空気を読んでしまう子どもでした。
叔父さんは大の酒好きで、実家に来ると朝から飲んでいました。
実家であるおじいちゃんのお菓子屋さんからは、私の家まで歩いて二分くらい。
一杯ひっかけてから、うちに挨拶に来ていたのでしょう、たまたまその様子を見かけた事がありました。
昼間から酩酊状態、まっすぐ歩けず千鳥足、途中でくるりと方向を変えたりしながら、それでもその手には、私たち姪っ子や甥っ子のために買ってきたお土産をしっかりとつかんで。
その頃の私はもう小学生、近隣の人に恥ずかしいという気持ちが湧きました。
それでも、成績優秀で青函連絡船に乗っている叔父さんの事を、悪く言う人はいませんでした。
年下の従弟は、陰でこそっといじわるをします。仲良くしなさいと言われるのも苦痛でした。
会食の席では、何故か私は怖いおじいちゃんの隣に座らせられました。それはおばあさんの決めた席順でした。
怖いおじいちゃんの隣・・・それもまた、拷問のようでした。
しかしある時、ふと隣のおじいちゃんを見たら、ワイワイしているみんなの様子を嬉しそうに目を細めて眺めていました。
おじいちゃんは言葉の少ないぶっきらぼうな人でしたが、出世した息子が帰省してみんなが集まることを、心から喜んでいたのでしょう。
あの時の笑顔は何故か今でも覚えています。
おじいちゃんが笑っているのを見たことは、ほとんどなかったですから。
19才になるまで、私の中では叔父さんは、優秀かもしれないけどただの酔っ払いおやじでした。
その19才の夏休みに、親友と北海道を旅しました。
旅の最後に函館の叔父さんの家に泊めてもらう事になり、叔父さんの乗る青函連絡船のスケジュールも聞きました。
叔父さんの乗務の日にはなりませんでしたが、部下に私たちの事を伝えてくれていて、船内のアナウンスで呼び出され、操縦室を見学させてもらいました。
酔っ払いのおじさんは、その頃は船長になっていましたし、本当に偉い人だったんだ、、と思いました。
旅の最後に叔父さんの家に泊めてもらった時、生まれて初めてしらふの叔父さんと対面しました。
おじいちゃんに似たのでしょうか、叔父さんは普段は無口な人でした。
私たちを車に乗せて、函館の観光スポットを案内してくれましたが、必要なこと以外は話しません。
観光スポットで楽しんでいる間も叔父さんは車のところにいて、私たちに絡んでくるようなことはありませんでした。
移動中にも会話はなく、次に行く場所を告げるくらいでした。
叔父さんは、一生酔っぱらっているわけではなかった。
叔父さんに対する気持ちが、変わりました。
どんな人生だったのか知らないけど、叔父さんも幼い頃に継母が来て、期待されてエリートコースを来たけど、
なにかしらの闇を抱えていたんじゃないかなって。
この時の叔父さんとの時間がなかったら、叔父さんは酔っぱらって千鳥足で歩く姿の印象のままでした。
何十年後、私も結婚して今の家に住んで、子どもも大きくなった頃、叔父さんは医者も不思議がる、研究対象になるほどの珍しい病に侵されたと聞きました。多分お酒のせいでしょう。
もう長くはないと聞き、函館までお見舞いに行きたいと思いました。
19才の時に叔父さんと会っていなかったら、そんな気持ちはわかなかったと思います。
すると、奥さんに言われました。
「もう先は短いし、本人は会っても何もわからないから、絶対来なくていいです」。
ショックでした。奥さんは他人かもしれないけど、私にとっては血のつながった叔父さんですから。
因みに奥さんは、良い家の娘さんだったようです。
エリートとしての叔父さんと結婚したんだなって、思いました。
すっかり大人になって妻となり母となった私は、叔父さんの心の闇が、ちょっとだけわかったような気がしました。
無口で不器用は、父親(私のおじいちゃん)に似たのかもしれません。
今の私が思い出すのは、あの千鳥足の酔っ払い叔父さんじゃなくて、函館を案内してくれた時、車の前で私たちを待っていた横顔。
背景は海、男前だった叔父さんは銀幕のスターのようでした。
人はそれぞれの場所で、違う側面を見せながら生きているのでしょう。
お酒を酌み交わす機会はなかったけど、叔父さんの話を聞いてみたかったな。
最後までお読みいただきありがとうございます。
校正なしなので、誤字脱字言い回し、不具合があれば忖度お願いします。
感謝をこめて
つる姫