ぼくぽてちん忘備録

a chainless soul
ずーっと夏休み

ヤンキーゴーホーム

2022-10-11 12:38:00 | 日記
「ご無沙汰してます。櫻井くんのおかげで、永らくお世話になった〇〇〇〇の街を8月いっぱいで離れました。またランチしましょ。」
〇の街の出来事は、多分22年位前の仕事。
メッセージ主はお世話になったどころか、当時、駆け出しブローカー、事実上無職ヤンキーの私を、支度金と共に雇ってくれた、とてもお世話になった人。

1か月前、2泊3日の予定で離島に行ったら、台風12号が文字通りど真ん中通過して
6泊7日になった(海入れたのは2日だけだったので6泊2日)最中にいただいたメッセージ

【22年前の出来事の概要】
私の相手方(所有者)は、その土地建物(複合ビル)をご兄弟で所有していた。
所有形態は土地は等分分筆に所有して、家屋は区分登記して各々奇数偶数に持ち合っていた。
先ず競売で土地100%、弟所有の区分建物を取得した。
お兄さんは、自己所有の土地だけを担保提供していた。(兄所有区分建物は「売却件外建物」となる)
弟さんには一度も会うことがなかったのだが、いわゆる多重債務により、このような状況に陥っていた顛末だった。
専有部分も、不良さんや事件屋さんに占有されていたため苦労した。
事件屋さんは、造作留置債権による配当での回収がメインだったため、比較的に早期に対処できたが、不良さんは、実際の複数の占有と、権原者が違い多重に錯綜していたため、何人と何を話せばよいのかわからない状況だったので、事件記録記載(つまり裁判所が抵当権者に対抗させている)の権利者をとっ捕まえて、その親分?や兄弟分?と内部分裂させて、権利者から引渡書類、領収証、鍵、動産放棄の書類を取得して、封鎖した。かなり苦労した。
ただ、このような不良債権物件は、管理が雑になっていることが多いので、正常賃借人の方が占有態度が横柄、使用が粗暴になっていることが多い。
寧ろそっちをただすことの、モラルの講義の方が難儀だったように思える。
何しろ私自身がヤンキーなガキで非常識だったから。
ここまでが借家権
で、前述の兄に会って、「件外区分建物」の買収に乗り出す。
頭書の雇用主は、「櫻井、買ってきなよ」と予算を用意してくれた。
私は、この雇用主にたどり着くまでの間も、そういう上下関係を徹底的に叩き込まれたたちなので、このようなはからいに非常に躍動し、必死に取り組んだ。
競売なんてものは、裁判所が仲介・担保してくれる、極めて安全な取引で、競売屋など専門にしている業者は、不動産屋としては市場に不人気な怠け者でしかないと思っている。
このお兄さん所有の「件外区分建物」は不良債権の競売公示前に買う「任売」でもない。実際お会いしてみたら、極めて真面目で誠実な、弟思いの男性。頭もしっかりしているため、会話に抜け目もない。当然売却理由もない。
完全説得しかないと思った私は、本件に関して相当研究した。元々、この商売を始めてから毎週日曜日に今はないけど九段に会った千代田図書館で法律や不動産、不動産金融の、勉強というわけではないけど、何となくだらだら時間を過ごしていたため、その習慣の延長で勉強したことと、なんというか彼そのものの、説得(彼は関東大震災の経験者で当時の記憶をとても奇麗?に説明できるほど丁寧で長い人生と、経験の積み重ねの保持者)を考えた。
何度となく折衝して、何となく話す時間さえ惜しくなるほどだった(ヤンキー甚だしくきつい顔で話していたけど、私の本質はばれていたと思う)
結果、法的には、
1土地を担保提供し、所有権を逸した彼所有の区分建物の土地利用権限は、無権限乃至は使用借権であること
2使用貸借である限り使用収益も立ち入ることすら出来ず「所有(区分建物)」だけを指し示し主張することしかできないこと
3使用貸借の解除要件は、①目的の達成②貸主の移転であること
4②により解除要件が満たされえいるため、無権限による土地の占有でしかなく、建物収去対象となること
5対抗できるのは建物保護法と物理的に「区分建物を引っこ抜く」ことが不可能であること
ということで、買取請求をした。
但し、無権限付区分建物なので、売買金額は固定資産評価額でしかなく、土地無償使用等の賠償は不問にする
ということでし買取を成功させた。これまた苦労した。
雇用主は、「何にもトラブルないねぇ」なんてコケるのを期待しているかのような嫌味を言われたけど、喜んでいてくれて、そのビルの一階に不動産店舗を設けてくれた。
物権債権を勉強する。それに伴う人間の動機を予測し考える。とても勉強になった事案だった。一人でやり切って成長を実感できた。
後日結果、私は雇用主を裏切ることになる。
突然一本の電話で「今すぐトベ。大阪の事案(断行)をお前がやれ。俺が後日(雇用主と)話をつけるから」という父からの命令を受けたから。多分、どうせ話なんかつけてくれなかっただろうし、裏切ったまま現在に至る。

