テッドバンディ観てきた
うーんこれはね
正直題材が良いだけに、
映画としてはちょっとお利口すぎると思う
1テッド本人の幼児性
2裁判長の愛
3リズの女性としての再生
とこれが目立つが
1は個人的に、テッドのパーソナルな部分にはそこまで、強い魅力を感じない
犯罪内容、凄惨性には映画を維持できるだけのインパクトがあるが、デッドそのものは、若干私と近しいせいか世の評価より大したことないやつだなだと思う
2裁判長の評決時の台詞に全て集約されているが、愛が深い。
疑いようもない絶対的な利益衡量の碩学者だ
それも最高峰の
今回の抜擢がジョンマルコビッチというのも最高だった
「(優れた)人間性の無駄遣い」ね
ふかーいな
3個人的にはこの題材はリズを中心に描いて欲しかった
ネットが普及されている今、このテッドバンディ事件をWikipediaの文字稿を今更可視化してもあまり意味がなく
寧ろ映像で音声と共に残されている1、2より、リズの「release me!!(あってるかな?)わたしを手放して!」がこの音声記録には残ってないセリフこそが、それを表現することが映画であり、事件をより深く掘るように思う
結局テッドが残酷な告白を以って許可するという皮肉
村上春樹さんが仰ってた、表現者としての
「高くて固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるのなら、私は常に卵側に立つ」
虚偽誇張かもしれないリスクを以て表現し深層を伝える
これが映画であって欲しい
リズさんは今でもワシントン州でご活躍のようだが、
あなたの罪は、テッドを警察にチクったことではなく、あなたの存在によってテッドの存在を肯定し甘やかした結果、彼の際限のない欲と不満と犯罪の実行を助長し続けたことの方が重いと思う
チクったことをひた隠し自責すること自体が依存だよ
彼もおそらく境界性障害者なんじゃないかな
成功体験に基づく手口のパターン化、それを駆使した対人操作欲求、認知的不満足、周囲の介添人にも生きづらさを与え瞬間満足するがすぐ飽きる、母親依存などなど
その境界の両側の媒介をリズが担ってしまった
この依存関係の解放がどれだけ困難であるかという
その一人の女性の再生の物語
何によって始まり、何に解放されたかという
うーん配役の成功により面白かったけど、やはりテッドは大した男だとは思わないんだよな
これも、ジョーカーと同じく「隣接する非日常→当事者と観客の境界」の議論に展開できそう
公判放映ということも、女性支持心理などなど
あはは楽しい楽しい次行こう
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