たった今、先輩の演出家・横田安正氏から先日五反田ゆうぽうとでの
長嶺ヤス子公演「サルヴァオーラ」の批評が送られてきた。
74歳の長嶺ヤス子の肉体はいまだに健在である。スケートの荒川静香のお家芸「イ
ナバウアー」を彷彿させる後ろぞりは見る者を戦慄させるに充分だ。
今回の演しものはスペインのカンタオーレ(フラメンコ歌手)マノラ・カラコルの代
表作「サルヴァオーラ」からとった。
旅芸人一家の息子どもを次々と誘惑する魔性の女を演ずるのは勿論長嶺ヤス子。
今回はいつものアントニオ、イサクのほか3人の男性ダンサーが参加、
息子たちをかばってサルヴァオーラに対抗する母親役に歌って踊れる
マリア・フーリャ・メネセスが女性として初めて長嶺公演に参加した。
マリアは野太いすさまじい声量の持ち主、踊りはまずまずとしてカンテの魅力を充分に発揮した。
長嶺ヤス子の振りに新しさが加わった。
ミニマリズムのような単純なリズムの繰り返しにフラメンコでもモダンダンスでもない変わった振り、
インドダンスを思わせる浮揚感をもつ不思議な踊りである。
これは振り付け師、池田瑞臣の発明であろうが常に新しさをもとめる長嶺の心意気が感じられた。
新しく加わった3人の男性踊り手はしばしばコロス的な役割をはたすのだが、
アメリカの黒人ダンサーたちが加わった舞台にくらべると、際立った違いがないだけその効果は薄くなってしまう。
したがって今回のステージは物語性が希薄で『フラメンコ・ショウ』のような様相が強く、
最後に長嶺が自刃するシーンは唐突に感じられた。
このあたりが長嶺ヤス子が積み重ねてきた「舞踊劇」の難しさである。