租税貨幣論の議論について
肯定者否定者共に、
あなたは自分でわかっていないほどプライドと自尊心が強く、私は情けないほど弱くヘタレです よって、あなたは反吐が出るほど忌み嫌い、これから嫌悪と怒りが出現してきます
1.租税の必要性
2.租税の義務
3.租税の仕組み
については共通認識しているが
・肯定論者は、納税を怠りえなかったエリート層に多いと思う、それは所得量の面だけではなく、教育課程の中で租税の仕組みや種類をきちんと教育されてき、かつ租税を悪意無く怠ったことがない人たちだと思う。否定論者は右傾的な保守的なところを批判をするがそうではない
・否定論者は、リーマンショック以降の、やり場のないほどの節約貧困教育層が多く納税の種類とその各々の効用、前向きな要因というよりか仕方のない義務という位置づけとなって、抵抗感が失われているだけである。
且つ、40代以降に関しては何かしらの経済事情により、納税が出来ない事情を抱え、これにより漠然とした疑問を抱いているが、これまたなんとなく従属している
否定論者の多くは「漠然とした強い違和感を持っている」
私がもし、MMT「現代貨幣理論」を否定するならここの部分だろう。
モズラーの例え話にしてもそうである
租税の価値観、というか地位は、当然高いものであるが貨幣の主権や国民の動機に位置するものではないと思う
主流派経済学者の反論のために用意されているものであるのならば、それは、純粋理論ではなくなってしまうし
貨幣の裏付けの最高位が生産力であることは間違いないが、租税貨幣論とスペンディングファースト、和同開珎などごちゃごちゃになって議論されていることは意味が分からない
ただ、租税よりも貨幣による「何か」はもっと生命や多幸に繋がる純粋に近い何かであることと思われるし
その認知のような気がする
実際リーマン翌年度、住民税が個人の1800万円課税され、到底納税しなかったがそれでも必死に所得(貨幣)を求め生産していた自分がいる「純粋に生きる為」だったんだよね
MMTという純粋理論から持論が強くなってきているし、ジャンルの広さ深さ、各個人へのアプローチは唯一無二だと思っているので
続けていきたいなぁと思った
追記
「租税貨幣論は、納税が生命(生活)の維持を国が担保してくれる社会においてのみ成立するから、生命や生活、教育や社会保障に対し不信任をされている、まさにデフレプラス緊縮財政下には不適合である」
14へ続く
あなたは自分でわかっていないほどプライドと自尊心が強く、私は情けないほど弱くヘタレです よって、あなたは反吐が出るほど忌み嫌い、これから嫌悪と怒りが出現してきます
わたしは自分が代用品であることを自覚していましたが、限界で臆病で逃げ、これから悔悟の念に晒されます
これが早晩辿り着くバランスだったと思います
眩しかったです
ありがとう
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます