大雨警報がでているところもあるとか。
どうぞ気をつけてお過ごしください。
今のところ、今日の蕾探検隊は待機中でござる。
ネタがないわけでもないのですが、先日の3・11にひとつの文章を読んだので、
お暇なら読んでください。
【あの時の無力感】
10年前、東日本大震災が起こったとき、当時大学一年生。
毎日ニュースで流れて来る映像を見て、「自分に何が出来るのか?」を考えた。
でも、その時の自分に出来ることは、SNSやネットニュースを眺めることだけだった。
その中で、現地にいち早く足を運んだり、プロジェクトを立ち上げたり、アクションを起こす人たちを見ながら、自分と比較し、自己嫌悪に陥った。
僕はほんのすこしのお金を寄付して、これ以上被害が拡大しないよう祈るしかできなかった。
2ヵ月後ボランティアの受け入れが始まった。
数回現地へ足を運んだが、泥かきくらいしか出来なかった。
どれほど役に立てたのかはわからない。
時間と労働くらいしか、今の僕に出来ることはないのだと、無力感を味わった。
1年後、ヒッチハイク日本一周の最後に現地へ立ち寄った。
自分たちが大変な中なのに、旅人の僕を家に泊めてくれたり、当時の話をきかせてくれたり、避難所で生活しているところにお世話になったりした。
その時の僕は、いただいた言葉や目の前の光景を、旅blogで発信したり、旅後の講演会で伝えたりするくらいしか出来なかった。
「もしこの後このような事が起こることがあったとしたら、その時の僕は何が出来るだろう。その時に出来ることが増えている自分になろう」
あれから10年、今の僕に出来ることは増えただろうか。
確実に出来ることは増え、持っているものも増えたと思う。
でも、もしまた同じ事がおきたとしたら、出来ることはまだまだちっぽけ。
世の中を揺るがす何かが起きたとき、すぐに大きな力になれる自分になれるよう、
会社になれるよう、毎日を過ごします。
改めてそんな事を考えた3月11日14時46分。
黙祷。
私はこれを読んで、自分がなくしてしまったものがなんであるかを、悟りました。
いや、そもそも持っていなかったのかも知れませんが。
そういえば、私がよく使うこの「サトリ」
何度悟りを開いたことやら(自爆)
悟りとは、なんぞ。
私は思うんですよ。
悟りを開くって、自分がなんであるかに気づくこと、みたいなことじゃないかなあ。
大宇宙の真理に到達すること、みたいに思ってたけど、そうじゃない。
多分ね、完全に悟るのは、死んだとき。
自分に戻るとき。
人として命をいただけば、本来の自分として生きられない時もあるような。
そんな気がした午前8時前。
今日もつつがなく過ぎますように
感謝をこめて
つる姫
ここに書くことはあくまでも、つる姫個人の考え、感想であり、事実とは異なることもありましょうぞ。
真実は人の数。
私の好きなものは笑顔。笑顔は世界を救うと信じるつる姫のブログです。
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