私には不動産の師匠がいなくて、兎に角ぶち当たる現場現場で学んできた。
「利益衡量」という言葉が好きで、その視点から、法や不動産や貨幣を趣味で学んできた。

そんななにからなにまで面倒見てくれた人から、頭書のメッセージが届く。
この方が教えてくれたことは、「きちんとしなさい」なんだと思う
社会に出て30年近く私の周りはとにかく喧しく、たくさんの大人がいた
未だに年下と話すのは苦手な部類
ただ、誇張なく「きちんと生きろ」俺という主語や主義なく、わたし固有にこれを言ってくれた大人はこの時の雇用主彼たった一人だと思う。
動物でも”ヒト”でもない。人間であり大人な人だったなぁ。
本当にすみませんでした。
ヤンキーはだいぶ大人しくなって、当時のようにお家で勉強しています
当時はかなり怖かったけど、ありがとうございました



暴風雨の中、そんなことを思い出したんだよね
台風が真上を通過の4日間、
北風ぶんぶん、一瞬止んで、南風ぶんぶん、最後にぶんぶん
次の瞬間嫌味なほど穏やかに晴れ渡って
楽しかったなぁ
帰りのタクシーの中で聞いた話
20年前のことは覚えていても1か月前のことは忘れちゃうアル中脳なので忘備録
【石垣島について】
・暴風が必ず来るので電柱は50m毎1~2本
・看板も電飾や立柱看板はなく、地味な塗装の貼り看板
・県には標高400m超が、石垣、西表、本島の三つしかなくサンゴや石の混在していない土壌があり、そこにしかパイナップルは育たないし、ハブも基本的な生息はそこだけ
・ハブの活発期は冬、とうきびの甘みが増す冬にネズミが大量発生し、その補色に伴い活発化
・埋葬は土葬、3,7年に骨を出して洗う。酒を一緒に埋葬して、その時に呑む。それが古酒の由来。
・石垣島の人口は5万人。300島ある。
・1971年の津波で石垣島9000人、宮古島4000人が死亡
・大戦時、いわゆる本土決戦は、本島だけだったが、駐留していた日本軍が山の麓まで島民を逃がしたが、その結果マラリアで殲滅、中にいた台湾人が島を立て直した
・石垣島のフルーツの原産は台湾人によるもの
・「18回/分は波の数、36度は体温、72回/分は脈拍、144回/分は赤ちゃんの脈拍、288日は出産までの日数。羊水と海水は同じだよ」ということを島民は教えあってきた


以上22年前と1か月前の記憶だね
共通しているのは、理性的な人としての時間かな
その間に関しては理性も記憶もないねぇ
なにしてたんだろうね

因みに画像は最近の鮮明な私の好きな漫画の好きな男


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